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人間は欲張りだから、そんな大多数の中の一つには満足できない作りになっている。知っているから、永遠に目を逸らして暮らしていくはずだった。
「美里」
「なに」
あっさりと呼ばれて、焦点が合う。逆光の中にいるその男はじっと私を見つめていた。均整のとれた肉体を限界まで私に近づけて、私の名を呼ぶ。
いつもはそんな風に、呼んだりしないくせに。
みさと、と呼ばれるだけで体の何かが痺れた。それを欲情というのなら、私は今までの人生で、一度も性欲を感じていなかったことになる。そんなことに気付かせてほしくなかった。
「もう一生ヤらせてくれねえんだろ? だったら素直に気持ちよくなってよ」
「ひか……っ」
光、と呼ぼうとして、それすらも呑み込まれる。夜は優しく私と光を包んでくれる。包み隠して、私と彼の罪をあやふやにした。応えるように腕を回して、瞼を下ろす。
言葉はいらない。
いつだって、私と彼の間には、不都合しか転がっていないからだ。
「みさと」
「な、に」
「もうヤらないんだろ?」
「そ、だよ」
「今日だけ?」
「そ、う」
「終わったら全部忘れんの?」
「忘れ、る」
「じゃあ、言わせてよ」
言葉はいらないのに、どうして、この声に、乗せて、その耳に吹き込んでしまいたいと思うのだろう。
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