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きみはあくまで
熟れてどうしようもないくらいに張り詰めた果実は、まるで瘡蓋を剥がした先にある生乾きの傷跡のようだ。
永遠に乾くことなく、その場で熟れ続けている。腐りそうに見せかけて、完全に密閉された空間では酸化することもない。ただ熟れるだけの存在は、永遠にこの体の一部として稼働して、俺の今日を支配した。
「前田さん、また新しい彼女ですか?」
呆れたみたいな言葉で呟いた女が、稟議書を渡しながら悪態をついている。ただ一言「確認します」と吐いてから、頰に阿呆らしい笑みがこびり付いた。胡散臭いと笑ってみせろよ、どうせ事実だ。
1人、言葉に出すでもなく心に浮かべて、何も言わずに去っていく後ろ姿に瞼を瞑った。
瞼の裏に浮かぶ女が、髪を乱して俺の瞳を無遠慮に刺してくる。血が出そうだ、勢いよく刺された右目は自由を手放して、ただその女を見つめていた。ほんの刹那に思い浮かべて、現実に引き戻される。どうしようもなく甘く、熟れた匂いが香った気がした。
オフィスの空調は常にバッドコンディションだ。乾いて仕方がないここでは加湿器がフル稼働している。それでも誤魔化せない空調の悪さに、半数以上の社員がマスクを常備しているほどだ。
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