本編・第七節 管理と監視

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本編・第七節 管理と監視

 王子の書斎にて――。 「聖水の準備はできているか」 「はっ。万端でございます」 「そうか」 「……」 「では、聖水の配布と引き換えに、職種や年収、病歴、友人など、出来る限り個人情報を引き出せ。それを国民番号に紐付ける」  言うまでもないが、国民番号とは、民一人一人に割り当てられた一意の番号のことだ。民の行動は、そのすべてを管理する必要がある。それは、神に選ばれし支配者としての責任であろう。その責任を、ようやく全うすることができるのだ……。 「もし聖水を飲まない者を見つけたら、国から金を出さないと脅せ」 「はっ。それでも聖水を拒む者がいるなら……」 「国民番号をマークしておけ」  俺の意に沿わない反乱分子が、この国にどれだけいるのか……。言わば、これは踏み絵だった。あの聖女のように、余計な勘をはたらかせられる者がいないとも限らないのだ。いや、むしろいると考えるべきだろう。頭の回る優秀な人材はもちろん必要だが、それは俺に従う者に限った話だ。そうでない者は、見つけ次第、早めに潰しておくべきだろう……。 「すべて、順調でございますね」 「ああ……。やはり、一番恐れていたのは民が蜂起することだった。民の数に比して、我々支配者の数は、あまりにも少ない。その矛を、いかに我々に向けさせないか。それが、支配者としての腕の見せ所、という訳だ」 「彼らは、互いに仮面をかぶっていないなどと言って、いがみ合っていますからね。面白いものです」  この仮面……実は、教典では奴隷の証なのだ。それを民がこぞって付けているなど、滑稽で仕方がない。 「それに、会食や会合を自粛させることで、反乱分子の組織の結成や、組織内の相談を未然に防げるようになりましたからね」 「ああ。それに、どさくさに紛れて、いくつもの法案が通ってしまったぞ。病とは本当に便利なものだな」 「実は、本当に大したことのない病だというのに……。その分、シナリオ作りと扇動は、本当に頑張りました」 「うむ、大義であった」  この病は、偶然見つかった、感染力の極めて高く、そして人体への影響が極めて低いものであった。その感染力と潜伏力の高さは、あの歴代最高とされる聖女でも手を焼いたほどなのだ。あの聖女にすべての病原菌を消し去られていれば、危ないところだった……。  実は、この病を消す方法は、奇蹟の力だけでなく、もう一つある。それは――この病を、ことである。その瞬間、この病は風邪という概念に凋落する。新聞などは、まったく哀れな道化となることだろう。だが、実際には、そのどちらもが現実となることはなかった。そう、我々の勝利なのだ。 「ふはっ……」 「後任の聖女が何か仕出かさないかと懸念がありましたが……杞憂でございましたね」 「当然だ。そのために、もっとも神聖力の低い見習いを聖女へと押し上げたのだからな。教会の奴らもお墨付きだ。して、その聖女は、今どうしている?」  ―――― 「ん……ぅ……」  ミラは惰眠にふけっていた。性欲と食欲と睡眠欲を貪るその姿を見て、これが聖女ですと言われて信じられる民が、この国に果たしてどれだけいるだろうか? 言わずもがな、エリスの一番の付き人であったルゥも、その一人であった。  ルゥは、眠りこけるミラの姿をぼうと見下ろしていた。 「……」 (なぜ……なぜ、私はこのような人の世話をしているのです……。私が真にお仕えするのは、エリス様、ただ一人なのに……) (エリス様が追放されるとき、私は監禁され、御一緒することが叶わず……。ようやく監禁が終わったと思いきや、ミラ様のお世話を命令される始末……) (エリス様……今頃、どこで心細い思いをしておられることやら……。そのことを考えるだけで胸が痛みます……。貴女は、きっとウォルデンに行かれているのでしょう?)  ルゥは意を決したように、抱えていた洗濯物を手放した。  早く旅の支度をしなければならない。そうは思っていても、彼女は最後に、この聖女へ何か一言でも文句を言ってやらなければ気が済まなかった。ルゥはミラの襟首を引っ掴んだ。  パンッ  頬を叩く音が響いた。  目を覚ましたミラは、一体何が起こっているのか、まったく理解できていない顔付きをしていた。 「貴女は聖女なんかじゃありません!」  言い捨てるや否や、ルゥは走り去った。 「ぇ……?」  残された聖女は、侍女の去った扉の向こうを、痛む頬を押さえながら見つめていた。
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