踏んじゃった

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 先週のことだった。  前に注意した点が直っていないと、鈴木講師は優しい口調で、真実の演奏を繰り返し止めた。何度も止められると、ただピアノ椅子に縛り付けられている時間だけが流れた。  のろのろとピアノ教室を出て行った時、ひとつ前のレッスンを終えたはずの由美が、待ちくたびれたという顔で、玄関口で真実を捕まえた。  男の子と見間違えるような、白無地のズボンと数字のアップリケが付いた青いパーカー姿で、パーカー紐を器用にくるくる指で回している。  早めに真実が教室に到着すると、由美がその長い指で、迷うことなく難しいメロディを弾いてるのを、何度も見た。けれど、由美はいつも、どこかもの足りないような表情をする。  ドアの前で2人が顔を合わせると、にんまり笑いながら人差し指を立てながら、戸惑う真実に迫り寄った。名案だと言うように――。 『来週のレッスンの日、由美の靴を、玄関で踏んづけてくれないかな』 ♪猫踏んじゃった。 ♪猫踏んじゃった。  その日は、クリームイエローの生地にグレーのペルシャ猫の柄付き、真実の母親のお気に入りのスカートを履いていた。ポケットのレースを握りしめながら、何も言えず、じっと由美の言い分を聞くだけだった。
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