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6:中山風太
6
「中山くんって、いつも真面目に勉強してすごいよね」
「そうだね。同じクラスにいてすごいと思う」
「友達になりたいなぁ」
小学3年の風太の前で、クラスメイトたちが言う。少し嬉しかった。面向かって褒められるのを真に受けたわけではないが、それでも嬉しかったのだ。
「中山って、何を考えているのかわからなくて気持ちわるいよねぇ」
「そうだね。あんな奴と同じクラスになりたくなかったなぁ」
「友達になりたくないなぁ」
風太のいないところで、同じクラスメイトは影口を言う。少し悲しかった。真に受けるべきは面向かって言われることではないということを再認識したのだ。
風太はもとから人間不信であり、人間はそういう裏表があるとは知っていたが、心に予防線を張っていたが、それでも傷ついた。こういう裏表のある人々の風評を聞くのはよくある。その度に「人間は腐っている」と思うのである。
表向きはどんなにいい人であっても、影では悪いところは出てくるものだ。表向きはどんなに悪い人であっても、影ではもっと悪いところが出てくるものだ。どちらにしろ、裏の顔は怖くて悪いと相場は決まっているのだ。
人と交流を持てば、そういう見たくないところが見えるものである。それは風太にとっては気の病むことであり、避けなければならないことである。だから、傷つかないように、人から離れて、人に興味持たないようにした。
大学生にもなった今も、風太は人に興味ない。死ぬほど興味ない。興味ない性質が長年かけて血肉化されたのだ。
人の名前と顔を全く覚えられない。アルバイト先でよく話しかけてくれる先輩もいるが、それが誰なのかは話しかけられるまで気づかない。その程度の人間だ。
もちろん合コンも女性も興味ない。先輩から合コンに誘われた時も断ろうと思った。好きでも嫌いでもなく、ただ単に興味がないという理由だった。
人なんかみんな同じで腐っていると思った。良くしてくれる先輩も影ではどす黒いことをしているはずだし、合コンに集める人も影で何をしているのかわかったものではない。出会って傷つく前に断ることが風太のセオリーである。
しかし、経験として、職場での人付き合いとして合コンへ行くことにした。なぜなら、親からそういうふうに注意されたからだ。あまりに人に興味がなさすぎる息子を憂いた親が、人との接し方をレクチャーしたのが昨晩のことだった。
タイミングよく得た忠告に従って、風太は合コンの誘いを承諾した。それは風太にとっては冒険だった。今までの物事に興味を持たない人生と正反対の、物事に興味を持つ方向に舵を切る小さな大冒険である。
「佐藤先生の目、可愛い一重でしょ? 私なんて目が無駄に大きくて嫌よー」
「そんなことないですよ。鈴木先生も可愛い二重ですよ」
「鈴木先生って、スラっとしてスタイルがいいのよ。私なんか、無駄に胸が大きくて嫌になっちゃう」
「いやー、胸が大きい人もいいですよ」
「わたしー、2人と違って男性に頼らないとダメなのー」
「そういう女性もいいと思いますよ」
なんとなく美衣が変だと気づく。それはぶりっこだということではなかった。ただのぶりっことは違うと思ったのだ。
どこが引っかかったというものでもなかった。風太もどこが変なのかがわからなかった。思考は渦に巻き込まれた。
表向きは周りを引き立て役に使っている悪いぶりっこだと考えた。そういう人は影ではもっと悪いぶりっこを隠し持っているというのが風太の理論から本来は導かれるものだった。しかし、理論とか根拠はないが、ピンと来なかった。
「ちょっとお花摘んできますー」
「引き立て役大変ですね」
「ぶりっこ、というものですか?」
「申し訳ないですけど、そういう人は苦手です」
周りからは美衣のことで非難轟々だった。しかし、風太は周りと違い、そんなに悪いと思わない。久しく感じなかった違和感を覚えた。
あまりにもぶりっことしてあからさますぎるのである。人に興味がない自分にすら気づくことができる程度の、誰にでもわかる下手くそな演技だった。しかし、ボケとして演じているわけでもなさそうだ。
ボケでもないのにそんな下手くそなぶりっこを演じて何の意味があるのだろうか? 影の発言を聞いたら少しは謎が解明させるかもしれないが、そのチャンスは逃していた。迷宮入りという文字が風太の頭に浮かんだ。
研究対象として気になった。女性としてではなく、謎として興味を持った。人に興味はないけど事件には興味があるということかと風太は勝手に自己納得した。
後に偶然、美衣と再会。
また誰かと合コンしているらしい。らしい、というのは、風太は別のところで友達に連れられただけだから、一方的に見ただけだ。
