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 チャペルの近くのバス停は、染まり始めた紅葉の街路樹がたたずむ洒落た停留所であった。 まだ所々に青い葉の色が残っている姿が逆に初々しくて、今日という日から新しい門出へと踏み出す石倉夫婦の結婚式にピッタリだと丸山は感じた。  招待状が届いたのは3ヶ月ほど前の話。杉原との一夜から数週間たった頃だった。  手触りの良いフワフワした純白の紙に金文字であつらわれた流れるようなアルファベットの筆記体。ゆとり教育真っ只中、かつあまり勉強が得意ではなかった丸山は残念ながら筆記体を読むことができないので、表紙を無視して中を開いた。 「あいつが結婚式、ね」  表紙を開いて中を見て、現実感を伴う文字列が丸山の目に飛び込んでくると、わかっていたことであっても再び意外で驚く。  何しろ本人から聞いていたのだからいまさらなのだが。それでもこうして形のあるものが手元に届くと、これを用意した石倉と石倉の妻になる女性の姿が想像できて、自分の知らない場所でも世界は常に動いているのだと知る。  御出席と書かれた方に丸をつけて、住所と名前を書き込む。御の字はちゃんと寿の字を使って潰した。それは「友達が結婚するんですよ。でも身近で式挙げる奴って初めてで、何か注意点とかありますかね?」と休憩時間に職場のビルの自販機コーナーで遭遇した斜め向かいの席の目敏い先輩に尋ねて仕入れたマメ知識だ。  書き終えてから少し不安になる。バブル時代を戦い抜いた件の先輩の教えてくれたルールは、まさかもはや時代遅れなものになってやしないかと。 ——変なところだけ年寄りくさいマナー守ってるとかになってないよな?  見返してから少し不安を覚えるが、ボールペンで書いてしまったからもう直しようがない。  よし、大丈夫。出席の意向と、俺だってことがわかるんだから問題なし。自分で自分に言い聞かせて返信ハガキを出勤に使う鞄に入れる。これは明日にでも通勤途中でポストに寄って投函して来なければ。  杉原の分の招待状も石倉は話していた通り丸山の部屋に送ってきた。それを手に取って、どうしたものかと丸山は考える。  最後に会った時、杉原は「結婚式は出てあげる」と言って帰って行った。その言葉に嘘はないだろう。けれど、それに甘えても良いのか丸山は逡巡した。  結果として、あの日あんな時間に帰ったのは杉原の決めたことだ。せめてタクシーまで見送ると言ったのを断ったのも彼女だ。  それでも、あんな風に一晩を過ごした人を帰してしまったのは、少し間違っていたかもしれない。あれから少し時間がたち、丸山は軽い自責の念に苛まれていた。  自分が丸山に抱いていた意識の正体は甘い偽物の1つだったと杉原は言っていた。その言葉自体が丸山にショックを与えなかったというのも嘘になる。わかっていたはずのことでも、直接的に事実を突きつけられることが、自分に少なくない影響を与えるのだと知らなかった。  けれど彼女はプロだ。依頼を受ければ、きっと完璧に代行彼女を演じてくれる。それにはまず、結婚式の開かれる日に彼女のシフトが問題ないかを確認する必要がある。予約して、出席できることが確約されてからでなければ、招待状の返事は書けない。  少しだけ近づけたと思った仲だった。それなのに、いま2人を結びつけてくれるのは、最初にあった日に杉原が手渡してくれた名刺に書かれた企業経由の電話番号でしかない。  丸山の悩みはそれだけではなかった。石倉の門出に、代行彼女という偽物の恋人を伴って出席すること自体へのわずかな抵抗感。  偽りの彼女である杉原を隣に、笑顔を浮かべて親友に拍手をすることは誠実なことだろうか。元はと言えば全て自分のつまらない無自覚な見栄から出た嘘が始まりなのだ。  気が重くなってきたが、自分で撒いた種は自分で刈り取らなければ。