After the Earthquake

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 会社に着いた僕は、さっそく係長に退職願を提出した。想像していたとおり、係長はひどく驚いた顔をして、しばらく言葉を失った。そして、三十秒ほど黙り込んだ後で、係長はようやく口を開いた。 「何だって急に退職したいなんて言い出すんだい? 何か会社に不満でもあるのかい? もし何かあるんだったら、いくらでも相談に乗るけど」 「いや、そういうことじゃないんです。どうしてもやりたいことができて、それで退職しようと決意したんです。会社には迷惑をかけてしまうことになって申し訳ありませんが」  僕は係長に向かって深々と頭を下げた。そんな僕を見て、係長は困ったような表情で、小さくため息を吐く。 「いずれにしても、僕の一存ではどうにもできないな。とにかく課長と部長にも相談して、それからの話だな。仮に退職を認めるとしても、残務整理もあるし、今日の明日のっていう話にはならないな。もちろん、君だってそれくらいのことはわかってるんだろう?」 「いや、そのことなんですが。僕は明日以降、会社に出てくるつもりはありません。今日の日のために、仕事はきちんと片付けてきましたから、残務はほとんどありません。引継資料もできていますから、それを見てもらえば誰でも僕の仕事はできるはずです」 「ちょっと待ってくれよ。いきなりそんなことを言われても困るよ。とにかくそれなりの段取りを踏んでもらわないと」  係長は呆れた様子で僕を見ながら言う。だけど、僕の覚悟も決心も揺らぐことはない。おそらくこれ以上話をしても平行線を辿るだけだと思った僕は、自分の机に戻ると、引き出しの中身の整理を始めた。  すぐに隣の席の同僚が、 「急に辞めるなんて、どうしたの?」  と、心配そうな顔をして声をかけてくる。 「ちょっとやりたいことができたんだ」 「だからって、会社を辞めることはないだろうに」 「やりたいことを集中してやりたいんだ。蓄えもそれなりにあるし、仕事に時間を使う時間があったら、それを自分のやりたいことに回したいんだ」 「そうか。寂しくなるな」 「ああ、僕だって寂しく思うよ。だけど、もう決めたんだ」  僕はそう答えながら、引き出しの中身を持ってきた紙袋に詰めてゆく。いつかこんな日が来ることはわかっていたから、会社には必要最小限のものしか置いていない。だから、引き出しの中の整理は、十分も経たずに終わった。
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