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*新月に灯る足跡の先
終電を逃してしまった残業終わりの私は、何を考えるでもなくぼんやりと家までの道を歩いていた。
1月ともなると、夜の冷え込みは芯から体を凍り付かせる。ちょうど新月の夜で、いつもにも増して夜の暗さが深かった。代わりに、冷え切って澄んだ濃藍の空では星々がここぞとばかりに輝いている。遙か遠くにある星空の賑やかさと首元を冷やす冬の夜風に、柄にもなく寂しさを覚え「女性の一人歩きは危ないです!」と心配してくれた後輩の好意を断ってしまったことを後悔する。少しだけだけれど。
ふと足下に目をやると、違和感を覚えた。私の数歩先からぼんやりと淡く光る足跡が道の先へと続いていたのだ。さっきまではこんな足跡、なかった気がする。念のため通ってきた道を振り返って見るが、やはりそこにあるのは露の上にうっすら残る私の足跡のみで、光る足跡などなかった。普段ならばこんな夜は一秒でも早くベッドに潜り込みたくて足早にまっすぐ家へと向かうのだが、このときばかりはその足跡をたどってみたい誘惑に駆られる。まあ、足跡が続く先はいずれにせよ帰る方向だし、私はしばらくそれをたどることにした。
2ブロックほど進むと、普段ならばそのまままっすぐ進むところで足跡は左に折れ、さらにその先、路地の奥へと続いていた。私は足跡に従い、左へ曲がることにする。ひとたび路地へ入ると、先刻までひたすらまっすぐ進んでいたのが嘘のように右へ左へと何度も折れ曲がった。近所にこんな複雑な路地があったなんて、いままで全く知らなかった。
とっくに道順を覚えるのをやめた頃、薄暗い道の先にぼんやりとした灯りが見えた。その前で、光る足跡は消えている。近くまで歩いて行くと、こぢんまりとした看板が立てられていた。
『~夜半喫茶 宵闇~
どうぞお気軽にお立ち寄りください
あなたのための一杯をご用意しております』
「やはんきっさ、よいやみ?」
どうやらそこは喫茶店らしい。路地裏に喫茶店というのはよくあるが、日付も変わったこんな時間に開いているなんて珍しい。ここまで遅くなってしまうと、さらにもう少しばかり遅くなったところで大して変わりない。私は興味の向くまま、その扉を押した。そういえば、私の通ってきた道からは光る足跡が消えていた。
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