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しかし、出費が重なるとは言え、高級な店の方が雰囲気があって気分は高揚するから幸太郎は或る夏の晩、圭衣子と花柳界圏外の有数な高級料理店へ行って座敷で彼女に酌をしてもらいながら酒を飲んでいると、突如として独りの女が押しかけて来た。
「まだ芸妓遊びしてはったんか!」
当然の如く幸太郎はギクッとしてそっちへ振り向くと、案の定、誰あろう薊が切歯扼腕して苛立ちを露に立っていた。彼女は偶然、ホストと同じ店に来ていてトイレに行く時、これまた偶然、圭衣子がトイレから帰って幸太郎のいる座敷に入るのを目にしたので、もしやと思って見に来てみたらやっぱりと思うや勃然と色をなしたのであった。
「あ、あの、この子は芸妓やのうて・・・」と幸太郎がどう説明して良いか分からない、また説明できたとしても決して立場が良くならない急迫の事態に陥ると、「何、言うてはりますの!どう見たって芸妓やおまへんか!」と薊は般若の形相でがなった。
「い、いや・・・」
「こんな真っ白、何がええの!」
「い、いや・・・」
「芸妓やおまへんなら何ですの、この白粉は!痣でも隠しとるとでも言いはりまんのか!」
この薊の言葉を聞くなり圭衣子は心臓に刺が刺さったかと思う程、ぐさッと来た。実は彼女の右頬には本当に大きな痣があるのだ。つまり彼女がチャットガールとして成功するには痣を隠す必要がある。それが芸妓のコスプレをする発端となった訳だ。
「おいおい、そないな有りもしない酷いことを言いなはんな」と幸太郎は圭衣子をかばった。「ほんまにおまはんは刺がおおてあかんわ」
「何言うてはりますの!芸妓遊びしてはるくせに!わてに説教する気かいな!」
「い、いや、こんなところで説教なんかする積もりは更々あらへんわ」と幸太郎は言ったところで機転を利かした。「な、どうや、おまはんもここへ来て一緒に飲もか」
「ほんまに何言うてはりますの!あんさん!両手に花とでも気取りたいわけでっか!冗談やあらへんで!」
「冗談やない。それが理想や」
「何が理想やの!そんなアホなことが通ると思いまっか?」
「アホなことかいな」
「そやないか、そうは問屋が卸しまへんえ!」
薊はそう叫ぶが早いか、プイっとその場を離れ、ホストのいる座敷に戻って行った。自分が芸妓に扮すれば、幸太郎を独り占めできるのに芸妓を蔑んでいるからそんな知恵が浮かばない代わりに腹いせとばかりに幸太郎の芸者遊びに対抗してホストクラブに通い出すことになった彼女は、ホストが待っているからあっさり引っ込む仕儀となった訳である。
「ハッハッハ!あれがわての奥様やわ」
「そうどすか」
「けいちゃんとちごうてどぎつくてあかんわ。ほな、他行こか」と幸太郎は言った後、圭衣子と梯子するべく、さっと立ち上がった。
京都ならではの古風な街並みを楽しめる通りや枝垂れ柳が青葉を戦がす白川沿いの通りを歩く二人の姿は幸太郎も団扇片手に絽の着物を粋に着流しているから実に風情があって風流なのであるが、電信柱や電線が玉に瑕なのであった。
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