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席の話
放心しているかの様にぼーっとしながら入学式を終え、俺は廊下を1人でゆっくりと歩いていた。
…先程の事が、未だに夢の様に感じるのだ。頬を軽くつねってもただ痛いだけで、覚める気配もない。呆けた顔をしたまま入学式前の事を思い返す。
彼女…櫻井さんにクラスを確認してもらった後、結局体育館内の人混みではぐれてしまって、その後は会話なんてしていない。…だが、同じクラスだと言っていたのだから、入学式の時も案外近くにいたのかもしれない。キョロキョロと探す気にもなれず、早々に出てきてしまったが。
高校生活最初の日に人と、それも女子と会話ができたなんて、俺の人生史上最大に喜ばしい事なのではないだろうか?…なんて、自分で言うのもあれかもしれないが。なんて事を思いながら、ため息混じりに呟く。
「…また、話せたりしないかな…」
「誰と?」
独り言のつもりで言った言葉に返ってきた返事にビクリと肩を揺らして振り向くと、きょとんとした顔で櫻井さんが立っていた。
「ごめん、驚かせちゃって。体育館にいなかったからもう廊下かもな〜って思って、追いかけてきたの。」
「…え、あの…なん、で…?」
「え?相模くんと話したかったから。」
櫻井さんがなんでもないかの様に言い放った言葉は、俺が先程まで思っていた感情そのままだった。
どうしてそんなにも正直に言葉にできるのか…
俺がもごもごと言葉を詰まらせていると、櫻井さんはそっと俺の隣に並んで歩き出した。
「体育館にいた人たち、きっとこれから急いで来るだろうから早く行った方がいいよね。廊下つまっちゃっかも。」
「…ぁ、うん。」
普段人と並んで歩くことなんてゼロに等しい自分にとって、並んで歩く事はとても難しい事のはずだ。
なのに、俺は今普通に歩いている。…いや、普通には歩けるが、あまり緊張はしていない、という状況説明の方が正しいだろう。
「相模くん地図見た?」
「…え、あ……うん、見た。」
「私も見たんだけど、思ってたよりたくさん教室があったからさ、迷っちゃいそうだよね。」
「そ、そうだね……」
にこやかに話を進める櫻井さんを横目で見ると、また眉を下げて笑っていた。
最初は困っているのかと思ったが、眉を下げて笑うのは櫻井さんの癖なのかもしれない。出会ってからの数時間の中の櫻井さんの姿は全て笑っているものだから、よく笑うのも癖だろうか。
「あ、ここだね。」
「…あっ、うん、そうだね…」
自分でもよく分からない事を考えていると、プレートに『1-2』と書かれた教室の前まで着いていた。櫻井さんがそっと扉を開くと、並べられた机があるだけでまだ誰も来ていなかった。それほどまで早く出てきていた事を実感し、改めて自分の人見知りっぷりを恥ずかしく思った。
「私どこの席かな?後ろがいいなぁ…」
そう笑いながら黒板に貼り付けられている紙を見に行く櫻井さんの後を追う。自分の名前を探す櫻井さんの後ろから自分の名前を探す。…あ、
「「あった。」」
思いがけず重なった言葉に肩を揺らすと、目を丸くした櫻井さんが俺の様子を見てまた表情を和らげて笑う。
「席、前後だね。よかった。」
「…え、前後…?」
「うん。ほら、さがみとさくらいだからさ。」
「……確かに…」
全然驚く事じゃないのに、肩を揺らして大袈裟に驚いてしまった事で顔に熱が集まったが、そんな俺を笑ったりせず櫻井さんは席に向かった。
「後ろだね。運いいなぁ。」
真ん中の列の1番後ろの席に手をかけて椅子を引いてから、俺に手招きをした。
恐る恐る、といったら失礼だが、それほどまでにゆっくりと歩み寄ると、櫻井さんはまた眉を八の字にして微笑んだ。
「相模くんの運、お裾分けしてもらったのかも。仲良くしてね。」
2人しかいない教室が、なんとなく華やかに見えた気がした。
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