春の温度

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「はーるかわ」  またおまえか、という視線でも顔を上げてくれるだけで嬉しい。先週と同じ講義を終え、大教室を出ると階段の下に春川の後ろ姿が見えたので慌てて追いかけて来たのだ。 「今日はおまえに構ってる暇ないんだよ」 「今日以外ならかまってくれんの?」 「おまえが無理やりかまわせてんだよ」  大型犬かよ、と言って呆れた顔をする。その表情ももう見慣れたものだった。 「てかなんで? これから講義?」 「なんでおまえに教えなきゃいけないんだよ」  そう言われてしまうと言い返せない。その発言はずるい。でもオレは負けじと言い返す。 「え、教えてよ」 「……」 「無視すんなよ」 「邪魔」  やはり本当に嫌われているのかもしれない。オレの存在を完全に無視して彼はスマートフォンの画面を見つめた。続けて声をかけてみるが、もちろん返事はこない。 「急ぎの用があるなら手短に話せ」 「い、いや、とくに急ぎの用はないけど」 「そう。じゃあ」  行かなきゃ。そう呟いて、彼が離れていく。一瞬だけ視線が絡みあって、どこに行くのかと訊いてみたが教えてはもらえなかった。彼は無表情だったけれど、なんだか違和感があって、けれどその違和感の正体まではわからない。近づけたその手が虚しく宙を彷徨う。彼の肩を強く掴んで引き留めたい、そう思うだけで行動には移せなかった。 「今話してたの誰?」  ふいに後ろから声をかけられてオレは反射的に勢いよく振り向いた。 「お、おう」  そこにいたのは同じサークルで、一年のときの必修のクラスが同じだった鈴木だった。一年のときはオレと同じくらいの大人しめの茶髪だったのに、今じゃ金に近い色になっている。 「おうじゃなくて、訊いてんだけど。つかおまえ久しぶりじゃね? 部室もあんま顔出さないしさ」 「あ、ああ、久しぶり」 「どうしたんだよ、体調でも悪いのか?」  鈴木はだぼっとした黒のパーカーのポケットに手を突っ込んでオレの隣に並んで歩き出す。 「いや」 「なんだよ、あ!」 「ん?」 「もしかして振られたとか?」 「……」 「やっぱり! な、話聞かせろよ」 「えー……」  オレとしてはもう次の恋に走り出してしまっているので、ふり返るつもりなど微塵もないのだが、それはそれでどうかなとも思ってしまい、気づけば曖昧に頷いていた。  おれ空きコマ暇だったんだよ~、と斜め前を歩きながら呑気に言う鈴木を見ながら、なんだよオレは暇つぶしの道具かよ、と思う。そう思ってから、春川もオレに対して同じように思っていたんじゃないかと不安になった。さっきなにか言っておけばよかったのだろうか。 「てか思い出したわ。おまえあいつと友達だったの?」 「え? まあ、」  なんで、と訊き返すと、アイツ学年ではまあまあ有名だから、と返ってくる。 「え、」 「親が有名人なんだよ」 「そうなの?」 「は? 知らないまま喋ってたんか?」  知っているのがあたりまえだとでも言うみたいに話されて驚く。母親はピアニスト、父親は有名弁護士らしい。 「まあ、おれも詳しくは知らねーけど。しかもそれであの顔だろ? 最初は女子にすげえ囲まれてたんだわ」 「知らなかった……」 「相手にされないってわかってつきまとう奴は減ったみたいだけど……今も一年とかは憧れてる子多いって」  ムカつくよな、と言って鈴木が長く息を吐いた。 「なんでだよ。ムカつかないだろ」 「なんか恵まれてるって感じでさ」 「……」 「まー、そんなやつの話はさておき、振られた話聞かせろよ」 「えー……」  オレとしてはもっと春川のことを聞きたかったのだが、けっきょく言い出せずに振られた話をするはめになってしまった。 「で、なんて言われたの」  オレを見てにやにやと笑う鈴木にオレは顔をしかめる。 「なんでそんなところまで言わなきゃいけねえんだよ」 「だって、気になるんだもーん」 「黙っとけ」  あ、あれ、噂をすればじゃん、と鈴木は小さな声で言い、視線だけを部室棟の入口に動かした。 「てか、なんでセンパイと一緒にいるんだろうな」 「……え?」 「ほら、あれ、」  完全に春川だけにピントを合わせていたので気づかなかったが、よく見れば彼が一緒にいる奴は同じサークルの先輩だった。四年生だからあまり関わりがなく、その上そのなかでもあまり顔を見ない人だ。どんな人かどころか名前さえ記憶が曖昧だ。正直そこまで興味もなかったが、今突然詳しく知りたくなった。 「どうしたんだよ」  乗んねえの? と先にエレベーターに乗り込んだ鈴木がきょとんとした顔でオレを見ていた。オレは言われるがまま足を進めたが、頭のなかはさっきの光景でいっぱいで、鈴木の声にもろくに反応できなかった。光る四階のボタンをぼうっと見つめながら、春川のことばかり考えている。
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