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「なんで来るんだよ。気まずいとかないわけ?」
翌週、彼の家を訪ねると、彼の声色は明らかに不機嫌だった。
「なんか、会いたくて」
妹に言われた通りの自分本位な発言に我ながら引く。ほかの言い方もあったんじゃないかと思うが、思いつかなかった。それに、メッセージ送ったのに無視されたし。もう来るしかないだろう。
「……もう二度と来ないんだと思ってたけど」
呆れたのかなんなのか、春川は部屋に入れてくれた。玄関で靴を脱げば以前と同じようにスリッパが用意されている。どうやら拒絶はされていないようだ。
水槽のなかのベタを見つめた。ひらひらと尾がゆれる。水面が静かに波打つのを見ていた。
「なに見てんの」
「こいつら、やっぱ綺麗だなって」
はぁ、呑気だな、とまた呆れた顔で言う。春川には呆れた顔のバリエーションが多い。
「あとやっぱ一緒に泳げないのかなって」
「オス同士だからな」
「でも仲良くなれるかもしれないだろ」
「仲良くなれないかもしれない」
傷つけあったらどうすんだよ、と彼が言った。
「そっか……」
それは悲しい、だからこれが正解なのだ。まだ少しもやもやしたけれど、
「そんなことより、もう来ないんだとばかり思ってたんだけど」
彼は玄関で言った言葉を繰り返す。
「え、なんで?」
「引かなかったのかよ」
「……驚きはしたけど」
変な奴、と春川は言った。
「またやめろって言いに来たのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
「じゃあなに」
「……なんだろう」
オレが首を傾げると、また呆れた顔とともにため息を吐かれる。
「会いたかったから来た、それだけなんだけど」
気持ち悪い。吐き捨てるように、小さな声で春川が言った。
「会いたいから来た。でもキスもセックスもしない。じゃあなに?」
なにがしたいんだよ。絞り出すような小さな声は苛立っているようだったが、その顔を見たらなぜか泣きそうに見えた。どうしてそんな悲しそうな顔をするのだろう。オレは今彼を傷つけているのだろうか。オレは彼に傷つかないでほしかっただけなのに。
鋭い瞳がオレを見つめていた。なんて答えたらいいのか自分でもわからなかった。
「なにと言われても……」
「馬鹿にしてるんだろ。憐れな奴にちょっかいかけて楽しんでるだけだろ」
力強い声で彼はそう言った。
「違う、そうじゃない」
「違わないだろ」
「憐れだなって思ってんだよ。貧乏に金を恵むみたいに、愛でも恵んでやろうみたいに思ってんのか?」
こっちから願い下げだと彼は吐き捨てるように言って背中を向ける。
「おまえの話はきれいごとばっかりだ。本当はそんなことなんて思ってないか、思ってたとしてもすぐ忘れていくような、そんなものだろ」
「……ちが」
「おまえのきれいごとはぜんぜん頭に入って来ないんだよ。そんなの俺のほしいものじゃない」
「……はるかわ」
「なあ、ヤろうよ、俺の欲しいものくれよ」
端正な顔がぐっと近づいた。
身体を明け渡したら彼は満たされるのだろうか。特別じゃない誰かになって、それで満たされるのだろうか。たくさんいる男のうちの一人になっていくのはごめんだった。
「今身体だけ手にいれても仕方ないだろ」
けれど本当に春川が好きなんだ。なんで通じないのだろう。どうしたら伝わるのだろう。
あの男の代わりになりたいわけじゃないのだ。それは彼に伝わっているのだろうか。
「帰ってくれよ。もう二度と来るな」
背中を押された。顔は見えなかったけれど、泣いているような気がした。
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