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10.
「それでまた指名してくれたんだね」
「なあ、これもデートって言えるよな? 悩みに陥った彼氏の愚痴を聞く代行彼女って設定、ありだよな?」
カフェのテーブルを挟んで座る杉原に対して、食い気味に丸山は尋ねた。
そんな必死にならなくていいのに、と面白そうに笑う彼女の様子から、どうやら問題はなかったようだと胸を撫で下ろす。
「でもちょっとびっくりした。こんなすぐまた会うことになるって、思ってなかったから」
杉原と偽デートをして、その夜に石倉と飲みに行き、酔いのおかげで思考の迷宮に入り込んだ丸山は、翌朝には杉原に渡された名刺の電話番号に電話をしていた。
名刺記載の電話番号はリピーター限定の回線だったようで話はすぐに通じ、杉原佳穂嬢ご指名のデートは最短で翌週の日曜日に可能と言われたので、そのまま予約を取り付けた。
「悩み事を聞いてほしい、って話だったね。石倉君と何かあったの?」
本物の彼女のように、自然な所作で彼女が聞く。
この会話を聞いて、2人が実は代行彼女というサービスの提供者と、そのユーザーだと気づく人はたぶんいない。
さすがプロだな、と丸山は感想を抱いた。
だがしかし、今日用があるのは、写真撮影をした時のようなプロの代行彼女にではない。
丸山は高校の同級生、杉原佳穂に用があったのだ。
けれど仕事以外で丸山とは会ってくれないという彼女に、それを気取られるのは避けた方がいいような気がした。
だから少し、ボンヤリとした「悩み事」なんて言い回しを使って今日の予約を取り付けたのである。
「石倉と何かが、ってわけじゃないんだけどさ。昔からの親友が結婚するってのが、現実感なくて」
「2人ともしょっちゅう一緒だったもんね。高校の時の石倉君、丸山君以外と話してるところ見たことなかったし、結婚の話は私も驚いたよ」
「だろ? 俺もそれにすごい驚いてる。あいつがあいつじゃなくなったみたいだ」
それは自分のことだ。自分が自分じゃなくなったような気がして、その答えを探すために今日、自分は杉原と会っている。
真意を隠したまま、聞きたいことに向けて少しずつ舵をきっていく。
杉原は両手でアイスコーヒーのグラスを持って、うーん、とひとしきり考え込んだような素振りをしてから口を開いた。
「石倉君のこと、詳しくもない私が言えることじゃないけど。それはないんじゃない?」
丸山は杉原の言葉の理由に興味をそそられたように聞き返す。
「なんでそう思うの?」
「だって、石倉君が石倉君じゃなくなってたら、丸山君に結婚することなんて言ってこないよ、きっと」
汗をかいているアイスコーヒーのグラスに気づき、テーブルに置かれていた紙ナプキンでガラスをぐるりと拭いながら杉原は続ける。
「石倉君が、自分に何か変化があった時に、それを真っ先に知らせたかったのが丸山君なんじゃないのかな。じゃなきゃ2年も会えてなかった友達にわざわざ連絡なんてしないよ」
「会えてなくても連絡は取ってたよ。でも逆に言えば連絡しか取ってなかった。もう俺ら友達なのかな、なーんて、ちょっと思ったりした」
「それは考えすぎ」
そう言って杉原はクスクス笑う。
「なんでそう言えんの?」
「だって」
そう言って杉原は、ほんの一瞬、なにかを逡巡するかのような隙を見せた。
本題をいつ切り出そうと注意深く相手の出方を伺っている今日の丸山でなければ、気付くことはなさそうな僅かな隙。
「2年も空いてるのに、律儀にそんなこと伝えてきたのが証拠だよ。しかも会って話したいなんて。2年もあれば、人は簡単に他人になれるものなのに」
でも、石倉君はそうしなかったでしょ? 大事にされてるじゃない、と言って杉原は笑った。
聞き返すのが不自然なくらいに、自然な間だったから、丸山は杉原の隠していることを知る機会は逃してしまったが、仕方ない。
