1-6 鬼ぃさん、それは難しいですけど

1/1

23人が本棚に入れています
本棚に追加
/44ページ

1-6 鬼ぃさん、それは難しいですけど

「なぁにが臭いだよばかぁぁっ!」 湯船の湯面を思い切り叩きながら、遅れて込み上げてきた怒りを声に出すと、少しだけスッキリした。少しだけ。 あの後。小さい子みたいにわんわん泣き始めてしまったわたしを、お母さんはお風呂へと促してくれて、言われるがままに入浴することになった。 泥だらけの制服を脱いで、逆立ったびしょ濡れの髪はシャンプーで洗って、汗も涙も全部シャワーで流すと、心がストンと静かになった。 湯船につかって、ようやく心に余裕ができたところでまたむくむくとわき上がってきたのが--さっきの、あまりにデリカシーのない家守の言葉への怒りだった。 バケモンだとか臭いだとか! ほんと、どう考えたって年頃の女子にかけて良い言葉じゃないだろう。 「ほんと、さいてー……」 呟いて、ずりっと湯船に沈み込む。 そう、最低だ。どう考えたって、今日のできごとは最低だ。 せっかく。勉強だってそれなりに頑張って、仲の良い友達とたまたま同じクラスにもなれて、なんとなく中学のときよりも風通しが良いような、そんな新しい生活がスタートしたばっかりだったのに。 わたしによく分からない力があるって分かったのは、中学生の頃。些細なことで、ミサちゃんとひどい大喧嘩になってしまって。カッとなって気がついたら、髪が逆立って、目は眼球まで真っ赤に染まって、爪は鋭く固く尖って--そして、ミサちゃんを傷つけた。 わけが分からなくなって混乱するわたしをなだめてくれたのもミサちゃんで、わたしはもう、一生ミサちゃんに頭が上がらない。 それから決めた。この力は、家族とミサちゃん以外には隠して過ごそうって。この力がなんであれ、もう二度と友達を傷つけたくなんてなかったから。 それなのに--その誓いを、今日、破ってしまった。 ※※※ お風呂から上がると、なんだか身体がだるく、部屋着に着替えてからもぼんやりと、座布団を枕にして横になった。 ぱちん、ぱちんと、お母さんがわたしの爪を切ってる音がする。こうなると、硬すぎて普通の爪切りじゃ切れないからって、犬用のごついギロチンみたいな爪切りを使われている。 「爪切ったら、アイス食べる? お母さん、こっそりハーゲンダッツ買っておいたのよぉ」 「……食べる」 ドライヤーで乾かされた髪は、ふわふわの癖毛に戻っている。怖くて見ないようにしていたけれど、きっと目の色ももう戻ってるだろう。「はぁ」とため息をついてお母さんをちらっと見ると、お母さんはにこっと笑った。 お母さんは、やっぱり何も訊かない。その柔らかさに寄りかかって甘えてしまうのは、わたしがまだまだ子どもだからなんだろうか。 まだ、ぴりぴりと軽く痛む腕を見る。 わたしのあれ(・・)は、鬼の力の一部だと以前説明してくれたのは、家守だ。なんでわたしにそんな力があるのか--家守は「すまん」としか言わなくて、怒鳴っても引っ掻いても泣いてもそれ以上のことは教えてくれなかったけれど、まぁとにかくそういうことらしい。 あれが鬼の力だって言うなら--それに反応した福庭くんは、一体何なんだろう。 突然のことでわたしもパニクってたけれど、普通に考えたら、福庭くんという人はやっぱりおかしい。あんなに怖い違和感を撒き散らして、それにわたし以外の誰も気づかなくて、触れればあんなバチッとなって--。 「……普通の人と、だったら。いくらわたしでも……あんなこと、ないよね……?」 「んー? どうしたの? バニラが良い? クッキークリーム?」 爪を切り終わったらしいお母さんが訊いてくるのに、「クッキークリーム」とだけ答えて、ぱたぱたと台所へ鼻歌交じりに向かう足音を聞く。 お母さんとはもちろん、お父さんや家族の誰とだって。ミサちゃんやマチコや、中学のときに運動会でやったオクラホマミキサーでペアになった男子たちとだって、触っただけであんなふうになったことなんて、なかった。 ふっと、視界が陰る。足音もなく近づいてきたのは、家守だった。こちらを覗き込むように、近くに立って見ている。 「臭いは、いくらか取れたみたいだな」 「……うるさい」 イラッとして、反対側に寝返りをする。とすっ、と軽い音がして、すぐ隣に家守がすわったのが分かった。 「……近くに寄んないでよ。わたし、臭いんでしょ」 半分、八つ当たりのような心地で呟く。汚れは全部落としたはずなのに、まだ臭いって言われるなんて。いくら過去の過ちとは言え、一度推していた相手にそんなこと短時間で二度も言われると、さすがにへこむ気がする。 さわっと、頭を撫でてきたのは家守の手で。見ないでもそれが分かってしまう自分が、なんだか嫌だった。涙が、また出てきそうなほどに。 「おまえ、勘違いしているな」 家守の声は、あくまで気楽だ。 「おまえ自身が臭いものか。おまえについてきた(・・・・・)もんが、臭っとるんだよ」 「ついてきたもの?」 全くわけが分からなくて、思わず家守の方へ顔と身体を向き直る。すると家守は、わたしの腕を手に取った。--福庭くんに握られた腕を。 「湯で洗ったくらいじゃ、落ちきらん」 ピリピリとしているそこを、家守の指が優しく撫でた。それだけで、あんなにしつこかった痛みがスッと消えていく。 「誰にやられた」 「……やられたって言うか、ただ、話してて……つかまれた、だけで」 家守の表情は淡々としていて、何を考えているのか分からない。それでも、あまり愉快そうでないことは、伝わってくる。 「この力は、鬼の力とは正逆の存在だ」 「どういうこと?」 そんな、「正逆の力だ」なんて言われても、さっぱりだ。そもそも、自分の力のことだって謎なのに。 ちんぷんかんぷんなわたしに、家守はふっと笑いかけると、また頭を撫でるように、ぽんと優しく叩いてきた。 「そいつには近寄るなと言うことだ」 台所から「家守さんは、抹茶味で良いのー?」とお母さんの声がする。 「おう。幸子さん、お茶にするなら己も手伝おう。幸子さんの細腕に、そんな負担をかけるなどしのびない」 「あらあら。それより、お義父さんを呼んできてくださいます?」 すっと離れていく、家守の手の感触と声と。お母さんとのやり取りを聞きながら。わたしは、なでられたばかりの頭に自分で触れた。 「近寄るな、って言われても……」 相手はクラスメイトで。しかも、後ろの席なんだけど。 自分の手のひらの感触は、お母さんや家守のとは違って、薄っぺらくどうにも頼りなかった。
/44ページ

最初のコメントを投稿しよう!

23人が本棚に入れています
本棚に追加