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たまたま次の日も学食の前で彼に会った。昼の時間帯なこともあり、入口付近であるここも学生でごった返していたが、彼のまわりだけ別世界のように見えた。スマホを弄りながら学食の白い壁に寄りかかっている彼はまるでどこかのモデルのようで、話しかけるのに勇気が必要だった。
「は、春川」
名前を呼ぶと彼は視線だけをこちらに寄越した。そして、呼びかけたのがオレだとわかるとほっとしたような、がっかりしたようなよくわからない顔をした。後者ではないと信じたい。
「あ、スマホ、あったんだな」
右手に握られたスマホを見てよかったなと言うと顔を顰められた。
「おまえは馬鹿か?」
開口一番に馬鹿だと言われてむっとしないわけではないが、その表情にさえもぐっときてしまうのだから救いようがない。
「あれは断る口実」
「……あ、そ、そっか、そうだよな」
きっぱりと言い切られてしょぼくれながら、わりい、と言って頭を掻く。今考えればそうだろうなと思うが、まったくそんなことも思いつかなかった。彼の雰囲気や口調を見るかぎり、きっとしっかり者で強く正しい人間なのだろう。でも、これは予想と妄想でしかないので、ちゃんと知りたい。もっと近づきたい。
「……」
オレの存在なんかまるで無視して春川はスマホの画面を見つめる。そして、なにかの通知を見た瞬間にほっとしたように壁に寄りかかったまま、ずるずるとしゃがみこんだ。なにが起こったのかわからなくてオレは慌ててしまう。
「なあ、どうかした?」
「気分が悪い」
「えっ、大丈夫か?」
どっかで休むか? 水でも買ってくるよ、と学食の入口横にある自販機を見ながら言えばさらに気分が悪そうな顔をして彼は言った。
「おまえが目の前からいなくなったら気分が良くなる気がする」
「え、あ……」
なるほど、いなくなれと言われているらしい。どうやら今のは全部演技だったみたいで、彼はさっと立ち上がるとオレに冷たい視線を向けた。まだ二回しか話していないのに、なぜかもう嫌われているような気がしてならない。他の人とはすぐに仲良くなれるのに、今回に限ってうまくいかないのはどうしてなんだろう。ちょっと悲しい。なんて言えばいいのか考えているうちに、彼は歩き出してしまった。
「あ、あのさ」
後ろ姿に声をかける。昼の喧騒に紛れてオレの声が聞こえないのか、彼はふり返らない。焦って変に足がもつれ、すれ違った学生と肩が当たる。ぺこぺこと頭を下げて謝っているうちに、彼はどんどん先に行ってしまう。
「あのさ!」
やっとのことで追いついて、さらに大きな声を出す。すると、彼が足を止めた。
「ほんと、うるせえな」
「お、おお……思ったより口悪いんだな」
「期待を裏切ったなら消えてくれないかな」
アイロンがしっかりとされた綺麗なワイシャツを着こなし、ベージュのスキニーを穿いた彼は、涼しげな目元も相まってすごくクールな印象を受ける。が、ここで引くわけにはいかない。
「え、やだ」
「……変態かよ」
また彼が足を進める、がもう早足ではなかった。オレは横に並び彼の顔を伺いながら言う。
「昼って、もう食べちゃった?」
「……」
「よかったらお昼一緒に食べませんか?」
必死過ぎて敬語になってしまった。春川は少しも考えずに「嫌だ」と即答する。まあ、正直予測はできた。
「メリットがない」
きっぱり言われてしまう。奢るから、と言ってもそんなこと望んでないと言われてしまう。
「で、ですよねー……」
「うん」
「ぜ、ぜったい楽しませるから!」
「……」
オレが引かないと判断したらしい。彼は渋々といった感じで了承してくれた。
大学近くのファミリーレストランに入り注文をした。先に運ばれてきたサラダを食べる春川を見て「女子かよ」と言えば「食べるものに性別は関係ない」と言い返されてしまう。たしかにそうだ。
オレは手持ち無沙汰で、もう注文したというのにまだメニューを眺めている。というか、見るものがないと彼に対して妙な視線を送ってしまいそうで少し怖かった。自分から誘っておいてなんだが、正面、しかもすぐ近くに彼がいるのは緊張する。
「なんで俺に纏わりつくんだよ」
めんどくさいし、目障りなんだけど。春川はそう言ってオレの目をまっすぐに見た。正直そんな綺麗な瞳でまっすぐ見られるとドキドキするのでちょっと控えてほしい、そんなことはもちろん言えないけれど。
「いや、昨日中世の哲学思想の講義で見かけて」
「哲学の話でもしたいのか?」
「えーっと、いや、そういうわけではないんだけど」
というか、講義をろくに聞いていなかったのでその話はできない。
「じゃあなに」
おしぼりの袋を弄りながら、春川は淡々と問う。
