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迫田さおり
迫田 さおり
1987年12月18日生まれ A型
身長 175cm
ウイングスパイカー
東レ・アローズ所属:当時(本拠地・滋賀県大津市)
鹿児島県鹿児島市出身 薩摩おごじょ
愛称「リオ」
木村沙織と同名のため、背中には「SAKODA」を背負っていた。
東レに入ったものの、迫田は苦しんだ。トスの高さの違いにタイミングが合わないのだ。同じチームの木村沙織のようなスパイクが打てない。
「沙織さんみたいに出来ない」泣いた日々もあった。
それでも、2012年3月、2011-12Vプレミアリーグで東レ・アローズ2季ぶりのリーグ制覇に貢献した。
同年5月のロンドンオリンピック世界最終予選のキューバ戦。彼女はコートの外で両手を組み合わせ日本の勝利を祈り続ける。
訪れた選手交代。迫田は江畑幸子とタッチを交わしてコートに入る。迫田さおり伝説はここから始まったと言ってもいいだろう。
怒涛のバックアタックが相手コートに突き刺さる。それはまさに覚醒と呼ぶにふさわしいものだった。途中出場ながらチーム最多の20得点をあげたのだ。崖っぷちの日本チームを救い、そして見事に五輪出場権を獲得した。
同年6月、ロンドンオリンピックの代表メンバーに選出された。
同年8月11日のロンドンオリンピック3位決定戦で、韓国戦の切り札として先発出場。僕たちはふたたび迫田さおり伝説を目にすることになる。伝家の宝刀バックアタックは冴えわたり23得点と大活躍し、全日本28年ぶりのメダル獲得に大きく貢献したのだ。
決勝の25点目をあげたのはレフトからの迫田のスパイクだった。
『日本銅メダル! 探していた、見失っていた光はロンドンの風の中にありました!』
NHK名古屋放送局のシニアアナウンサー広坂 安伸の実況は忘れらない。
全日本の始動記者会見の席にいたはずの迫田さおりの姿が、2013WGPにはなかった。肩の状態が心配されたが、9月の国体にはその姿を見せてファンは胸をなでおろした。
グラチャン2013、東レアローズは銅メダルを獲得し、迫田はウィングスパイカー賞を取った。精神的支柱であった木村沙織が海外チームに去り、エースとしてチームを引っ張った2013年は、迫田にとって最も苦しいシーズンだったかもしれない。
2013/14、シーズンは3位に終わったが、日本人としては10年ぶりに得点王に輝き、ベスト6も受賞した。
しかし、黒鷲旗の後は全日本のことなど考えられなかった。
2014年WGP右肩の怪我の影響もあり、迫田は帯同のみで裏方でタオル配りに徹した。
2014世界バレーで迫田は復帰する。そして、ドイツ戦ドミニカ戦で大爆発を見せることになる。
ドミニカ戦の第5セットにおいては、同じ東レアローズのセッター中道瞳は、すべてのトスを迫田さおりに上げ、迫田はそれを全て相手コートに叩き込んだ。これもまた伝説のひとつとなった。
2014/15のシーズン開幕には2年ぶりに木村沙織が復帰した。Wさおりが迫田をさらに力づけることになる。
2015WGP開幕。
若い選手の台頭もあり控えに回ることが多くなる。その一番の要因は中道瞳選手の引退が大きかっただろう。セッターとのコンビに苦労するようになるからだ。
極度のスランプに陥り、世界を震撼させたバックアタックも影をひそめることになる。その武器を使いこなせるセッターは竹下佳江選手と、後を継いだ中道瞳選手だけだったのかもしれない。
2016年のリオデジャネイロオリンピックにも代表選手として出場。オリンピック最終予選タイ戦。厳しい戦いでフルセットにもつれ込んだ。
迫田へ迫田へと集まり続けるトスを、彼女は見事に相手コートに叩き込んでいった。上げたセッターは宮下遥。
初戦の最後に迫田が投入されたがバックアタックの出番はなかった。
迫田のバックアタックを使いたかったと言った宮下の言葉を聞いた迫田は、絶対に決めなくてはならないと決意を新たにする。
そして、世界が恐れたバックアタックは、若きセッター宮下遥のトスさばきで復活する。迫田さおりを欠いていたら、ロンドン五輪のメダルも、リオ五輪出場もなかった。
そのリオ五輪は、メダル獲得ならず5位に終わった。
スパイクの最高到達点305㎝という驚異的なジャンプ力を誇った。
身長は175㎝の迫田より10㎝も高い木村沙織を上回る高い到達点だった。
息を呑むほどの長い滞空時間、バネのようにしなりながら打ち込むバックアタック、ひとはそれを Air Rio と呼んだ。世界を驚かせ、壁を打ち破っていった。
どこに上がったんだこのトス。
するとボールの軌道の先に必ずいた。これでもかと背を反らせて高く舞う迫田さおりが。
2017年5月30日、迫田はひっそりと東レ・アローズを退団し現役を引退した。
これほど美しく力強いスパイクを打つ選手を僕は見たことがない。彼女を凌ぐ華のあるスパイカーは二度と現れないだろう。
迫田さおり引退のニュースは僕に強い衝撃を与えた。ひとつの時代が終わったのだと思わせるに十分なできごとだった。
迫田さおりよ永遠なれ。
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