Chapter.3 連鎖する怨嗟

2/3
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ
 町はずれは廃屋の連なる灰色の平原だった。地平線の続く限りかつては人が住んでいた倒壊寸前のコンクリート製建築物が所狭しと並んでいる。鉛色の曇天が天地の境界を曖昧にしている。かろうじて雲間から薄紫色の光が漏れ出している。廃屋のいくつかにはいまだにそこを住居としている者もいた。グローレンスの中心街が移されたときに移住しなかった者たちだ。彼らは彼らなりに独自の経済圏と生活秩序を守っていた。通称マーケットと呼ばれる露店の立ち並ぶ場所は、今世紀の前半には各地でみられたようなそれではない。2096年の彼らが扱う商品は、下部に「10 Jan 2081」などと表記された白色の真空パックに入った古びた携帯栄養食や、赤子より重い旧式バッテリー、保証期限の切れた生体パーツ、旧世代家電、適法パッチを外された改造ドローンといった品々である。ここはいわゆるスラム街であった。彼らは配給生活から脱却した後も、倉庫の在庫を比較的計画的に食いつぶすだけであった。旧世代の生活知さえ持ち合わせていない彼らは生活インフラの整え方が分からないために、いつまでもこうして非建設的な暮らし方をやめないのだ。しかし、そうしたスローライフを好む者も存在するのも事実だった。彼らの他にも、ここを好んで居住地としている者がいる。非正規に入国した外国人だ。彼らの目的は様々だが、いついかなる時代にも絶えないのが、移民と工作員だ。ここは、バイタルデータと行動が直接的に結びつくことのない匿名地帯で、そういった漂白者たちにとってのオアシスだ。ルーザは上記のいずれにも属さない稀有な人間だが、彼らと共通点を持っていた。すなわちそれは、国外とのつながりであった。彼女が清廉な服装でここを闊歩していると、そこらで耳打ちが始まるが、彼らが彼女に害を加えることはなかった。好ましくない事情を抱えた者同士の暗黙の連帯感である。 ルーザは酸性雨に溶かされて吹きさらしになっているコンクリート製の廃屋へ足を踏み入れた。ボルトの片側が外れて斜めになった看板は錆びついていて、最初の文字以外は読めなくなっている。一見すると、そこは他の住居と同じように、錆びて嫌な音を立てるシェルターに繋がる鉄扉があるだけだった。内部も個人用シェルターと大差ない。一般的なそれらと異なる点は、壁の一面が格子戸付き強化ガラスになっており、その向こう側に個人用シェルターには似つかわしくない広さの物流倉庫のような空間が広がっていることである。そしてその広さに似つかわしくない小ささの筐体が複数鎮座している。それは地下鉄を思わせる並びだった。ルーザは迷うことなくガラスをノックした。しばらくたっても反応がないので、金づちを打つ勢いでノックをする。 「ニクス君、私よ」 名を呼ばれた男はあくびをしながらのそのそと歩いてくる。ぼさぼさの頭を搔きながら、やっとのことで窓越しにルーザを見た。 「営業時間外だぞ」 「誰が雇い主か忘れたのかしら?」 彼は猫背のままルーザの容姿を眼鏡越しに凝視した。しばらくいぶかしげな表情を崩さなかったが、ため息とともに眉間にしわを寄せた。 「君か。第一に君は出資者に過ぎない。第二にたとえ雇い主であっても営業時間外に押しかける人間など対応してやる義理はない。帰れ」 「つれないわね。でも仕事の話じゃないの。ついに見つけたわよ、地下深くの使われてない坑道の奥にね……」 「またろくでもない仕事を仲介する気だろ。ドラッグ、娼館ときたら、次は奴隷ビジネスでもやるつもりか?」 彼は継接ぎだらけの使い古された外套のポケットに手を突っ込んで今にも立ち去ろうとしていた。 「仕事の話じゃないって言ったはずよ。あいつに近づく重要なカギを手に入れた」 ニクスの目の下のクマがピクリと動き、鼻で一笑に付す。 「それは元財団の仲間として情報を提供してるつもりか?それとも生命倫理研究センターからの刺客として脅してるつもりか?」 「さあね、あなた次第ってところね。……妹よ。ハルシオン・シルフィード、彼女を見つけた。バイタルモニターでも確認したら?さっきから安っぽい排熱音が聞こえてるわ。一体いつの機器を使ってるのかしら」 彼は目線をそらすことなくルーザの瞳を直視し続けた。しばしの沈黙の後、再びやるせない溜息が出る。 「……いや、その必要はない。それで、何をご所望だ?取引しよう」 「あら、物分かりがいいのね。イェレンハイム行地下郵便をお願いしたいの。往復でね。届いたらこちらに持ってきて。その時に会わせてあげる」 「ふむ……財団にいた頃から君は人にリスクを背負わせるのが好きだったな。往復で安全に運ぶには金が必要だ。当然向こうで使える通貨でね。というわけで追加で100ユーロだ。」 ニクスの目つきが変わる。日常生活における彼と、商売における彼はまるで別人である。こと交渉においては少しでも自らに有利な価格を引き出すまで、砂の一粒も見逃さない構えである。 「地下郵便は急用じゃないの。あなた以外に頼んでも構わない。わざわざ旧友のよしみであなたに一番に持ち掛けにきたのよ」 彼女も彼女で、悠々とした態度をとりながら軽々しく要求を飲んだりはしない。 「急用じゃなければそもそもうちには来ないはずだがね。……君はあの娘を手放したくないんだろう?君がわざわざ僕を介して送らざるを得ない宛先といえば本部以外にあり得ない。違うか?」 「あなたには関係ないことよ。あなたこそ旧通貨なんて何に使うのかしら?そういえばフィンランド湾に連れていかれたお友達は元気してる?あなたがここを離れていれば彼は無事に祖国に帰れたのに、謝罪の一言も入れてないなんて言わないわよね?」 「それこそ君には関係ないことだ」 「それもそうね。でも100ユーロは関係ある。私なら今すぐに20ユーロまでなら用意できる。それ以上を要求するなら他をあたるわ。他の出資者に工面することね」 ニクスは口角を釣り上げる。ルーザはその様子はおくびにも出さず、内心でしまったと思った。彼がこの表情を浮かべてから、交渉が終わりを迎えるのは早い。 「急用でないなら100ユーロを用意できたらここに来ればいい。そうしたら荷物を受け取るとしよう。僕はいつまでも待てるぞ」 「20ユーロでまず送って。それでお互い前払いってことにしましょう?」 「ダメだ。急いでるなら100ユーロ払うか他を当たれ」 ルーザは自分の足元を一瞥して舌打ちした。いつもと同じ結果だった。彼の要求をおとなしく飲むのは腹立たしいが、仕方なかった。 「明日の夕方にまた来るわ」 「今度はちゃんと営業時間中に来いよ」 ニクスは再び腑抜けた顔つきに戻り、のろのろとした足取りで奥へと戻っていった。ルーザはその背が見えなくなるまでにらみつけていた。彼が角を曲がったのを確認すると、肩を落として溜息をつく。 「いつか目にもの見せてやるわ……」
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!