スタヴィエの子供たち

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 ハンスが馬小屋に向かったのは、捜索隊に加わろうと思い立ったためだった。メラニーを救い出すためなら、ベルガ家は人手を惜しまないだろう。しかし予想に反し、馬小屋に捜索隊の姿はなかった。どの馬も繋がれたままで、捜索に使われている様子もない。 「何度も言わせるな。捜索隊は出さない」  低い声が聞こえ、ハンスは咄嗟に表門の影に隠れた。馬小屋の傍で、男が誰かに凄んでいる。 「もうこの街は、俺のものなんだ。職を失いたいのか?」  声の主に気付いた時、ハンスは生唾を飲み込んだ。結婚式の時、遠目に見た覚えがある。あれはメラニーの夫アントンだ。対して、彼に脅されている初老の女性は、メラニーの従者をしていたヨハンナだった。 「それでも構いませんわ」  かつて彼女に抱いた弱気な印象とは全く違う、気丈な女の姿がそこにあった。 「あなたを告発します。憲兵があなたの味方でも、街の人々はメラニー様の味方です。正気ではありません。妻を雪山に置き去りにするなど……」 「あれが、浮浪児を雇うなどと馬鹿を言い出したからだ! 妻のくせに、俺の言うことを聞きやしない!」 「妻は夫の所有物ではありません! ベルガ家の財産はメラニー様が相続なさっているのです。それをどう使おうと……」  その時、アントンの手の中に冷たい光を見て、ハンスは咄嗟に飛び出した。二人の間に躍り出て、ヨハンナの細い体を突き飛ばす。脇腹に、焼けるような熱を感じた。  予期せぬ割り込みに、アントンはいたく狼狽したようだった。それでもヨハンナを殺さねばまずいと思ったのか、再び刃物を振り上げる。その二撃目すら、ハンスは自らの背で受けた。 「誰か、誰か来て!」  ヨハンナが叫んだ。傷害の現場を見られては、さすがに言い訳は立たない。アントンは(きびす)を返し、夜闇の中に逃げていく。それを追う余裕はなかった。 「ああ、なんてこと。酷い怪我だわ……」  狼狽したヨハンナの手が、ハンスの傷に触れる。その手をしっかりと掴み、ハンスは息も絶え絶えに「どこです」と言った。 「メラニーが置き去りにされたのは、どこなんです」 「北山の滝の近くだと……あ、あなたもしかして、ハンス……」  言葉の続きを聞かず、ハンスは獣道の奥へふらふらと歩き出す。ヨハンナの止める声も聞こえない。レオを、メラニーを助けなければ。ハンスの頭には、もうそれしかなかった。  誰の目に見ても、もはや助かりようもない量の血を流しながら、ハンスは森の中へと踏み込んでいった。その後ろ姿を見て、ヨハンナは思わず息を呑んだ。赤い斑点の散る雪の上、見えない何かの足跡が、ハンスの後を追いかけていく……。
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