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#3 光
子供の頃、よく光を見ることがあった。光は輪郭を持たず、皓々と押し寄せ、私を飲み込んだ。もしかしたらそれは、私の中に生まれたイメージに過ぎず、実際には見えていなかったのかもしれないが、見えなくなった今となってはもう分からない。"見えなくなった"と認識してからの私は、その光に強く執着するようになった。どうすればもう一度、あの光を見ることができるのだろうか。その考えは常に頭の隅にあり、可能性を感じた行為があれば反芻し、角度を変えて何度も試したりした。
もう使わないであろう教科書を、おもちゃみたいなライターで燃やした時は、背中に光を感じた。だが振り返っても光は見えず、見えるのは目の前の醜い炎と、それを包む真っ黒だけだった。
ある恋愛映画を観た時は、白ではなかったが金色の、太陽のような光をエンドロールの向こう側に見た。それから好きでもない人と付き合ってみたりした。相手の求める言葉、距離感、態度で仲を深めていくのは、ゲームのようで面白かった。本当に好きなのかも、と思うこともあった。相手を想う気持ちを愛と呼ぶのなら、あれも立派な愛であるはずだった。はずだったが、あの光は見えなかった。
足下から甘えた鳴き声が聞こえる。机の下を覗くと小さな目がふたつ、こちらを伺っていた。
「ねぇネコ。いま幸せ?」
「ナァ」
自然と笑みがこぼれる。麦茶を飲もうと濡れたグラスを手に取ったが、思いの外軽く、底の方に小さくなった氷が浮かんでいるだけだった。いつの間にか、部屋は薄暗い茜色に染まっていて、机の上に広げたスケッチブックに影を落としていた。歌詞を考える時に使う、私の思いを切り刻んで紡いだ、雑多なメモ書き。進捗を確かめるように、もう一度目を通してからそっと閉じた。退屈そうな猫に気を遣いつつ立ち上がり、湿っぽい目元を拭った。
グラスに氷をひとつ加えて、冷蔵庫から麦茶を取り出す。琥珀色の液体を注ぐと、カラカラと音を立てながら、夕陽が溶け込み回り混ざった。
これもいつか、失ってしまうんじゃないだろうか。
夕暮れの琥珀色を、美しいと思えなくなる日が、いつかくるんじゃないか。
騒ぎ出した心が、いつの日かの自分と重なる。もう"見えなくなった"のだと、解ってしまったあの日。
大丈夫だと、安心できるものを必死に探したが見当たらなかった。空っぽだった。ずっと、ずっとそうだった。
──光。光、光を。誰か光を。
乾いた笑いが漏れる。
「馬鹿みたい」
二十と余年を生きてきて、私はまだ、失うことを否定しているのか。少しは強くなったと思ったのにな。
これまでの人生で、私が失ったものと手に入れたもの、どちらが多いのだろう。
見えなくなった光も、安っぽい逸脱も、名前だけの愛も、裏切りも、信仰も、非日常も、なにもかも。
失くしたっていいように、全部歌にしようと決めたのだ。寂しいし、とっても、寂しいけれど、それでいい。
「ね?ネコ」
「ナァー」
「なぁー」
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