50人が本棚に入れています
本棚に追加
春川が引っ越した先は去年と二駅しか変わらなかった。案外近くにいたのに見つけられなかったことがわかって、少しやるせない気持ちになる。
準備するから、と言って浴室に向かった彼を、そわそわしながら待っていた。シャワーの水音が聞こえる度に、心臓がどくどくと高鳴った。
「お、大型犬が待ってる」
「おとなしく待ってたから」
僅かに頬を上気させている姿に緊張が加速する。
「おー、ご褒美やらなきゃな」
「っ、な、」
「なに妄想してんだよ変態」
床に座るオレを上から覗き込むようにして、春川は不敵に笑った。
「でもいいか、ヤる?」
「……え、あ」
言葉に詰まる。それはオレが拒絶しながらも、痛切に待ち望んできたことだった。
「なんだよその顔、おまえほんとに、」
「ん?」
「ほんとに俺のこと好きなんだな……」
春川は目を丸くして、淡々と言った。その言葉には揶揄いの意味は含まれていないとわかったけれど、それでも顔がかっと熱くなった。
「そ、そうだよ」
伝わったらいい。他の誰とも違うということが、彼に伝わったらいい。
本当は、突然連絡が取れなくなったことを責めたい気持ちがあった。なのに、そんなことどうでも良いと思ってしまう。
「店長にびっくりされたわ、突然抜け出したから」
「いや、ほんとにごめん」
「それにしても、そのTシャツ」
すぐにわかったと春川が言う。今日着ていたのは、一緒に映画に行ったときに買ったものだった。
「後ろ姿がおまえに似てる人とか、おまえが持ってたものと同じものとか、そういうものを見る度におまえのこと思い出した」
「オレはずっと春川のこと考えてた」
必死だったのだ。ずっと、春川に会いたかった。ただそれだけ。それだけのことが、途方もなく難しかった。
「会いたかったんだ。本当に」
なにかが喉の奥から込み上げてきて、声が掠れる。
俺もおまえにずっと会いたかった。春川はそう言った。
最初のコメントを投稿しよう!