null(ヌル)

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 身長が伸びて小麦を上から見下ろせる歳になっても、少年は母が言っていたことが気になっていた。あれは子供が小麦畑で迷子にならないための忠告だったのか。それとも不思議な入り口があの足跡をたどった先にあるのか。確かめたくなった。  思春期が近づき好奇心旺盛になった少年は織物売りの帰り、小麦畑に開いた直線の足跡を見つけて足を止めた。もう夕刻に近く、畑は黄金に染まり、海のように風に揺られて波打っている。  七月はじめの夕風は心地がいい。  鼻をつく小麦と野の匂いに混じって、嗅いだことのない香りが足跡の向こうからした。鉄のような、雨のような。獣のような、機械のような。そんな匂いだ。  少年は胸の内がすっと凍るような気がした。長閑な小麦畑の景色のはずなのに、何故か。  そこでふと、また母の話を思い出した。 「小麦畑をまっすぐ貫く踏みならした足跡を見つけたら、その先をたどってはいけない」  そもそもこの足跡は何なのか。今でもわからない。人が歩いたあとなのか、それとも獣がつけたのか。はるか先の地平線にまで足跡は続いている気がする。  少年は近づいて、踏みならされた小麦を観察した。均整に同じ力で押し付けられたようだ。大きな機械を使ってやったように思える。でも一体、誰が何のために。この足跡が出る時期は決まっておらず、ふいに現れる。獣にしては踏み口が丁寧すぎるし、人にしては踏み方が乱暴だ。  確かめるしかない。
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