夢の間

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夢の間

「可愛いな、今日も綺麗に咲いたね」  目を細めて白い花びらに触れてから曲げてた腰を伸ばし、ラグアは額に手を当てて花畑を眺めた。ヘルマートが白い花を好きだと人伝に聞いたのはいつだったか。季節ごとに色々な白い花をラグアは薬草を育てている畑の一角に植えていた。球根にまじないをかけて毎日水やりをかかさなかったせいか、美しい八重咲のチューリップが咲いた。まだ花びらを固く閉じているけれど、そんなところもラグアは好きだ。  頑なで愛らしいところ。そんなことを言うつもりもないけれど。 「いや、ヘルマート王子は薔薇かな」小さく呟く。大輪の薔薇みたいに可憐でちょっと近づき難い――そこまで思って苦笑いになる。  ――近づき難いんじゃなくて僕が単に嫌われているだけか。  ヘルマートが自分を嫌っていることをラグアだって知らないわけじゃない。それはもう会った瞬間から今まで嫌というほど隠さないヘルマートに思い知らされている。  目が合えば辛辣な言葉で心臓を抉られるような思いを毎回することになる。それには慣れることはできないし、やっぱり悲しくもなるけど、だからと言って他の者に彼の『杖』を譲る気にはなれなかった。  ラグアは彼を嫌いにはなれない。何が気に障ったのかと色々考えていても何かをする前に既に嫌われていたのだ。こうなったら根競べだと思う。  正式に『杖』となった時からラグアの部屋はヘルマート王子の部屋の隣だ。大勢の仲間と同じ部屋住まいだったことや、初対面からずっとヘルマートの冷たい態度に不安は募るばかりで、急に一人部屋になったラグアは心細い気持ちで夜を過ごしていた。  時々ミシミシとどこからか音がするのは何でなのだろうと考えるともう眠れなくなって、ラグアは寝台の上で膝を抱えていた。一人には贅沢なほどの空間は、暗闇にいろんなものを隠しているみたいで落ち着けない。壁に付けた寝台の奥で布団を頭から被って気配を探っていると、どこからか泣き声か、呻き声のような声が聞こえてきた。 「何の声?」  きっと幻聴だと耳を塞いで布団を被って蹲っていたが、ラグアはその声が誰の物なのかふいに気が付く。 「これ、隣の部屋から聞こえている?」  あれはヘルマート王子の声? そう思ったら怖さは吹っ飛んで、ラグアは急いで寝台を降りると彼の部屋と王子の部屋とを繋げている内扉を開けた。 「どうかしましたか? どこか痛みますか?」  断りもなく急に声をかけたらきっといつもみたいに怒られるかもしれないと頭を過るが、何より心配が先に立つ。  寝台に近づくと、ヘルマートはうなされていた。 「止めて、死なないで、お母さまっ、どうしてっ、嫌だっ、放せ、お母さま……」 「起きて、ヘルマート様」  子供の頃の二つ違いは体格に大きな差が出る。泣きながら暴れるヘルマートの肩を揺すって起こそうとするが、振り回す手が容赦なく頬や顎を直撃して悲鳴をあげそうにそうになる。  深い悪夢に囚われてヘルマートは肩を揺らすぐらいじゃ起きない。 「ごめんなさい」  やんごとない王子様相手だが今はそれどころじゃない。ラグアは寝台に乗り上げて毛布をヘルマートに巻きつけるとそのまま手と足でしがみ付く。自分の額を無理やり彼の額にくっつけるとまじないの呪文を唱える。悪い夢が自分に移るように。そして安らかに眠れるようにと祈るように何度も唱えた。  綺麗なはずのその女性は狂気を漲らせた目を見開いて笑い顔のまま、自分の喉を描き切っていた。吹き上がる血しぶきが飛んでくる。  頭の中に突然、凄惨な映像が流れ込んできて、ラグアは思わず叫びそうになる自分を必死で抑え込んだ。その真っ赤な世界で声も出せずにただ恐怖に震えていた。それは長いようであっという間だったのかもしれない。  ――これが、ヘルマートの夢の世界なのか。  ラグアが夢を引き受けたせいか、ヘルマートの呻き声は止んでいた。そして名残のような嗚咽が彼の口から洩れていた。 「大丈夫、もう大丈夫だから」  ラグアは震えながら腕を緩めるとほうっとため息が漏れた。恐ろしい夢だった。全身に汗をびっしょり掻いている。喉がからからに乾いて痛かった。  水を飲もうと、そっと寝台から降りようとしたラグアは、ヘルマートが自分の夜着の裾を握り込んでいるのに気づく。あまりにも必死に握り込んでいるのを見てしまうと手を解くことなんてできなかった。  差し込んでくる青白い月明りの中で眦に涙の粒が残るヘルマートの寝顔が安らいでいるのを見てほっとする。可哀そうで可愛いと思う。自分より年上の相手なのに守ってあげたいと強く思った。 「それに今はこんなに近くで不躾に見つめたって怒られることもない――よね」  頬についた涙の筋を手で拭ってやる。穏やかな息遣いになって自然に手が離れるまでラグアはそのまま寝台に腰をかけてヘルマートを見ていた。  小さい頃は、二日と開けずにヘルマートは赤い夢を見てうなされて、その度にラグアは夢を自分に移した。  最初は、日中にも思い出して泣きそうになるほどラグアは怖かった。でも、ヘルマートはずっとこれを見て来たのだと思えば、助けてあげたいと思う。そのうちに耐性ができてきた頃、ヘルマートも悪夢を見る間隔が空いていくようになった。  良かったのだ、たぶん。でも、本人が覚えていなくても、悪夢と引き換えにラグアはヘルマートとの繋がりを感じられるその時間が大事だった。  元から冷たい人じゃない。そう思えるだけでこれからも彼の『杖』として生きる糧になる。  
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