2年もあれば他人になるという関係を、杉原は経験したのだろうか。しかし、それは今日の本題ではない。
「大事にされてるか、それは喜ばなきゃいけないことだろうな」
カフェの椅子の背もたれに体を預けて、照れたように笑いながら答える。
「そうだよ。喜ばなきゃもったいないよ」
「なんか俺ださくない? いい歳して、友達とか言ってるの」
「なんで? ダサくないでしょ。それだけ真剣だってことだよ」
溶けはじめたアイスコーヒーの氷をストローで突っつきながら杉原が答える。
なんだろう、彼女はあまり今の話題を好んでいないような気がする。
ちゃんと笑っているし、ちゃんと答えている。
けどそれは彼女代行業のスタッフとして、彼女が責任を持って執り行っている業務だ。杉原という個人の人間は、今の話題が早く終わることを望んでいるように丸山には感じられた。
「じゃあ、そういうことにしておくか」
「おっ、思ったより早く悩み解決?」
丸山が感じたことは全て勘違いだったのかと思うほどに優しい眼差しをして、杉原が丸山を見つめて言った。
「暫定だけど」
苦笑いしつつ答えると、
「それでいいじゃん。完全な答えなんて探さなくたって。スウィート・イミテーションってやつだよ」
そう言って杉原はコーヒーの続きを楽しみ始める。
スウィート・イミテーション。
その言葉に丸山は聞き覚えがあった。けれどどこで聞いたのかどうしても思い出せない。
いま、杉原は当たり前のようにこの言葉を使った。それはつまり、それほどまでに一般的な言葉なのか、それとも丸山には当然通じると思って使ったものだったのか。
「丸山君、今日ずっと上の空だね。悩み事って、もしかしてまだ他にあるの?」
突然、杉原が核心に踏み込んできた。
予想外のことだったため、丸山は豆鉄砲を喰らった鳩のような間の抜けた顔のままで彼女の言葉を聞くはめになる。
「紳士さが足りてないよ。うまく言えないけど」
そう言って悪戯っぽく彼女は笑う。
「ずいぶん……直球なんだな」
「だって今日ずっと変だもん。この前会った時と全然違う。自分のことで精一杯です、って顔してるよ」
「そういうのは代行彼女は触れないのが優しさなんじゃないの?」
「あと2時間と40分は本物の彼女だから、遠慮はしないことにしてるの」
おかげでこういうのが良いって言ってくれるお客さんから、私指名多いんだよ。なんていう裏事情まで暴露される。一応客である丸山にそんなことを言って問題はないのだろうか。
「ただの友達として会いたい、って丸山君、前回言ってたよね。あの時はダメだって言ったけど、私もあの後考えたの。それで丸山君と『ただの友達』として会うのも悪くないかなって思ってね」
そう言って、杉原はバッグから紙幣を取り出し、丸山の目の前に置いた。
「これ、さっき貰った今日のデート代ね。私、もうメールで会社に『今日のお客様はキャンセルされました』って送っちゃったから。これで今日は対等な友達だよ」
丸山の目の前には1万円札が置かれている。
「あのさ、こんなこと言うべきじゃないんだろうけど」
「するべき、なんて言葉、私の知ってる丸山君は使わなかった」
ニヤニヤ笑いながらそう告げる杉原の顔は、この前見せた隙のない完璧な代行スタッフのものではなかった。同い年の、久々に会った、懐かしい同窓生の顔。
「……OK、じゃあ俺も普通に接するからな。俺出したの1万2千円なんだけど、なんで1万円になったの?」
「キャンセル料が当日は3千円かかるんだ」
「あとの千円は?」
「ここのコーヒーとケーキを丸山君が奢ってくれたらチャラになるよ」
「ケーキなんてないじゃん」
テーブルの上を見渡して丸山が訝しげに尋ねる。
「丸山君の了解が取れたら今から頼むんだ」
それを聞いて丸山は噴き出した。
「わかった、俺の負け。好きなケーキをどうぞ」
「やった。ごちそうさま」
そう言ってすぐに手をあげて店員を呼び出す杉原。彼女はどこから、自分の不自然さに気付いていたんだろうか。
