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雨は嫌いじゃなかった。島で雨が降るたびに、わたしは溜め込んだ想いを吐き出すように泣いた。雨が降れば、泣いてるのか雨の雫なのか、わからないと思ったから。
――雨が降れば足あとを消してくれるかもしれないわね。雨で流されたら、また別の、何度だって新しい足あとをつければいい。雨みたいな人に出会えるといいわね。
彼女の言葉を反芻する。
でも、お願い、消さないで。ここにいたこと、わたしと話したこと――母と話したこと――その足あとは消さないで。
そう願うのに、止む気配はない。きっと、彼女が春の雨を連れてきたのだ。島から。あるいは、雨が彼女を連れてきたのかもしれない。遠く霞のかかったわたしの記憶から――。
――あなたは選ぶ人になりなさいな。
選んだり、選ばなかったり。でも、選んでほしい、と願うだけでいるのはやめよう。わたしはもう、差し出された手を握り返すのではなく、自分から手を差し出すことができるくらい、大人なはずだ――。
一歩外に出ると、しっとりとした雨の雫が頬を伝う。背中に、彼女とさっきまで話していた空間に、まだ温度がある気がして両腕をぎゅっとする。
どこかに流された彼女の足あとを追うように、わたしは柔らかな土に踏み込む右足に、力を入れた。
《了》
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