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仁はグラウンドにおりると、真っ先に藤棚の方へと向かった。屋上にいたときはまだ残っていた生徒の影はだいぶん少なくなっている。おかげで目当ての人物がすぐに見つかった。
「空来」
呼びかければ、ちょっとおどついた少女が藤棚の影から姿を現す。彼女は仁を見て、それから屋上の方を見上げる。彼女が見つめているのは、そこにいる理世だ。空来もまた、理世の姿が見える人間だった。そもそも最初に理世の幽霊を見つけたのは空来の方だ。一緒に登校していたとき、屋上を見上げて怯えている彼女から理世のことを聞いた。それでようやく、仁も理世にきづいたのだ。
多分、理世の幽霊になった理由の考察は正しい。彼女を忘れない者、忘れられない者がいる限り、彼女は消えることがない。世間から彼女への関心が薄れれば薄れるほど、彼女も確かに薄くなるのだろうけれども、誰か一人でも覚えているならば、理世は消えない。
「空来、安心してくれ。理世が自殺にきみは関係ない」
ショートカットのウルフヘア、小柄な体躯、ちょっと自信のなさそうな立ち姿。理世とは真逆の性質である空来が、仁が今付き合っている彼女である。もう二年になる。
そして、理世が自殺前にいじめていた相手でもあった。
空来はいじめに関して周りには隠していた。それでも知っている者は知っていて、理世の自殺の原因は彼女ではないかと疑われたのだ。仁がいじめについて知ったのもそのころだ。
いじめられていた側が自殺の原因とはこれいかに。だが、死んだ人間は強い。問答無用に正当化される。
いじめられるほどのことがあったのならば、空来の側に相応の理由があったのではないかと、理世の両親や教師たちに随分と責められたらしい。
空来はかつて、理世と別れて消沈していた仁を慰め、救ってくれたのだ。それが、付き合うきっかけにもなったのだが…空来が人を死に追い詰めるような人ではないことを、仁は誰より知っていた。
理世の幽霊が現れてからは、空来は理世を恐れていた。周りが彼女を散々に責めたせいもあるだろう。空来はなにも悪くないのに…いつか理世に呪い殺されるんじゃないかと怯えていた。
空来を安心させたくて、だからどうしても仁は理世の自殺理由を知る必要があったのだ、
ようやくそれが叶った。仁はが理世との話を空来に説明すると、だんだんと空来の青白い頬に赤みがさしてきて、それが嬉しい。
「自分の人生を、人生の足あとなんて表現してさ。魔法のステッキとか。
彼女はただ幼稚な夢想者なだけなんだ。空来が気にするようなやつじゃない」
現実逃避者。自分勝手。自己愛主義。理世を表す言葉は色々あるだろう。その全てが辛辣な評価にしかならなくて、仁は冷笑した。なんであんな子に昔は憧れていたのか。
理世よりも、空来の方がよっぽどいい子じゃないか。可愛そうな子じゃないか。
「足あと、か」
ぽそ、と空来が呟いて…そうしてまた屋上を見上げた。
「いじめっこはすぐ忘れちゃうけど、いじめられた子はずっと覚えているんだよ。
実際、私は今日までずっと忘れられなかった。あの子だって一度そういう目にあったのなら、わかると思うんだけど。よほど『普通』が認められなかったんだね」
「幼稚なんだよ」
「そうかもしれないけれど…『そう』じゃないよ」
「ん?」
理世と似た言葉が、空来の口から出たのが意外だった。空来はそのまま口を閉ざして屋上を見つめ続けている。あそこから藤棚の下は影になっていて、理世からは自分たちの姿が見えない。
「あ…、あと理世はやっぱり他人に嫉妬をしていたと思う。
いじめの対象を空来にしたのもさ。理世と別れたあと俺と空来が付き合い初めて、それが幸せそうだったから標的にしたんじゃないかな。
だいたい、いじめられていたから、いじめるのがフェアだなんて。ならいじめるのは空来じゃなくて、一年のころいじめてきた子じゃないとおかしいよ」
空来がようやく仁を見た。その瞳はまるで空虚。「かもね」と声が冷たい。
「彼女が自分の人生で残してきたものを足あとと言うのなら、私はきっと彼女に全身踏みつけにされて、足あとだらけになっているんだろうな。
いまでも、すごく痛くて、苦しい。
多分これは、私が生きている限りなくならない」
無表情、無感動な呟きは、いっそそこに凝る憎悪を感じた。
「彼女は消えない」
私が忘れないから。
仁はぞっとして、そして空来から視線を外すように屋上を見上げた。理世はそこにいる。これからもいる。
空来のことがなくても、理世の自殺がすさまじかったせいか、学校の新しい七不思議にもなっている。幽霊の噂もあるから、実際のところ彼女の姿が見えるのは自分たちだけではないのかもしれない。
きっとこれからも、彼女が忘れられることはない。
「でも、彼女の望みは叶ったんだね」
「えと、魔法少女?」
空来はいっそ晴れやかな顔で言った。
「そうじゃない、そうじゃないよ」
俗だね。普通。だから仁は馬鹿なんだ。空来の声の向こうで、理世の呟きが聞こえた気がした。
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