それは前に合コンしたところだった。同じ場所を多用するのは再び遭遇する可能性が高い場合もあれば、同じところは回避するということで再開しない可能性も高い。理屈をこねたところで、可能性の話は調べていないのでわからない。
そもそもこのあたりはあまりいい店のない田舎に片足踏み込んでいる小都会だったので、選べる店がなかった。だから風太の来た店と美衣が来た店がたまたま同じになるのはある意味仕方がないのだ。もっと言うと、美衣はともかく風太は友達に誘われるがままに来ただけだからどうしようもない。
風太はなんとなく顔を合わせることが恥ずかしくて忍んだ。少しばかり顔を俯けて声を殺したが、普段からそういう動作だったので友達からは不審に思われなかった。目と耳の意識は近くて遠い知り合いに向けられた。
「――さんの目、可愛い一重でしょ? 私なんて目が無駄に大きくて嫌よー」
「――だよ」
「――さんって、スラっとしてスタイルがいいのよ。私なんか、無駄に胸が大きくて嫌になっちゃう」
「――だよ」
「――2人と違って男性に頼らないとダメなのー」
「――だよ」
風太にとってどこかで聞いたような会話だった。デジャブというか再放送というか、解法が定まった数式のように同じだった。そのぶりっこによって導かれる結果は自分の時と同じだと風太は予測する。
「――お花摘んできますー」
「――引き立て役大変だね」
「――ぶりっこ、最悪だね」
「――なんやねん、あいつ」
やはりどこかで聞いたような会話だった。風太が予想したとおり、自分の参加した合コンのときと同様に影口を叩かれていた。風太はこの時、あの時に逃したチャンスを――席を立った美衣が影でどういう言動なのかをチェックする機会を――獲得することにした。
風太は友達に「トイレ」と短く言い席を立った。そして通路に出て、トイレにゆっくり歩きながら美衣を探した。道に迷っているフリのために首をかしげたりして徘徊する。
と、美衣を発見。そこは美衣への陰口がきちんと聞こえている場所だった。陰口を言われて落ち込んでいるのだろうか、と予想をしながら遠くから目を細めて確認した。
すると、悪口を言われている様子を、美衣は遠くから満足そうに眺めていた。見たことのない光景だった。自分の陰口を嬉しそうに聞くものだろうか?
風太は、自分が陰口を言われた時を思い出した。あんな満足そうな表情はできない。どういう心境だろうか?
研究対象として気になった。
後日、運命のいたずらのように風太はまた美衣を見つけた。
また同じ風景を見た。
研究対処として気になっていたら、なんだか好きになった。そして、ある理論を作った。「あの女性が人前でいい事を言い陰口で悪い事を言う大多数の腐った人間と違うのなら、告白しよう」という理論だった。
「あのー、すみません」
「え? あ、はい」
ぬるーっと現れた風太に対して美衣は俊敏に驚いた。美衣は怯えたように目を潤ませながら風太の頭の頂点から足の先まで顔を上下に揺らして確認した。風太はそんなことを気にせず言葉を続けた。
「ちょっと話させてもらってもいいですか?」
「あれー? 失礼ですけどー、前にコンパでお会いしましたよねー?」
美衣は余裕が生まれたのか、一瞬忘れていたぶりっこ口調に戻った。あまりにも鮮やかなその変わり身を見て、逆に風太が一瞬目的を忘れた。
「覚えているんですか?」
「まぁー、なんとなく個性があったからー」
個性、いい意味でも悪い意味でも取れる便利な言葉だ。そう思いながら余裕を取り戻した風太は本筋の前に少し脱線の言葉を投げた。
「それよりも、陰口言われていますよ?」
「もー、そんなこと言わないのー」
風太の告げ口を叱るように言い、影では他人をくさすことを言わない美衣だった。やはり、人前ではいい事を言い陰口では悪いことを言うという大多数の腐った人間とは違うらしい。風太は決心した。
「急に申し訳ないのですか……」
「んー?」
「僕と付き合ってください」
「んー、ごめんなさい」
告白するが、断られる。「なるほど、そうくるか」と風太は思った。断れるところまでは理論化していなかったのである。
「風太、お前、女性に興味あったんだな」
「まぁ、男性ですから」
「しかも、意外と積極的。びっくりしたよ、俺は」
「まぁ、たまには」
「でも、あんなぶりっこはやめておけ。裏でどんなやつかわからんぞ」
「そうですか」
たまたま見ていた友達からも、あんなぶりっこはやめておけと説得される。たしかに一般的に見たら、ああいうぶりっこは苦労する。しかし、普通のぶりっこではないと風太は結論づけたので、説得力を感じなかった。
でも、風太はそこまで恋愛に興味なかったから、忠告通りやめた。そもそも、断られたのだから付き合う可能性はなくなったというのが風太の理論化した考えでもあった。だから、これで風太は美衣と付き合うことなくサヨナラだ。
