1-5 鬼ぃさん、燃えたらどうしましょう

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1-5 鬼ぃさん、燃えたらどうしましょう

 実際のところ。その気に(・・・・)なれば、学校と家の距離くらいなら駆け足であっという間で。たぶん、始業のぎりぎりまで寝坊しても走ればなんとかなるし、電車なんか使わなくても隣町のちょっと制服がおしゃれな高校にだって通えるくらい、だと思う。  便利だ。すごく便利だ。多分、QOLとかいうのも爆上がりだ。  でも。それを、普段しないのは。そんな姿を誰にも見られたくないのと――そんな自分が、わたしは大嫌いだからで。  人目につかない路地裏や林の中を全力疾走しながら、家の敷地内に入ったわたしは、くたっと糸が切れたようにその場で倒れた。 「……冷たい」  檀家さんがいるかもしれない墓地や正面玄関の方を避けて入った裏庭は、おじいちゃんの育てている盆栽やら、お母さんの趣味の花だとかハーブとかでいっぱいだ。今朝も水遣りしたんだろう――倒れ伏してる地面まで、じっとりしている。おまけに日陰だからか冷たい。  あー、制服汚れたな。明日どうしようかな……と瞬間的に考えてしまうくらいには、漫画のヒロインみたいになりきれない。  横たわった視線の先に、自分の手がある。長く尖った爪は、あの一瞬で伸びたんだろう。うっかり、福庭くんのこと怪我させなくて良かった。 (あ、そっか――見られたんだった、福庭くんに)  逆立った髪も、触れただけで焼けるように痛んだ手も、ついでに二階から飛び降りるところも。この爪も、見られたかもしれない。 ――あんた、バケモン。  丸く見開かれた、福庭くんの目。あの目が怖くて、つい逃げてしまった。二階から飛び降りさえしなければ、まだごまかせたかもしれないのに。  ――いや、無理かな。それこそ、都合の良い妄想かな。「バケモン」なんて言葉、そうそう初対面の女の子に使える言葉じゃないでしょ。  もしかしたら。明日学校に行ったら、クラスのみんなからも化け物扱いされるかもしれない。いや、クラスどころか学校中か。田舎の情報伝播力なんてものすごいから、ご近所さんまですぐに知れ渡るかも。「満圓寺の花ちゃん、お化けらしいわよ」「やあねぇ佐藤さん、お化けじゃなくて化け物だって、鈴木さんが言ってたわよ」「あぁそうなのね。どうりで足があると思った」とかなんとか。なにより、高校生の情報拡散力ったらすさまじいから、きっとSNSに写真つきで上げられて、トレンドに「#クラスメイトが化け物」とかのっちゃったりして、まとめサイトとかにものっちゃって、そのうちテレビにも取り上げられて、登録してすぐに何枚かアップしただけのイムスタの写真とか勝手に使われちゃったりして、マスコミが家まで取材に来たりして――。  バシャン、と。頭から水をかけられて、わたしの頭の中は急激に静かになった。のろのろと立ち上がると、お参り用の桶と柄杓を持ったお母さんが、「あら」とびっくりした声を上げた。 「まぁまぁ花ったら。そんなところで、そんな格好してどうしたの? びしょ濡れじゃない」 「うん……まぁ……」  あんたのせいだよ、とは言えず。代わりに「そこ、おじいちゃんがもう水遣りしてあるみたいだよ」とだけ告げる。 「あら、そうなのね。さすがお義父さん、助かるわぁ」  のんびり言いつつ、手拭いで頭を拭いてくれたり、泥を払ってくれたりするお母さんを、わたしはぼんやりと見た。 「あらあら、爪がこんなに伸びちゃって。大丈夫?」  ぱっちりとしたお母さんの目が、わたしをじっと見つめる。 「だ、だい、じょ……っ」  大丈夫、って。そう言おうと思ったのに、声が途中で詰まってしまって。代わりに、両目からぽろぽろと涙が出た。 「う、う、うぅぅぅ~……ッ」 「頑張って帰ってきたのね。偉いわぁ」  理由も、何があったかも訊かないで。逆立った上にびしょびしょな最低な頭を、お母さんの小さな柔らかい手が、そっと撫でてくれる。自分が汚れたり塗れたりすることも気にせず、もう一方の手でぎゅっと抱きしめてくれながら。 「もう五月、って言っても。濡れたままじゃ寒いでしょう? とりあえず、お風呂に――」 「っうお! 花、どうしたっ?」  お母さんの言葉をさえぎって、ドタドタと縁側を走ってきたのは、家守で。その顔を見たらまたホッとして、わたしの目からはますます涙が出ちゃって。 「い、いえもりぃ……っ」  ひょいと庭へ出てきた家守は、こちらへ近づいてくるとふと、眉を寄せた。そのまま、顔を近づけてきて――スンスンと、鼻を鳴らす。  そして、神妙な面持ちのまま「花」と呼びかけてくる。紅色の目を、じっと見開いて。 「おまえ――臭いぞ」
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