「春川のこと、知りたくて」
ぱっと思いついたまま言うと、変な奴だな、とでも言いたげに眉間にしわをよせた。
「……もしかして親のことでも聞き出したいのか?」
「え? いや春川自身のことが知りたくて」
もう一度同じことを言う。二つ隣のテーブルに座っていたカップルが一瞬こちらを見た、ような気がした。なんだか変なことを言ってしまったような気がして視線を下げる。
「……変わってんね」
その声に顔を上げる。よかった、怪訝な表情はされているが、すごく嫌がられているというわけではなさそうだ。
「で、なに?」
「え?」
「なんか質問あんだろ? してみてよ」
いいの、と訊くと小さく頷いた。表情が少しだけ楽しそうになった、気がする。オレは今からなんでも質問できるのかと思うと舞い上がってしまって、頭がろくに動かなかった。
「学年は?」
「二年」
「オレと一緒だ。なんで一年のとき見かけなかったんだろ」
「さあな」
「第二外国語なんだった?」
「フランス語」
「あ、なるほど。オレはスぺ語」
「……そう、」
「出身は?」
「神奈川」
「今は都内で一人暮らししてんの?」
「うん」
「いいなー、オレ家近いから一人暮らしできなくてさ」
ふうん、と春川がつまらなさそうに言った。まずい、なにかもっと話が盛り上がるような話題を、と思うがまったく思いつかない。
「うーん、じゃあ誕生日は?」
「一月」
春川なのに春じゃないんだ、そう思ったが、言ったら馬鹿にされそうだったのでいったん落ち着くことにする。
「……一月何日?」
「おまえ今春川なのに春じゃないんだって思っただろ」
「……思った」
そう言うと春川の頬が一瞬緩んで僅かに笑ったような気がした。そしてそのまま「やっぱ馬鹿なんだな」と言われてしまう。馬鹿にされたことはわかっているのに、その柔らかい表情に自然と口角が上がりそうになってしまって、慌てて口元を押さえた。
「で、そのとき……わ、悪い、つまんなかったよな……」
なにを喋ればいいのかわからないまま空回りして十五分、オレたちの間には淡々とした相槌と沈黙ばかりが流れていた。
「うん、つまらない」
「……だよな」
あれだけ豪語しておいて恥ずかしい。返す言葉もなかった。普段ならくだらない話なんていくらでもできるのに。
「ごめん……」
そう言ってオレが椅子を引いて立ち上がろうとすると彼がきょとんとした顔でこちらを見た。
「どうした」
「楽しませられなかったから帰らないとって」
「は?」
まさに開いた口が塞がらない、といった感じで、春川は口をぽかんと開けてオレを見つめている。
「ほんとごめん、」
「これどうするんだよ」
彼はちょうどオレの前に運ばれてきたリゾットを見つめ、食べるだろ、と呆れたような表情で言った。出会ってまだ二日だが、オレは彼のこんな表情ばかりを見ているような気がする。
「……まだいてもいいの」
ぱちりと彼が瞬きをする。女子のつけ睫毛みたいにばさばさとしているわけではないが、細く長いそれが目に入ってしまわないかと心配になった。
「いいもなにも仕方ないだろ」
「ありがとう」
また変な顔をされた。信じられない、と言っているみたいだった。
「あ、これ美味しい」
期間限定商品だという魚介のリゾットは出来たてで、驚くほど美味しかった。思わず一口食べるか? と言うとまたさっきと同じ表情をする。彼から見たらきっとオレは気持ち悪い不審者でしかないのかもしれない。たしかにそう思われてもしかたがない。気にするのは今さらなので、もう開き直ることにした。
「男同士ならべつにふつうだろ」
嘘をついているつもりはないが、ちょっと無理がある苦しい言い訳みたいになってしまった。取り返しのつかない下心の滲む発言に冷や汗が出てきたし、心臓の鼓動はどんどん速度を上げていく。
「嘘だろ」
「ほ、ほんとだって」
ああこれ無理だ。怪訝な顔ばかりしてオレを見る彼が騙されてくれるわけがない。
絶対断られると思った。なのに、彼は少し考え込んだあと、少し身を乗り出して顔をオレのほうに突き出すと、口を薄く開いた。
「え?」
「くれよ」
「う、うん」
手がふるえた。これは仕方ない、不可抗力だ。自分に言い聞かせて落ちつこうとする。
彼はスプーンをぱくりと咥えて、一瞬オレを上目遣いで見つめた。オレはなぜかとてつもなく慌ててしまい、不自然に目を逸らす。
「……ん」
……正直に言うと、下半身にきた。
「これ美味いな、ありがとう……って、どうかしたか?」
「い、いやちょっとドキドキして」
「は?」
美味しかったならよかったよと、オレは慌ててそう言って手をひっこめる。自分からやりたがったくせに挙動不審になってしまった。
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