さくら

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さくら

入学式。 それは学生にとって大事な行事である。良いスタートを切るためには、まず近くの人に話しかけ、そこそこの人間関係を作り、クラスが一緒になった人とはより深く交流をしていかなくてはいけない。普通の高校1年生ならそうするだろう。 …そう。普通の高校1年生なら。 「………どうしよう…」 1人で立ち尽くす俺の横を真新しい制服に身を包んだ生徒とその親が通り過ぎて行く。桜の咲き誇る校門には、『柏崎(かしわざき)高等学校』の文字が刻まれている。 なんとなく居た堪れなさを感じながら重い足を動かして校内に足を踏み入れた。 受験に来た時にはそんなに遠くは感じなかった体育館までの距離が、ひどく遠く感じる。今日やっと袖を通した制服の襟を軽く直して、体育館へと向かう足を速める。 俺はなぜこんなにも挙動不審なのかは、俺の性格が全ての問題の原因である。 俺、相模晴(さがみはる)は小さい頃から重度の人見知りである。 初対面の人とまともに会話する事は至難の業だし、知っている人でもフレンドリーに会話するなんてほぼ不可能に近い。…女子だったら尚更だ。 俺は今まで、なんとかしてこの体質を治そうとしてきた。だが、幼稚園、小学生、中学生と失敗を重ね、まともな友達らしきものを作ることもできずに高校へと入学する事となった。…だから、こんなにも挙動不審になってしまっているのだ。 ため息混じりに深呼吸をすると、目の前を見据える。 体育館に入る前に、自分のクラスと場所を確認しなくてはいけない。…のだが、掲示板の前は大勢の新入生で溢れかえっている。 これからそこへと入って行くのは、今の俺には不可能である事は明確だった。俺は人にぶつからない程度の距離から掲示板を眺める。目を細めてクラスを確認しようとするが、人が多いこともあって全く見えない。 …入学式が始まるギリギリまで待っていれば、人も少なくなるだろう。その代わり開始時刻直前に体育館に入らなければいけないが…仕方がない。 クラスを確認するのを諦め、少し下に俯くと、俺の足とは違う、ローファーを履いた足が俺の真正面で止まる。 「ねぇ、君。どうしたの?」 俺の前で止まった足の意味を理解するよりも早く、軽いソプラノの声が耳に入った。冷や汗をかくのを感じながらピクリとも動けずにいると、俯いている俺に構わず、その声の主が言葉を続ける。 「もしかして、クラス見えないの?」 俺は何も言ってはいないのに、状況で察してくれたのか?そんな的を得た問いに少し戸惑う。今まで女子とまともに意思疎通が取れた事は無いと言っても過言では無いくらいだから、とにかく驚きが隠せない。やっとの思いで軽く頷くと、目の前にいる女子はやっぱり、とこぼした。 「人多いから見えないよね。私もこれから見に行くところだったの。」 落ち着いたトーンで紡がれる言葉は、これまでの同年代にはない柔らかい雰囲気を纏っている感覚を感じさせる。先程まで俺の方を向いていたつま先を掲示板の方向に軽く向けた彼女は、また俺に声をかけてきた。 「ね、君。私が一緒に見てくるよ。名前はなんていうの?」 本来なら喜ばしいはずの彼女の申し出に、俺は体が強張った。先程やっとの思いで頷いたばかりだったのに、口を開くなんていきなりハードルが上がりすぎではないだろうか。軽く唇を噛むと、変わらない位置で俺の言葉を待っている彼女のローファーが目に入る。 彼女は待ってくれていた。…いや、不審に思って立ち止まっているのかもしれないけど。 これまでの人生の中で、こんなにも歩み寄ってもらっているのは初めての事だ。このチャンスを逃すわけにはいかない。強く拳を握り、軽く渇いている喉から声を絞り出す。 「相模、晴、です。」 俺から絞り出された声は想像よりもずっと小さく、掠れていた。聞き取りづらい事この上ないだろう。 …せっかく、意思疎通が取れるかもしれなかったのに。なんだか惨めになって唇を噛む。 「さがみはるくんか。漢字は?さがみって、相手の相を書くやつで合ってる?」 「…え、」 通じている。その事実に驚きを隠せず、驚きのまま顔を勢いよく上げる。 「あれ、ごめんね違った?他の漢字だったりする?」 申し訳なさそうに眉を下げ、俺の顔を見るその人は、俺が想像していたよりもずっと優しそうな人だった。 落ち着いた茶色の髪はショートカットに切られていて、いかにも運動ができそうで、明るい色の目は驚いている俺の間抜けな顔が写り込んでいる。 自分の間抜けな顔を見て冷静さを取り戻し、即座に顔を俯かせる。 「いや、あの…合ってます。」 「あ、本当?よかった。はるって、どうやって書くの?」 自分の想像を絶するほどすんなりと出た言葉に驚いたままでいると、彼女が返事を返してくれる。 混乱している頭で、一番早く伝わるような例えを考える。そして、考えついたまま小さく口を開く。 「…空が晴れる、の…晴、です。」 口に出してから、後悔をした。こんな挙動不審な男の名前がそんな明るいものだなんて、なんというか、惨めというか… 心の中でうだうだと後悔の言葉を並べていると、彼女はつま先を改めて掲示板の方向に向けながら、確かに言った。 「晴れるの晴かぁ…いい名前だね。」 じゃあ見てくるね、と言って人混みの中へと消えて行く。 いい、名前。そんな風に言われたのは初めてだ。…まともに意思疎通を取れた家族以外の人が初めてなのもあるが。 彼女にとってはなんでもないお世辞かもしれないが、少なくとも俺にとっては不思議な感覚を覚える言葉だった。 軽くふわふわとする気持ちの原因も分からぬまま立っていると、人混みから1人が出てきた。 「ごめんね、ちょっと苦戦しちゃったよ。」 眉を八の字にして笑った彼女の顔を、今度は…軽くだが見据えることができた。すると彼女はまた眉を下げて口を開く。 「私たち、同じクラスだったよ。偶然だね。」 「……そ、そう…なんだ…」 「うん。…あ、名前言ってなかったね。」 軽く咳払いをした彼女は、なんとなくキラキラとしているように見えた。 「櫻井澪(さくらいみお)です。1年間よろしくね。」 高校の入学式。覚えているのは動悸と櫻だった。
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