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とあるバーにて(執筆者:探偵とホットケーキ)
マレーヤはバーカウンター前の空席にどっかりと座り、パンフレットを開くと、ばりばりと金髪を掻き乱した。
かなり高額を出して、見栄を張って観に行ったバレエの舞台が、さっぱり理解不能だった。理由はもちろん、マレーヤの耳が全く聞こえないせいもある――が、それ以上に、その動きに美しさなど感じつつも、「だから?」となってしまう壊滅的なセンスが影響していたといえる。
マレーヤは困っていた。ピエリスに舞台の感想を語って聞かせることになっていたからだ。
ピエリスは同じ探偵事務所をやっている相棒で、今日はオフ。一緒に舞台を観ていた。ピエリスは全盲で、バレエというものを心の底から楽しみたいと常々言っており、マレーヤが舞台の後で解説してやるからと、二人で行ったのだ。ピエリスは、絵も下手と評判のマレーヤの解説を疑っていたが、マレーヤが押し切り――今に至っている。ピエリスがトイレに行っている今、何とか素晴らしさを伝える語を考えねばならない。
その目の前にルジェカシス・ミルクが差し出され、マレーヤは顔を上げる。髭を蓄えたバーテンダーの口元が、こう動いた。
「隣のお客様からです」
隣席の客から酒を奢られる。こんなドラマみたいなことがあるのか、とマレーヤがカラーコンタクトの目を横に向けると、見知らぬ男が微笑んで小さく手を振っていた。その恰好が余りに素っ頓狂で、二度見する。
男は白い燕尾服、綿雪みたいな髪に、真っ赤な目で、シルクハットを被っていた。そのシルクハットに白い兎の耳が縫い付けてあるので、思わず笑ってしまいそうになる。酒が入っていたら笑っていた。未だ飲む前で良かった。
アリスの白兎のコスプレだろうか。Halloweenでもあるまいし。
更に驚いたことに、男はすらすらと手話でこう語りかけてきたのだ。
『「ジゼル」はいかがでしたか?』
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