幽霊でも足あとは残る

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 秋も深まるこの季節、校舎の屋上は特に寒い。(ひとし)はブレザーの襟を引き寄せた。体感温度は大して変わらず、くしゃみを一つ。一方で落下防止用の柵を越えて向こう側、天井の淵に座り込む理世(りせ)は顔色一つ変えていない。  「人生の過程で残してきたものを、足あととか言うじゃない? 人生の足あと。  私はその足あとが許せなかったのね」  どうやらそれが理世の自殺理由らしかった  ようやく、そして唐突に聞き出せたそれらしい言葉に、仁は柵の内側から身を乗り出す。理世は、半透明の体の向こうに広々としたグラウンドと、そこで部活動に勤しむ生徒の姿を透かしている。今地上にいるうちの何人がこの校舎の屋上を見上げ、そうしてここにいる理世に気付くことができるのだろうか。  ちょうど一年前、この場所から飛び降りて死んだ彼女の存在に。  「私ね、魔法少女になれたかもしれないの」  話がぶっとんだ。  突飛な言動は理世の常である。だが理世はそんな自分の言動をおかしいと思う節もなく、そして仁も慣れたものだ。理世と仁は幼稚園からの付き合いで、昔はむしろそんな彼女の不思議な言動に憧れすら持っていたのだ。  幽霊になっても、理世は変わらない。腰まである艶やかな黒髪、切れ長の瞳、形のよい鼻、桃色の唇。学校でたびたび話題になった美しい容貌。  スカートから覗く二本の足を、眼下にむけてぶらぶら揺らす様は…彼女の死因を考えれば仁の精神衛生上あまりよろしくはない。ともすれば、そのままぴょ~いと、屋上の向こうへ、眼下のグラウンドへと消えてしまいそうだ。彼女は生前から思い切りがよかった。  当時、多くの人間が目撃したという彼女の遺体は、綺麗に頭から落ちていて、それはそれは凄惨極まるものだったと聞く。仁はそのとき教室にいて、理世の死の状況はあとから人伝に聞いた。  化けてでる幽霊は、映画なんかではグロテスクで恐ろしいものが多いけれども、目の前にいる理世の幽霊は生前の姿そのままだった。  しかし、魔法少女…厨二病か。  流石に突飛すぎて、変な単語を仁は思い出した。有名なネットスラングだ。ちなみに死んでしまった理世は、まさに永遠の中学二年生である。  いや、ようやく理世が自らの自殺理由を語り始めてくれたのだ、彼女の言動がどうであれ、こちらの感想は脇に置くことにしよう、と仁は左右に首を振る。  「それも自殺の理由なのかな?」  「そうね」  理世はちらりと仁のほうを振り返って、そしてまたグラウンドの方を向く。屋上に会いに来ると、理世はいつもこのスタイルだ。  幽霊になった理世と再会したのは、彼女が死んで数日経ってからだった。通学中に見上げた屋上で、理世をみつけた。慌てて屋上に駆けあがれば、つまらなさそうにグラウンドを眺める彼女と再会した。仁の知る限り、理世は死んでからも消えることなく、この屋上の淵に居座り続けている。  なぜ、彼女は幽霊となったのか。そもそもなぜ彼女は自殺する必要があったのか。その理由は誰も知らない。  理世が自殺した当初は学校の内も外も大騒ぎで、連日校門に押し寄せるマスコミ、近隣の好奇と忌避の目。ネットではいじめだ、家庭環境だ、多感な時期の悩みだと勝手な憶測が流れていた。警察やPTAのお偉いさんとやらに幼馴染である仁は色々と聞かれたが、その仁にだって理世の自殺理由はわからなかった。  理世の家庭環境はいたって普通。成績優秀、スポーツ万能となにごともそつなくこなす彼女の悩みは思い浮かばない。いじめに関しては、まあ、あるにはあったのだけれども…。  仁は理世の自殺理由を、未だ現世に留まっている理由を知らなければならなかった。だから幽霊になった理世と再会して、最初に驚きはしたものの…それ以上の『使命感』から、ずっと彼女の自殺理由を問い続けてきたのだ。 理世は言いたくないことは一切喋らない人間だ。世間話には応じても、これまで自殺理由に関してはずっとだんまりを決め込んでいた。その彼女がようやく口を開いたのだ。自然、仁の体に緊張が走る。  「テレビとか見てるとさ、同年代や年下の子が映って…天才少年だとか、奇蹟の才女だとか、なんか凄い能力もった子の特集やってたりするよね」  また話が飛躍した。  仁はとりあえず理世の言葉を待つ。  「あれムカつく」  だが、どうにも内容が自殺理由からずれていってしまっている気がする。さてどう軌道修正したものかと口を開いた仁に言えたのは、結局無難な突っ込みだけだった。  「それは嫉妬かな」  「仁は馬鹿だよね」  ばっさりと理世が切り捨てる。  「あれ見てるとさ、なんでそれが私じゃないのかわからない」  それは嫉妬とは違うのだろうか。覚えた反感を仁は口噤む。理世は自分の意見を否定されるのを嫌う。そして根に持つ性質だ。一度そうなるといつまでも引きずってくる。  「私はここにいるのに、なんで私がここにいるのかわからない」  理世の言い分はわけがわからない。これは今回も駄目そうだな、と心の中で嘆息した。