王の杖

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王の杖

 ――王はドラゴンを従えて国を治め、平和をもたらす。 「今月も魔法使いが五人亡くなっています。子どもたちの中に適応者が少なく、魔法使いを補充できない現状が続いております」  音量を絞った声なのにくっきりと耳に届くのは魔法の力なのか、余計なことに気が一瞬削がれる。  黒いフードを被った魔法使いが頭を垂れながら説明する。人払いされた王の執務室には他にマクミラン公爵と第一王子ヘルマートしかいない。  父王が数年前病に倒れ、代わりに末の弟であるマクミラン公爵が国事を代行している。王の不調は、近隣の国との度重なる戦闘で負った古傷のせいだった。多くの国と国境を接しているこの国は街道の要として昔から常に他国からの侵略や盗賊らに脅かされていた。  大国に囲まれたこの小国は四方からの敵に立ち向かう為、王を始め総出で戦うしかない。今のところなんとか敵を跳ね除けていられるのはこの国の独自性によるものだ。魔力を扱う魔法使いが戦にも同行しているからに他ならない。生まれた民の中に魔法を使うことのできる素養を持つ者がいる。なぜなのかは分からない。だが、そのおかげですぐにも潰されてしまいそうな軍も大国と渡り合える攻撃力や防御力を持つことができている。  怪我の治癒も担っているその魔法使いが最近数を大きく減らしていた。 「最近魔法使いの負担が大き過ぎております。歩兵の数を増やしてもらえないでしょうか」  床の大理石ばかりではない冷気が体に這い上ってきて、魔法使いはぶるりと体を震わせた。 「戦で死ぬのは何も魔法使いばかりじゃない。不平を言うより、もっと広く魔力のある子どもを探せばいいではないか。何にしろ言い訳ばかりだな、おまえは」  幼い頃から可憐な薔薇のようだと言われた華やかな容姿とは正反対に毒を吐き出すような王子の言葉に魔法使いは唇を噛み締めた。 「ヘルマート、ラグアを責めるのはよせ。ラグア、立ちなさい」  やれやれとマクミラン公爵がとりなすが、ヘルマートは聞く耳を持たない。 「『杖』の称号に見合う働きをいい加減見せろ、ラグア」  さらにそう言うとヘルマートは下がれと手の甲を向けて三度振った。もう話は終わり――そういうことなのだろうと分かってもラグアは暫くその場を動けなかった。  魔法使いは戦争に同行し、防御や攻撃を補助し増強するためこの国には欠かせない。武装していない魔法使いが前線に常に出るということは、軍人と同じかそれ以上の命の危険があるということを王や貴族は分かっているのだろうか。そも魔法使いの命など道具としてしか見えていないのか。  たぶん後者の方なのだろう。魔法使いの出自は皆平民なのだ。数が減れば補充すればいいと物のように思っている。やりきれない思いでラグアは大きなため息をついた。  やりきれないのはそれだけじゃない。  この国の王子は十代に入ると専属の魔法使いが付けられる。ラグアはヘルマートが十二になった年に付けられた二つ下の魔法使いだ。  小さい頃から抜きんでて魔力の強かったラグアは将来を見込まれて、通常より何年も早く修行中にも拘わらず第一王子のヘルマート付きになった。 「本当ですか? 僕が『杖』に?」 「候補ですよ、おまえはまだ修行中ですからね」  バンザーイと飛び上がったラグアに王の『杖』で筆頭魔法使いのルースが諫めるが浮き立ち気持ちは抑えられない。  認められたのだと晴れがましい気持ちだったし、年も近く容姿の良い王子と評判のヘルマート王子の『杖』候補になったことが嬉しくて堪らない。  白い薔薇のように色が白く、頬はピンクの薔薇で唇は赤い薔薇なのだそうだ。実際見たことなどないので本当かどうかなんてラグアの周りも知ってはいない。けれど、聞く噂は夢見がちな年頃のラグアを魅了してやまない。  ――瞳は青い宝石みたいで髪は白金らしいし、お声は鈴のように可愛らしいって本当だろうか。  幼い頃に親から引き離されて集団生活をおくる魔法使いにとって王族の『杖』になるのは最上級の誉れだ。その相手に選ばれるなんて候補だったとしても嬉しくて堪らない。彼専属の魔法使いに選ばれるように尽くそうとラグアは熱く決意した。  なのに現実は――何年も側にいるのに王子と意思疎通が上手くいっていない。一番の原因は、ヘルマートの死んだ母親だった。  王と彼の『杖』であるエイベルとの間には厚い信頼と絆で結ばれている。幼い頃から共に生活し、長じてからは共に戦場に赴く。 それは男女のそれのようではなかったものの、他国から嫁いで来たヘルマートの母親には理解できなかった。  王にとっての一番が自分ではないことへの落胆と孤独と疑いの中で次第に精神を病んでしまった彼女はある日、幼いヘルマートの目の前で頸動脈を掻き切った。 「お母さま、死んじゃ嫌だ、死なないで、お母さまっ」  泣きながら血飛沫を浴びて全身真っ赤なヘルマートが小さい手で傷口を押えているのを女官が見つけた時にはもう彼女の命は絶えていた。その後ヘルマートは暫く喋ることができなくなるほど憔悴した。  ヘルマートにとって母親は、存在も考えも彼の全てだった。  ――お母さまは魔法使いに殺された。  ただ病死だと公表され、誰にも悲しみを共有してもらえない悲しさと辛い思いはいつか魔法使いへの憎しみに変わっていく。  王にとっては政略結婚の相手で端から愛情など無かった相手だったのかもしれなくても、もっとやりようがあったのではないのか。周りにいた誰でもいいから、もっと労わりを向けてあげていたら。分かるように自国の事情を説明すれば違う結末になったはずだ。  誤解だよとそう言ってあげればあんなにも追い詰められることは無かったんじゃないのか。  ぐるぐると何年も頭の中で渦巻く思いは今では真っ黒な腫瘍みたいにヘルマートの頭の中に潜んでいる。  ――彼女の孤独も疑いも悲しみも無視して見殺しにした父親も魔法使いも絶対に許さない。  もう泣かないし、笑わない。もう自分の弱さを誰にも見せるつもりは無かった。その自分が『杖』を持つ? その事実に吐き気がした。それをさらりと口にする父親に改めて憎しみを覚えた。  引き合わされたのは自分と同じくらいの子どもでヘルマートの姿にバカみたいに満面の笑みを浮かべている。 「ラグアと申します。ヘルマート様」  栗色の柔らかそうなウエーブのかかった肩までの髪がふわふわと揺れる。零れそうな大きな目に犬を連想した。感想は犬みたい、それだけ。  無反応に戸惑うラグアの笑みがぎこちなくなりそのうちに一文字に引き結ばれてもヘルマートは声をかけなかった。   ――一緒に居るのは仕方ないからだ。 「もう用は無いと言ったんだぞ、とっとと出ていけ」  ラグアが唇を噛んで下を向いているのに気づいてヘルマートは舌打ちした。王子と『杖』は一心同体だと教わった時、思わず教本を破り捨てた。  ――専属の魔法使いなんて要らない。  苛々としながら自室に戻ると部屋には甘やかで優しい匂いが漂っていた。見ると大ぶりの花瓶に白い八重咲の可憐な花が活けてある。  この季節になると何日かに一回こうやってこの花が活けてあった。匂いを嗅ぐとささくれていた心も何だかとろりと溶かされていく。 「これは?」 「わ、私が活けたわけじゃありません。申し訳ありません」  名前を知りたかっただけなのに女官は真っ青な顔で謝り続ける。良い気分はあっという間に消え去ってヘルマートはむっとしたまま女官が逃げるように部屋を出て行くのを見送った。  花の名前を聞くだけもできない。周りの人間を寄せ付けない弊害は真っすぐに自分に返ってくる。だからと言って今更どうにもできなかった。    
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