会いたい

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会いたい

 前方の鬱蒼と木が茂る森を見て、先を行くマクミランの背中に大きなため息をぶつけながらサフィラは歩く。実質この隊を率いているのは彼なのに、その隊長自らが食料を探すなどあきれ果てた提案だ、威厳も何もあったもんじゃないと怒ってみても、当の本人は足取りも軽く鼻歌を歌う有様だ。 「まさか本当に狩りをするって言うんじゃないだろうな」  ぶすくれたサフィラの言葉に前を歩いていたマクミランが振り返る。 「いや、狩りをするだけだけど」  途端にサフィラの眉が吊り上がるのを見てマクミランは肩を竦めた後、自分の口に人差し指を当ててから、その指を前方に向けた。  指の指す方向に鹿の群れが草を食んでいるのが見え、サフィラは開こうとしていた口を閉じて頷く。マクミランは弓を構えると大きな牡鹿に狙いを定めた。  どうっと重い音を響かせ牡鹿が倒れると他の鹿たちが一斉に飛び散る水しぶきのように四方に逃げて行く。 「なあ、この所魔物が多くて森には入れなかったと村長は言ってたと思うが」  鹿に止めを刺しながらマクミランは首を傾げる。魔物は動物だって襲うはずだ。それなのに人家に近いこんな場所まで鹿の群れがいたのはどうしてなのだろう。安心しきっているかのように草をのんびり食んでいた様子はとても魔物が蔓延っている危険な森には似つかわしくない。 「魔物はどうかしらないが、人間はここしばらく森には入ってないのは本当らしい。見ろ、道なんて消えかかっている。まるで獣道だ。そんな大物どうやって持って帰るつもりだ」  手伝わないからなと聞いてもいない内から断りを入れてくるサフィラにマクミランは笑い声を上げた。城を離れた頃から二人きりの時のように人前でもぞんざいな口をきいていることを本人は認識しているのだろうか。マクミランにとっては好ましいのでわざと指摘はしていない。 「君の伝送魔法で送ればいい」 「は? 魔法をそんなことに使わせる気か?」 「じゃあ、私が鹿の頭を持つから君が……」  マクミランが言いかけた言葉をやめろの一言で片づけるとサフィラは立ち上がって呪文を詠唱し、その淀みない流れるような所作にマクミランは魅せられたように見入る。大声ではないのに遠くまで聞こえる詠唱の声が耳に外耳から内耳へ、そして蝸牛へと染み入るように流れ体中を巡っていく。うっとりと声の余韻を楽しんだ後、ぐるりと辺りを見回した。 「ここに来るまで魔物の話や山賊の話を散々聞いてきた。道々賊に襲われた町や村も見てきているし、退治したこともある。でも、魔物が姿を見せたことがあるか?」  頻繁に現れているはずの魔物にまだ一度も遭遇してはいないのはなぜなのか。顎に手をやって考え込むマクミランを見てサフィラは目を逸らす。  魔物が増えているのは本当だろう。魔石に負ける子どもが頻発し、魔物になっているのだから。補充しても補充しても消えていく魔法使い見習いがその証拠だ。皆が恐れ、退治しているものの正体を知られたら国の威信は地に落ちる。今この国の混乱の原因は魔法使いのせいなのだから。  ――そうなったらきっと軽蔑に変わる。  そっと目だけでマクミランの様子を伺う。森の中で立っている彼の上に木々の間から光が射していた。偶然なのにきっとどこでいてもそうなのではないかと思わせるところが彼にはある。  二人とも王族の血は引いているが、庶子だ。それなのにどこに身を置いていてもそこに埋没しない品の良さというものがマクミランにはある。  お互いに置かれた境遇を嘆いていた同士だ。でも、その頃からいつか表舞台に出ていく人物だと共闘を申し出た。それなのに内容が無いのは自分の方だと年を経るたびに思い知らされ焦りに似たものを抱いていた。自分は貧相な中身を必死で取り繕っている。  眩しい、悔しい――そんな羨望と嫉妬が入り混じった思いに胸の辺りがじりじりと焼ける。好きだと言ってきているのはマクミランのはずなのに、思い悩むのはこっちの方だなんて理不尽だとサフィラは拳を握る。  ――何かがおかしい。  マクミランは握った拳を口に当てたまま考え込んだ。 魔石に反応して召し上げられた子どもの内、魔法使いの素質が無い者は親元に返されると聞いていたのにここに至るどこの町や村にも驚くほど子どもの姿が見えないことにマクミランは気づいていた。それはここ数年ではないのかもしれない。幼い子どもどころか十代の子どもたちの数も少ないのだから。  魔法とこの国は切っても切れないという割に魔法使いのことはまるで分っていない。いや、秘匿されていて一体何が起こっているのかが分からない。 「サフィラ、子どもたちは一体どこに消えた?」  二人きりになったことで、何かあると思っていたが、実際その問いを受けるとどう誤魔化すこともできず、サフィラは黙り込んだ。  空間を切り裂いて運ばれた牡鹿に湧く兵士らの声が聞こえ、ヘルマートはほっと息をついた。このまま食料も手に入らないことになると兵士の士気にも影響しただろう。先の見えない行軍という過酷な任務を遂行するにはきっと高い志なんかより、旨い食べ物や、ゆっくり眠れる宿、酒などというものの方が効果的なのだ。  そういうことも何も知らなかった自分は本当に籠の鳥だったのだなと思う。甘やかされて城の中が世界だと思っていた。  マクミランに関しても父の後を狙う敵としてしか見えてなかった。だが、不幸に酔って拗ねていた自分に彼の代わりにその役目を務められるかときかれたら、今の自分には到底無理だと分かっている。マクミランが一緒に来てくれたことは自分にとって行幸だったのだと素直に思う。  だから自分がやるべきことを全うするのが最優先だ。  ラグアを見つけて、彼を殺す――そこまで考えてヘルマートは両手で顔を覆った。そんなことができるだろうか。  憎しみを原動力にすると決心したはずなのに燃料になる怒りは雨に降られたかのように燻ぶって小さくなっている。それよりもずっと強く思うのは――。 「ただ君に会いたい」  欠けた石が元に戻らないのと同じで傷ついた心も傷が癒えるようには治ることはない。何も無かった表面に強い感情で傷を付けたのはラグアで、その傷は思っていたより深い。  顔を見たい、声を聞きたい、その手を握りたい――思う度に心に細かい罅が入る。 「おまえは今どこにいる」  窓に向けてヘルマートは絞り出すようにそう呟いた。
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