ここからどうやって彼女が先ほど語った自殺理由…「足あと」に繋げられるのか見当もつかない。それでももう少し粘ってみるかと、仁は理世の向こうのグラウンドを見つめる。グラウンドの端には藤棚があって、ここからだとその下の影がこんもりと闇を作って見えた。  ――これは、『使命感』なのだ。  「理世はなにか…テレビの子たちみたく、人に凄いって認めてもらいたいものがあったのかな? スポーツとか、勉強とかで。でもどっちも人よりできるよね」  「だからあなたは馬鹿なのよ」  「えと、ごめん」  「『人よりできる』程度なら、それは普通の範疇じゃない。  ――そうじゃない、そうじゃないのよ」  「ごめん」  「なにかじゃなくて、なんでもいいの。スポーツでも勉強でも技術でも、それはなんでもいい。ただ、私がそこにいないのはなぜ?」  「それは、テレビに出ている子たちが、凄い努力をして結果を出して、世間がそれを認めたから…」    理世が深く長い溜息を吐いた。たっぷり数秒かけた溜息だった。  「私は努力していなかった?」  理世の黒々とした目が仁を睨みつける。彼女の切れ長の瞳で睨まれると、全身が竦むほど迫力があるのだ。  実際のところ、理世は勉強もスポーツもできた。成績は学年順位で十位以内に必ず入っていたし、所属していたテニス部では一年の頃から代表に選ばれている。彼女はあまり人にそういう様を見せたがらなかったけれども、ちゃんと努力していたからこそ結果を維持できていたのだろう。  「仁、あなたって感性が本当に俗。普通。  そもそもテレビに出ているあの子たちは、自分だけの努力であの才能を開花させたの?  もっとよく見て、聞いてみなさい。  理解のある大人たち、その実力を伸ばせる環境、当人はそれらを疑いもせず邁進していける」  「つまり不公平?」  「不公平も公平もないわよ。  別にあの子たちがそうであること事態はかまわないの。いいじゃない、恵まれた環境を思う存分利用すれば」  「さっきムカつくって言ってたじゃないか」  「だから、そうじゃない(・・・・・・)そうじゃないのよ(・・・・・・・・)」  この言葉がでてきたのは二度目だ  「どうして私は『そう』じゃないの? 私が『そこ』にいないのはなぜ?」  ムカつく、とは天才たちと比較したときの自分の環境に対してなのだろうか。では彼女は恵まれた環境にない自分に絶望したということか。それが自殺理由だと? しかし最初の足あとだとか魔法少女という話はどこへいったのだろう。  引っ掛かったのは理世が言った『普通』という言葉だ。以前にも理世は仁を普通だと言ったことがある。  ――幼い頃から、容姿の優れた理世は周りの注目を集めていた。仁もその一人だ。むしろ独特の価値観を持ち、周りの干渉に左右されず自己の揺るがない理世に憧れていた。告白したのは小学六年の頃で、理世はそれに応ええてくれたのだ。当時の仁は舞い上がったものである。仁は理世にそれまで以上に尽くした。彼女の言うことはなんだって従ったし、彼女の独特の言い回しも勝手に理解した気になって、得意になって。  それが一年であっさり、理世から別れが告げられた。なぜかと慌てふためく仁に彼女がつきつけた言葉が「普通だった」である。  今の理世の言葉を顧み得れば、彼女が絶えられなかったのは「普通」である仁よりも、仁と付き合っても「普通」でしかなかった理世自身なのだろう。  『私はここにいるのに。私がここにいるのはなぜ?』  ――私は生きて存在しているのに、なぜ私は普通にしか生きられないの?  先ほど疑問しかなかった言葉を要約するなら、こんなところか。もっとも理世の側から見れば、細かなところで違っているかもしれない。当人に確認をすればまた「馬鹿」と「普通」という評価が下されそうである。  「そうじゃない、そうじゃないのよ」と二度も言ったその言葉。その「そう」の部分に行き当たらないのが仁の限界だ。だから「普通」。  昔の仁だったら、その「そう」の部分を理解しようとしただろう。  「人生の足あとなんだけど」  唐突に、理世の話が最初に戻った。  「私の人生はどこで切り取っても普通。そうして残してきた足あとはそれを証明している。学年代表に選ばれた読書感想文、クラス対抗リレーで勝ち取った賞状、絵画コンクールで入選した絵」  「十分凄いと思うけど」  「なんの意味があるの? 過ぎて忘れられていくものじゃない。誰も気にしないわ。  ねえ、テレビにうつっているあの子たちは、どこで切り取ってもなんて華々しいのかしら。美しい足あとをあんなに残してる。誰もが称賛する。 なのに信じられないわよ。私はここにいるのに。私の人生全部普通でなんて気持ちの悪いものなのかしら」  「いやいや…」  「私の体、大分薄くなったでしょう」  両腕を広げて、理世は誇らしげに言った。  「もうちょっとだと思うのね。私が消えることができるの  ようやく私は、全ての足あとを消せるのよ」  だから今なら話してあげる、といっそ恩着せがましく。  「三歳ぐらいのときかな。目の前に魔法のステッキが現れたことがあるの。  