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「おい、開けろ!」
追いかけた先のドアの前で、オレは声を張る。
「……」
ドアが開かない。思わずバンバンと力の限り叩いた。これは従業員用の出入り口だろうし、誰かに見つかったらどう考えても通報ものだが、そんなことを考える余裕はなかった。
「春川!」
「……」
「なぁ、春川だろ?! 開けてくれ!」
頼む、なぁ、お願いだから、とまるでなにかに憑りつかれたかのようにオレは言葉を繰り返した。
そのとき向こう側で春川じゃない声が聞こえてきて、ふっとドアを抑える力が抜けた。その隙にドアを開ける。
「ちょっと春川くん、どうかした――って、どちらさまです?」
春川に向いていた視線がオレに向けられた。明らかに警戒の色を含むその視線にかまわずオレは言う。
「すいません、ちょっとこの人に用があるんで借ります」
店内のBGMなのか、G線上のアリアが聴こえてきた。一気に思い出す。春川と一緒にいたときのことを。
もう、手を離してはだめだ。オレは春川の手を握って走り出す。他の店員は目を丸くしたあと、何か言っていたが耳に入って来なかった。
店の裏の路地は人通りが少なく、換気扇や置き去りにされたで自転車なんかがたくさんあった。やけに息を荒くしたオレと春川は膝に手を当てて息を整える。
「おい、なんでこっち見ないんだよ」
俯いた春川がじりじりと後ずさりをして、離れようとしていることに気づいて慌ててもう一度その手首をつかむ。
「春川」
つかんだ手にさらに力を込める。彼は顔を上げない。右の頬に線のような大きな傷ができていた。あのときの傷なのだろう。それは痛々しく、彼の美しい顔にひどく不釣り合いだった。けれど、
「……いや、」
「オレ、顔も見たくないくらい嫌われちゃったの」
「そうじゃない」
「じゃあなに? 嫌なとこあるなら頑張って直すからさ、だから」
「だから違うって!」
春川が振り向いた。頬に大きな切り傷がある。
「……じゃあなに?」
「は? 見てもわかんないのかよ」
「え、なにが?」
「……だから、顔の傷」
「痛いのか?」
「違う。マジで話す気失せるから黙ってろ」
「あ、はい」
「おまえ、俺の顔が好きって言ってただろ」
黙れと言われてしまったので無言で頷く。本当はほかにも好きなところはたくさんあるのだが、声を出すのはやめておいた。
「……というか、なんで気づかなかったんだろうな」
春川がなにを言いたいのかわからなくて、オレは首を傾げる。
「俺の姉にも会っただろ?」
首を縦にふった。すると春川は、なんだか悲しそうな顔をした。
「似てるんだからさ、俺じゃなくてもいいってわかっただろ」
つまり、春川の顔が好きだから、姉でもいいと思われたのだろうか。
「……だからもう、無理だろ。こんな傷あったら」
「…………」
「……なんか言えよ」
「いや、春川が黙れって言ったんだからな?」
はぁ、と春川はため息を吐いた。ああ、彼にため息を吐かれるのも久しぶりだな、となんだか懐かしい気持ちになる。それでも彼の表情はどことなくこわばったままで、なんて言ったら安心させられるのだろうと思った。
「……もういいだろ、俺、」
「オレは春川が好き」
「……だからっ、」
「傷なんてぜんぜん関係ないよ。最初は言った通り顔が好きだと思って声かけたけど、でも話してたら性格も好きだし、意外と優しいとこも、オレのくだらない話をちゃんと聞いてくれるとこも好きだし、あ、でも突然連絡取れなくなるところは嫌いだけど、とにかく、」
早口で捲し立てればあっけにとられたような顔をする。
「好き。大好き。……あ~、これじゃだめだ!」
オレは両手で彼の手をつかんだ。
「抱きたい」
春川は目を見開く。その下瞼のふちに、じわじわと涙の雫が溜まっていくのを、オレは見つめていた。
「……っ、まえ、嫌って言ったくせに」
「あのときはオレのことべつに好きじゃなかっただろ」
「……」
「なあ、オレ自惚れてもいいよな」
祈るような気持ちで、オレは言った。
「……あと一時間でバイト終わるから、待ってて」
「わかった」
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