「この前はごめんなさい。やっぱり付き合ってください」
後日、美衣から連絡が来て――連絡交換していたのを忘れていたのだが――逆に告白される。美衣が説明にするに、風太だけが自分のぶりっこに対して悪い事を言わなかったことが印象に残っているのが理由らしい。ぶりっこを指摘するだけで、その後の陰口に参加しなかった唯一の人物だったから覚えていたらしい。
風太は断られた相手である美衣からの告白という予想していなかった出来事に、そういう場合の理論を作ってこなかったこともあり困惑した。風太は事前に自分なりの理論を作って行動するのを癖にしていたので、アドリブは弱い。理論を作らなかった風太は断っても断らなくてもどちらでもよかったから、受け入れることにした。
「はい。付き合ってください」
「もー風太、どうして連絡してくれなかったのよー、プンプン」
美衣はイチャつくためのわざとらしいぶりっこだった。本気で怒っているわけではなく、甘えたかっただけだ。しかし、風太はそんな文化を知らないのでひたすら謝るばかりだ。
「はぁー。すみません」
「もー、謝っても許さないぞ、プンプン」
「すみません。しかし、そんな怒っているようには見えないけど」
「激怒プンプン丸だぞ、プイッ」
美衣は風太との間にノリの部分で温度差を感じた。こういうことが時々あった。その度に美衣はぶりっこをやめようと思うが、癖になってやめられない。
「鈴木さん、なんか昔に比べたらぶりっこじゃなくなったな」
「ぶりっこじゃなくなったというよりかは、誰かを腐すことをしなくなったな」
「こんなことなら、告白しておけばよかった」
美衣に対する周りの表情は上々だった。相変わらずぶりっこであるはずだが、だいぶましになったので、周りから評判がいいらしい。美衣本人やいつも会う恋人の風太は気づいていないが、恋する乙女は変わるらしい。
ある時。
「鈴木さん、俺と付き合って」
「えー。私には彼氏がいるー」
「俺のほうが君を幸せにできる」
「人を悪く言う人は嫌いなんだー」
「君が彼氏のことを好きでも、向こうはそうとは限らないよ」
「それでもいいんだー、私」
別の男がよっていくが、美衣は断る。それは1度だけのことではなかった。ぶりっこが弱くなった美衣はただのかわいこちゃんだ、というのが周りの男性による評価だ。
そんなモテる美衣に対して、風太は特に何もしない。来るものは拒まず去るものは追わずの精神なのだ。彼女の幸せのためなら、ほかの男性とつきあってもいいと思った。
しかし、その態度は美衣には不快だった。自分が風太にとって大切な存在ではないかと思った。風太との恋愛においては、ぶりっこのときの自己犠牲の精神は存在せず、自分が風太の一番でないと嫌だという自己中になっていた。
風太の家に遊びに来ていた美衣の堪忍袋の緒が切れた。
「――ちょっと、風太、私の話聞いてる?」
「うーん、あまり聞いてなかった」
「前から思ってたんだけどー、私のことはどう思っているの?」
「どうって?」
「好きなの? 嫌いなの?」
美衣が自分のことを好きのかと怒ってきた。そこにはぶりっこの演技はなかった。寝転びながら気のない返事をしていた風太はよく考えたら興味がないから、こう伝えた。
「好きでも嫌いでもないな。興味ない」
「っ! ちぇっ!」
美衣は舌打ちをしてそのまま怒って出て行った。家の外にはヒールの響く音がする。家の中は静かだった。
その音を聞きながら、風太はこれでもいいと思った。そこまで人に興味がないのだ。自分には美衣と合わなかっただけだと達観した。
そのまま振り返ることもせずスマホを手に取りネットサーフィンする。そこには美衣とのデートで調べた検索候補が出てくるのみだった。知らないあいだに美衣が風太の生活の大部分を占めていることに気づいた。
「ま、興味がないから仕方ないか」
「やっぱりあなたのことが好きなのよ」
美衣すぐに戻ってきて、自分が好きなのは風太だけだと言う。その言葉に風太は振り吹いた。美衣視点だと、告白以来、初めて風太が興味を持ってくれた瞬間だ。
「どうしたんだ? 急に」
「わたしのような変なぶりっこに釣り合うのは、あなただけよ」
「釣り合うとか、そんなことには興味ないけど……」
「そういう裏表がないところが好きなのよ」
美衣は頬を赤らめていた。風太は、自分に興味を持つ変な人だとして、美衣に興味があると伝える。美衣はそのまま演技のない笑顔で風太に抱きついた。
風太にとっては恋愛感情があるかどうかはわからないが、恋愛結婚ではないかもしれないが、結ばれることになった。
そういう結ばれ方もあるものだ。
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