春の温度

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 待ち合わせ時間ぴったりに春川がやってきた。来てくれると信じようとはしていたが、やっぱり本当に来てくれるのか不安でもあったので、彼を見た瞬間に一気にテンションが上がってしまった。そのまま思わず駆け寄ると、真顔でじっと見つめられる。 「……あれ? オレの顔になんかついてる?」  深いネイビーのシャツに白い細身のチノパンを合わせた彼は、すっきりとしていて洗練された感じがして、思わず自分が子供っぽく見えていないか心配になる。第一ボタンまで留めているのは、彼が几帳面なのが影響しているのか、それとも、あのときにやられた痕が残っているからなのか。 「……知らねえよ」 「でも来てくれるとは思わなかったな」  優しいな、と思っていたら口に出していたみたいで、それを聞くなり春川はため息をついた。 「そうじゃねえよ、脅したのおまえだろ」 「……ごめん」 「なんなんだよ」  おまえほんとわけわかんねえ、と歩きながら隣で春川はいつもの顔をした。 「いいよ、今日知ってもらうから」 「べつに知りたくもねえよ」  強気で言ってみたが変な顔だと言われてしまった。その綺麗な顔で言われるとちょっと傷つく。 「来てくれるとは思ってなかったんだろ」 「うん」 「来なかったらどうするつもりだったんだよ」 「え、そのとき考える。電話するとか?」  でも春川の連絡先知らないわ、と言うと馬鹿だなと言いたげな視線がオレに突き刺さる。続けて、家に行くとか、と言ったらげんなりとした顔をされた。そもそもそういう意味で言ったわけじゃない、と彼は言うが、そういう意味、がどういう意味なのかよくわからなかった。 「……まあでもほら、やっぱけっきょく連行されそうだから最初から来たほうがマシだったわ」  家教えなきゃよかった、と春川が言う。 「連絡先も教えてよ」 「絶対嫌」 「……ふふ、」 「なに、気持ち悪いんだけど」  思わずにやけてしまうのを抑えられそうになかった。だって、来てくれただけで十分嬉しいのだ。行こう、そう言ってオレは足を進める。後ろから「ほんと気持ち悪……」と声が聞こえた気がしたがこの際どう言われようが気にしないことにした。 「なんで来てくれたの?」  映画館に行くつもりだった。もうチケットを取ってある。 「おまえに脅されたから」 「……だよな」 「あと、」 「ん?」 「行かなかったら捨てられた犬みたいな顔して待ってそうだったから」  春川がぽつりと言った。 「え、なにそれ」 「言葉通りの意味だよ馬鹿」  馬鹿って……とちょっと反論を試みようとするが実際馬鹿なのでなにも言えない。 「まあさっき聞いた感じだと家に押しかけられそうだったし」 「やっぱどっちみち来たほうがよかったな」  オレは頭の後ろで手を組んで呑気に言うと、彼はムッとした顔をする。その表情さえ可愛い、なんて言えるわけがないけれど。 「おまえが言うなよ」  いいじゃん、と笑えばなんでだよと春川が僅かに笑った気がした。 「今さらだけど」 「ん?」 「どっか行きたいとかある?」 「帰りたい」 「そうじゃなくて!」 「……人が少ないとこ」 おそるおそる「映画は許されますか」と訊けば少し考える素振りを見せたあと「仕方ねえな」と返ってくる。 「やった、あざす!」 「うるさい」 「ごめん」  口を閉じたら開けなくなった。急に春川とふたりきりで一緒にいることを意識してしまって、身体の右側だけがやたら熱い。もっと薄着にして来ればよかった。緊張する自分とやたらと強い日差しを恨むが、今さらどうしようもない。  ちらりと隣を見ると、明るい日差しに照らされて、彼の肌はいつもよりも一層白く見えた。 「大丈夫?」  ふと、彼がどこかに行かないように、腕をつかんで歩きたい衝動に襲われた。無意識に零れ落ちた言葉に彼は首を傾げる。 「なにが」 「……いや、」 「なんだよ言えよ」 「……なんか消えちゃいそうに思えて」 「は? 俺が?」  こくりと頷けば「おい、俺のこと吸血鬼かなにかと勘違いしてんじゃねえだろうな」と怒られる。 「ちょっとしてたかも」 「は? なに言ってんだおまえ」 「たしかに俺は引きこもりだけど」  吸血鬼ではない。あたりまえだ。日焼けしないといいけど、と両手を顔に当てる彼は、見た目からもわかる通り、日焼けしやすい体質のようだ。 「あ、引きこもりなんだ」  たしかに元気にスポーツをする姿はあんまり想像できない。体育の授業も日陰で見学していそうなイメージだ。体育館のなかでバドミントンくらいなら、いつかつきあってくれるだろうか。 「休日は家から一歩も出たくない」 「……ごめん」 「誰かさんに脅されたからな」  拗ねたような表情が可愛い。木漏れ日に視線を移した。彼の髪が光を反射する。色素が薄いのか、黒というよりか少し灰色がかって見えた。 「肌白くて綺麗」 「は?」  突然なに、と彼が言ってから口を滑らせたことに気づいて慌てる。 「マジで透き通るような肌って表現が似合う奴初めてだわ」 「……俺もおまえみたいな奴は初めてだよ」 「え?」 「なんでもない」  訊き返してみても、それにしても今日ほんと暑いな、なんて話を逸らされてしまう。そうして襟元をぱたぱたと動かして風を入れるその姿を横目に、男の身体にも余裕で欲情できる自分を知る。だから、今日はいつもより暑い。彼の暑さの理由もオレと同じだったらいいのに、そう思った。
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