巨亀を背負う沼地

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巨亀を背負う沼地

 数分の攻防の末、ついに俺の鋭い突きがサライの腹に3発決まった。奥義ミカヅキ。  サライの動きが止まる。  それを見逃さず、俺の渾身の突きが彼の額をとらえ、血を吐きながら後ろへと倒れていった。  だがそれよりも俺は血とともに空中に投げ出されたものを見ていた。  宿主を追い出されたものが次に狙うのはこの俺以外ない。  15センチ程度の細長い蟲。  俺はそいつに火をつけた。  瞬時に火に包む、俺特製の発火装置。  フラッシュファイヤーと名づけた。  焼かれて寄生虫はのたうちまわりながらやがて動かなくなった。  俺は火とともに踏み潰す。  見上げれば緑が眩しいほどの光景。  花が咲き乱れ、虫たちが蜜を吸いに集まる。  色彩豊かなまやかしの楽園。  俺は倒れたままの男に一瞥くれる。  さらば。「トルデ組の剣」と呼ばれた男よ。  俺は汝らを超えて行く。   ついに最後の関門にたどり着いた。  そこでの敵はもう獣でも蟲でもない。  もはや生物が棲むことのできない場所。  先人たちの記録も一切ない。  あるのはロイス・ルイスの旅の記録『魔境制覇』のみ。  あのロイス・ルイスだけが唯一渡り切った場所。 「巨亀を背負う沼地」  大地が沸騰しているようにボコボコと波うっている。  原因は大地から発生しているガス。  それが生き物の生息を許さない。  この沼地に挑む。  もちろんガスマスクはつけない。そんなものは100年前にはなかったのだから。  足を踏み込むとズズっとくるぶしあたりまで沈み込む。  絡みつく泥。  足を抜くだけで一苦労だ。  それでも一歩一歩と足を進める。  足に泥がまとわりつき、その上にさらにまとわりつく。一足ごとに重くなる。  一歩進むのに数十秒、やがて数分となる。  のろいのろい足取り。  巨亀を背負うとはうまくつけたと半ば感心するも、巨亀の更なる意味を知る。  もはや立っていられなくなってきた。  足が重く、ガスのせいでろくな呼吸もできず。  いつしか四足となった。  四足でしか進むことができないどころか、体を支えることさえままならない。  ゼイゼイと息を切らせる自らの音しか聞こえない。  やがて体が動かず、意識が朦朧としてくる。  どのような過酷な状況であろうとも俺ならばと信じて来たのに、体が、体が動かない。  この日のために準備してきたというのに。  その準備がまったく足りていなかった。  その情けなさに、俺ははじめて涙した。  思い上がりも甚だしい。  ロイス・ルイスを超えたいだのと、とんだ戯言だった。  かのロイス・ルイスは突然にこの状況に放り出されても乗り切った。  俺は十分に準備ができる状況にあったのにここで立ち止まらざるを得ない。  ロイス・ルイスは冷静に呼吸を整えこの沼地に挑んだ。  俺は超えてやるぞと鼻息荒く飛び込んだに過ぎない。  ロイス・ルイスは・・・。  俺はここに来て初めて、何故偉大な彼がこの地をグランドスラムの一角に加えたいと提案したのかわかった。  グランドスラムの達成者だけが挑むことが許された難所としたのかも。  ここには先の3つに求められるものがすべてあるからだ。  俺はこの状況をすでに経験している。  生物が生息できない地帯。  そこに挑むための1年間。  ロイス・ルイスは冷静に呼吸を整えこの沼地に挑んだ。  俺も自らの呼吸を整え。 「霊峰、宝山」を「ぶし」たちと登ったときのことを思い出し。  あれだけ重く感じた体が自然と動き始めたのだ。  俺は最後の関門「巨亀を背負う沼地」を渡り切っていた。
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