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【私、あの事知ってますよ】
だがしかし気づかれていないはずだ。顔も変え、名前も変え、あの時代の自分を覚えている人でも今の私を見て気づくはずがない。
SNSでのバズ、何万を超えるフォロワー、マスメディアでの人気、本の売り上げ、どれもこれも暗黒のあの時代には消して見せなかった顔だ。
”いじめをいじめる方法”
今30万部を売り上げている私の本だ。数々の教育機関からも評判がよく、今日も講演会に呼ばれてその会場に向かっている。今日は30年ぶりに自分の母校へ足を運ぶ。当然母校である事などは隠しており、名前も顔も違っている私に気づく人は誰もいないだろう。そもそもあの時の先生が学校に残っているとは思えない。私は校門をくぐったタクシーの中から初めての学校を見るような表情をしながら、懐かしい並木を眺めた。
【あなた、伸彦ですよね】
講演会場にはお客さんがすでに入り始めているようだ。私は自分より若そうに見える校長に講演前に校長室へと促された。しかし私はそれを拒んだ。校長室だけには行きたくない。あそこだけは。
代わりにと通された美術室で、椅子に座った。黒板や時計、机や椅子、美術室の様子は自分が通っていた時と何も変わっていなかった。しかし何か違和感を感じていた。
「やっぱり伸彦だ」
美術室の入り口で校長が私を見て笑った。校長の顔には全く見覚えが無い。私の知らない同級生だろうか。しかし同級生だとしたら若すぎる。どう見ても20代後半だ。そもそもこんな若い人が校長というのは違和感を感じていた。
「伸彦?誰かとお間違えですかね?」
私の心は震えていたが、表面には出ていなかったはずだ。校長はそんな私の心を読んでいるかのように、笑った。
「間違えてなんかないよ、伸彦」
女校長というのはおかしいと思っていた。ここまで誰も人がいないのもおかしいと思っていた。そもそも校長室に案内されるのもおかしいと思っていたし、偶然とはいえ母校に呼ばれるなんて何かおかしいと思っていた。時計が止まっていることにすら気づけていない自分がいた。おかしい、おかしい、そのおかしさに気づく危機感を私はなくしてしまっていたのか。
「ねえ、伸彦。あなたの事を唯一知ってるのは私だけだよ」
脳のずっと奥の方で何かが悲鳴をあげている。あれは昔の私か。私はいじめを無くしたかった。中学時代の自分を救いたかった。絶望の学生生活の中、希望の光になる言葉を偶然ネットで見つけた。泥棒を捕まえたかったら泥棒に学べ。だから私は高校時代に。
「ねえ、伸彦」
校長の顔が見る見るうちに変わっていった。私はハッとした。校長の首に少しづつ縄の跡が浮かび上がり、そして校長の体は少しずつ浮かび始めた。
私は何十万、いや何百万の人を助けているんだ。そのために犠牲が必要だったんだ。私は復讐をしているんじゃない、救済をしているんだ。中学時代の自分を、そして何人もの自分と同じ人達を。
気が付けば校長の体は、天井から伸びた縄にぶら下がっていた。まるであの時の校長室のそれのように。
「変わってよ」
既に廃校になった学校の校長室で、自殺が発見されたのはこの時から十年後の事だった。
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