代行彼女なんて仕事をやっていると、人をみる目が養われるのだろうか。
そう言えば、この仕事をしてどのくらいなのか、そもそも高校卒業後はどうしていたのか、この前は業者としての杉原が相手だったから聞けなかったことがたくさんある。
今日は質問責めにしてやろう。そして今週いっぱい悩んだ高校生の俺が、杉原に言った言葉の記憶を思い出すんだ。
そうすれば、自分が何者かあやふやになってしまった今のこの感覚から抜け出すことができる。丸山はなぜだかそう確信していた。
この仕事は長いのか? そう尋ねた最初の質問には、2年ちょっとかなぁ、と返事を得ることができたけど、それ以外のことは、過去に関する質問は一切杉原は答えなかった。
「女の子は秘密が多いものなんだよ」
「子ではないだろ、もう、子では」
「……」
黙り込んで無表情になった杉原に、丸山は慌ててフォローを入れる。
「いや、大人のレディってことだよ」
「っくっくっく……別に怒ってないよ、戻ってきたね、変な紳士さ。安心した」
満足げにケーキを平らげた杉原との会話は、久々に再開した高校の同級生との会話そのものであった。
「石倉にも言われたんだよな。『マフィアのジェントルマン』とかいう変な言い回しで。愛情で他人を薬漬けみたいにしてるってさ。俺ってそんな優しいかね? 自分じゃ思ったことねえよ」
隠すこともなくなったので、気をつかうこともない。テーブルに頬杖をつきながら丸山は不満げに口を尖らせて聞いた。
「変に優しいんだよ。優しいのとは違うの」
杉原はそんな態度は全く気にしていないようで、涼しげに答える。これくらいだとやりやすくてありがたい。
「違いは?」
「異常なまでの優しさで相手を依存気味にさせて、自分なしじゃいられなくしようとしてる感じ」
「あいつと同じこと言うわ」
「3人中2人の意見が合致したなら、もう決まりだね」
いまいち納得がいかない丸山は、先週酔って帰った時に自分が落ちた思考の迷路について杉原に話をした。
「だからなのかな。俺なしじゃいられないようにして、俺から離れていかないようにして、でも結局それは俺が1人にならないためにしてたことだったのか」
丸山はずっと悩み続けたことの根本の原因を切り出す。
「そうなんじゃない? なんかヒモが付く人みたいだね」
杉原がなかなかショックを受ける例えを出してくる。
「でも今までの彼女にはみんな振られてる」
「石倉君がまだ残ってるじゃない」
「あいつは俺のヒモじゃねえよ」
「うーん、どうかな。精神的なヒモに見えるけどな。話聞いてるだけだけど」
「マジで?」
驚きの言葉に詳しく聞いてみたくなるが、続く言葉にもっと驚いて丸山は聞くチャンスを逃した。
「うん、それに私だってもしかしてそんな丸山君の犠牲者かも」
「えっ、なんで? ってか犠牲って、俺そんな酷いことした?」
驚いた丸山は椅子の背もたれから背中を離し、身を乗り出した。
「酷いことじゃないよ。でも丸山君なしじゃ生きていけない体にはされたのかなぁ、もしかして」
そう言って、前のめる丸山と対照的に背もたれに体を預けて寛ぐ杉原の姿に丸山は更に慌てふためく。
「ちょっ、変なこと言うなよ。そもそも俺ら10年も会ってなかったけど、杉原ちゃんと生きてんじゃん」
目の前に座る杉原を見つめ、丸山は宣言する。杉原はチラリと丸山を一瞥して、うーん、と少し考え込む素振りを見せながら言葉を繋ぐ。
「精神的な支柱っていうか、私が大袈裟に捉えてただけかなぁ。丸山君と、結構濃厚な思い出があるんだけど」
飲みかけていたコーヒーが気管支に入りそうになったのを丸山は辛うじて防いだ。
「待って、真っ昼間のカフェで話していい内容なの? それ相手、間違いなく俺?」
丸山の言葉に、杉原は少しムッとした口ぶりで話を続けた。
「なに想像してるの。そんなんじゃないよ。覚えてないかな、3年になってすぐの頃の図書室」
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