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「そういうことだ」
「それならなおさら返してよ。持ってきたのは私なんだから」
「確かにそうかもしれないけど、そもそも俺がこの話をしなきゃお前はお椀を持って帰ることもなかったんだぞ」
「それならそれで、お椀のほうが勝手に私のところへ来たんじゃない?」
確かに。遠野物語の女に当てはめればそうなる。俺が何も言い返せないでいると、
「とにかく、それは私のものだから」
彼女がお椀に手をかける。俺は無言でそれを拒む。その結果、二人でお椀をつかんだまま引っ張り合うかたちになった。
しばらくそうするうち、力を入れたあまりに互いの指がすべり、お椀は宙にはじけ飛んだ。あっと思うまもなく、それは川の水面にぽちゃりと落ちた。流れは予想外に速く、お椀はどんどん下流へと流されていく。
「ちょっと待って」
ミカはすぐに走り出すものの、川原に転がる大きな石のせいで足取りが覚束ない。
それならばと俺は川に飛び込むのだが、泳ぐには浅すぎた。急いで立ち上がったものの、衣服が水を吸ったために思うように動けない。気がついたときにはすでにお椀は遥か彼方に遠ざかっていた。
俺とミカが呆然とするなか、ついにお椀は見えなくなった。
「くそっ。金持ちになれるチャンスが……」
うなだれる俺にかまうことなくミカが行動を起こした。川原の向こうの茂みに向かって歩き出す。
「おい、どこ行くんだよ」
「もう一度あの家に行くに決まってるでしょ。またお椀を持ってくればいいのよ」
そんなことをしても無駄だ。もうお前はマヨヒガを見つけることはできない。その秘密を知ってしまったのだから。そう思ったが口には出さなかった。
半時間ほど経ってから、半狂乱になったミカが戻ってきた。当然その手には何も持ってはいなかった。
一ヵ月後。
会社の昼休憩にご飯を食べようと外へ出ると、後輩の高橋が擦り寄ってきた。こいつがこういう行動に出るときの魂胆はわかっている。
「なんだ。おごってほしいのか?」
「違いますよ、先輩。いつもお世話になっていますから、今日は僕がご馳走しようかと思いまして」
「なんだお前。どういう風の吹き回しだ?」
俺の視線にへへっと笑って肩をすくめて見せた高橋は、周りを気にするそぶりを見せながら囁くように言った。
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