スタヴィエの子供たち

10/10
前へ
/10ページ
次へ
 それから三度目の冬が訪れた。  ベルガ家の入り婿が、妻の殺害を企てた……少々刺激の強過ぎるこの話は、未だに人々の語り草となっている。憎き入り婿アントンが、正体不明の獣に(なぶ)り殺されたというのが、話のオチとして特に好まれていた。  様々な憶測の飛び交う中、当のメラニーは憔悴した様子もなく、ベルガ家の新当主としてやるべきことをこなした。買収された憲兵の処分、北山の山道の整備。特に心血を注いだのは、孤児たちのための福祉だ。衣食住の保障に、労働環境の整備。  そしてついに、街に石造りの学舎が建った日、メラニーはレオと共に北山へ向かった。  レオもメラニーも、あの夜の出来事を話そうとはしなかった。話してしまえば、「あれは幻だった」という結論に辿り着いてしまうような気がした。沈黙だけが、あの不思議な足跡の真実を守る(とりで)だった。  今年の冬は雪が少なく、砂糖を振ったような淡い白が風景を滲ませている。山道から逸れた藪の中、ひっそりと立つ小さな墓碑も、わずかな雪化粧をまとっていた。三年前この場所で、冷たくなったハンスが発見されたのだ。  メラニーは墓前に(ひざまず)き、質素な花束と干しぶどうを備えた。 「ハンス。私、とうとう夢を叶えたのよ」  墓碑を撫でながら、地中に眠るハンスに語りかける。 「街に学校を作ったの。親がいなくてもお金がなくても、どんな子供でも学べる場所よ」  そっと目を閉じると、幼い頃から焼き付いて離れない光が瞼に閃いた。富に溢れた彼女の人生において、なお目を背けられないほど美しい光。フリッツ、ハンス、無垢だった自分。等しく笑い合い、夢を語り合った日々。  メラニーの心を燃やし続けた光は今、街に小さな明かりを灯した。それはまだ、蝋燭の火よりも頼りない。しかしやがて燃え上がる暖炉の炎となり、この街を温めていくだろう。 「だけどさ」  吹き溜まりの雪を蹴りながら、口を尖らせたレオが言った。 「折角の学校の名前が『スタヴィエ(馬小屋)』だなんて、格好悪いや。(みんな)に馬鹿にされちゃうよ」  当然の不満に、メラニーは「そうね、でも」と答える。 「いつかきっと『スタヴィエの子供』と言ったら、勤勉で聡明な子供を指すようになるわ。そうしたらもう誰も、あなたたちを馬鹿になんてしなくなる……」  最後は呟くように言葉を(こぼ)して、メラニーはハンスの墓に視線を落とした。墓碑にかかる雪を払いながら、おや、と手を止める。土を覆う雪化粧が、わずかに剥がれている場所がある。「あっ」とレオが声を上げた。 「また、あの動物の足跡だ。干しぶどうをお供えしたら、必ず食べに来るんだよ。キツネかなあ。一度も姿を見たことはないけど……」  レオの言う通り、それは小さな獣の足跡だった。森と墓とを頻繁に行き来しているのか、そこには獣道が出来つつある。 「さあ……どんな生き物かしらね」  枝に積もった粉雪が、風もないのにさらさらと舞い落ちた。霜柱を踏みしめるような(かす)かな音が、澄んだ冬の空気に溶けていった。 <完>
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加