当時流行っていたアニメの、魔法少女と同じやつ。ピンク色で、ごてごてして、ぴかぴかしたデザインの。あのアニメ好きだったなぁ」    前後の記憶は大分曖昧なんだけれども、と理世は咳払い。  「多分、テレビを見ていて…そのまま寝落ちしちゃったんだと思う。  そうして、目が覚めたら目の前に魔法のステッキが浮いていたの。アニメで見たそのまんまのやつ。  私はびっくりして、まばたきも忘れてステッキを見つめてた。体が動かなくて、動いたらステッキは消えちゃうんじゃないかって思った。  でもね、結局まばたきしちゃって…そうしたら魔法のステッキはもう消えていた。無機質で無情な真っ黒いテレビ台が、目の前にあるだけだったの」  「それは、寝ぼけていただけだろう」  「ええ、私も成長するにつれてそう思うようにしたわ。でもね、当時はすっごく後悔したの。あの時、もし手を伸ばせていたのなら?  もしかしたらステッキを握ることができたかもしれない。アニメの主人公みたいに、私が魔法少女になれたのかもしれない」  魔法少女。なるほど、ここにひっかかるのか。  「寝ぼけて幻を見た。それがまともで『普通』な解釈よ。でも真実は誰にもわからない。  私があのとき、躊躇なんかしなければ。私があのとき、手を伸ばせていたならば。  あるいは、今の私の人生はこうじゃなかったかもしれない」  「……」  「ねえ、仁。こう考えたことはない?  どうして人は自分の世界でしか主人公になれないのだろう  どうして世界をまたいだ主人公は、ごく一握りの人間しかなれないのだろう。  どうして私は、そちら側の人間になれないのだろう」  こんなことを、理世は考えていたのか。  「テレビの中の有名人でも、それこそアニメでも漫画でもなんでもいいのよ。  なんで私はそうじゃないの? だって、『そこ』にあるじゃない。  人生をいくら振り返っても『普通』ばかり。唯一『普通』じゃなかった魔法のステッキには、手が伸ばせなかった。  だから気づいたの。私の人生は失敗だったんだって」  それが、理世の自殺の理由。  「私の人生は失敗で、私は失敗作。  そんなの耐えられない、だから全部消さなきゃいけない。人生丸ごと、自分の存在を」  どんなに望んでも、努力しても、彼女は望む自分にはなれない。  彼女が望むのは『特別』さだ。華やかで、派手やかで華々しい。誰もが認め羨むような。それこそ、アニメの魔法少女のような。  だが、そんな自分には永遠になれないのだと、彼女は気づいた。  彼女は自分が認められない。自分の人生も認められない。  だから理世は根こそぎ消してしまいたかったのだ。消失願望。  ――そうか、そんな理由だったのか。  「私が幽霊になってしまっているのは、私のことを忘れてくれない人がいるせいよ。仁もその一人。家族もそう。だって私にはなにも心残りがないんだもの。むしろさっさと消えてしまいたい。  でも、まあ、一度生まれてきてしまったものは仕方がない。人生の足あと、私が残さざるえおえなかったものはどうしたってできる。  でもね、半年ぐらい前から私の体は大分薄くなってきたの。校門にマスコミの姿が見えなくなったころだから、世間から私が忘れられようとしていると思うのね。  だからあとちょっとで消えられる。私はいなくなれるのよ」  ――ようやく。と夢見るように理世は言う。  「じゃあ、いじめはなにも関係がなかったんだね」  意図せず、仁の声がワントーン落ちた。理世は不思議そうに首を傾げる。  「去年の? すぐ終わったじゃない」  中学一年のころ、ほんの一時期、理世は確かにいじめにあっていた。よくある陰口から、物がなくなったり、仲間外れにされたり。それは容姿に優れた彼女へのやっかみから始まったものだったのだろう。当時仁は理世を助けようとしたのだが、仁が動けば動くほど、いじめっこたちは意固地になって状況は悪化した。  けれども理世はある日突然、それをあっさり終わらせてしまった。いじめっこたちの言動を携帯に録音をして、校内放送で流した。学校中が知ることになったいじめは、いじめっこたちが不登校に陥ることで終わったのである。 彼女はあとで、いじめに関する感想を「つまらなかった」と言った。  いじめられっこも、そこから脱する話も、彼女が気にするテレビでよく感動ストーリーとして話題になることだ。だからあえていじめを受けていたのだと、今ならばわかる    「そっちじゃなくて、今年の方」  「他のクラスだったのに、よく知ってるね」  「はぐらかさないでよ」  「だってアンフェアでしょう。いじめられていた側をやったなら、いじめていた側もしないと」  理世は一年の頃いじめられていた。そうして自殺していた当初はいじめていた側だった。こちらは完全に仁は蚊帳の外だった。クラスが別れていたから。  「それも、つまらなかった?」  「どうでもよかった」  「…そう」  それを聞いて、仁は心から安心した。
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