それがここまで来てしまった丸山にできる精一杯だ。  高校生の自分が言葉にしていた、今を生きるための概念としてのスウィート・イミテーション。丸山はたくさん嘘をついていた。自分はそんな器用じゃないと思い込んでいただけで。  石倉にも甘い偽物を堪能してもらおう。決して後悔させたり、違和感の残るような思い出にはさせない。自分も強くならなければいけない。杉原のように。  丸山は唇を少しだけ噛み締めた。それは自分の中から溢れそうになる感情に蓋をして、1番綺麗な形で親友の門出を祝ってやろうと決めた顔だった。  バス停の小洒落たベンチの近くに立って、待ち合わせている杉原を待った。それでもしばらくバスのくる気配もないので、こんな場所ではベンチまで洒落ているのかと丸山は少し恐れ入りながら、おずおずと腰をおろした。  夏が完全に終わったとはいえ、まだ寒さとは無縁ないい日である。胸ポケットからスマホを取り出して時間を確認する。式までの時間は充分にある。丸山は指を組んで肘を膝に乗せたまま、このいい日を少しでも多く覚えておこうと、あたりの景色を見渡した。  風が吹いて葉が擦れる音がザワザワと沸き立つ。気分がいいな。そう思いながら遠くを見ると、1台の路線バスが走行してきた。  立ち上がって中を少し背伸びして覗き込む。降り口からはスーツやドレス姿の老若男女が次々と降りてくる。石倉の結婚式の招待客たちだろう。郊外のこの結婚式場にアクセスするのは、このバスくらいしかないから。  バス停で待っていた丸山が乗らないとわかると、運転手はとっとと昇降口を閉じてバスを発車させてしまった。 「お待たせ」  バスから降りた大勢の中の1人が丸山に声をかけてくる。落ち着いたワインレッドのスカートに、黒に近い濃紺のレースボレロを着た杉原がいた。3ヶ月ちょっとぶりの再会。 「綺麗だ」  それを見た丸山が思わずこぼした本音のような言葉が少しだけ緊張感を生み出したが、杉原は上手にそれを受け流して丸山を促した。 「今日の主役は石倉君のご夫婦でしょ? 適当に調子いいこと言わないの。さぁ、行こう?」  丸山はそれに対して何か言いたげな素振りを見せたが、すぐに「そうだな」と同調してチャペルへの道を杉原と歩き始めた。  風が穏やかで、きっと1年でもっとも居心地がいい季節の晴れた日である。こんな日に結婚式を挙げれるなんて、石倉はよほど普段の行いが良いのだろう。 「私一応、ご祝儀用意したんだけど、3万で大丈夫かな? 今日は仕事だから、使ったら後で丸山君に請求することになっちゃうんだけど」  式場へと向かう人々の集団から数十メートル離れたところで、杉原がこっそりと尋ねてきた。 「俺が連名で用意したから大丈夫」 「そっか、じゃあこれは使わないね」  杉原はハンドバックに伸ばしかけていた手を引っ込める。 「にしても、勝手に私と連名にしたの?」  それは子どもの悪戯を責める母親のような口ぶりだった。 「住所も知らないから、招待状も俺の所にまとめて送ってもらったんだ。だから、ご祝儀もその方が自然だと思っただけだよ」  後ろめたいことなど何もないといった空気を醸しながら丸山は答える。それを見ながら杉原は「ふーん」と納得したのか、していないのかわからないリアクションを取ったが、今日の彼女はプロだから、それ以上は絶対に踏み込んでこない。 「そういえば杉原のフルネームを漢字で書くのにさ、久々に高校の卒業アルバム開いたよ」  丸山がそう言うと同時に「いやだ!」と小さい声であげられた杉原の悲鳴がかぶさった。その声に反応して前を歩く集団の何人かが一瞬だけこちらの方へと目を向ける。 「高校の写真なんて黒歴史だよ。見られたくなかったぁ」  ため息をついて杉原は憂いた。丸山にはその理由が今ひとつ、よくわからない。 「なんで? 今と変わんないじゃん。かわいかったよ」 「変わってないわけないでしょ。自分が1番わかるよ。それにそういうことじゃないの。あの頃の自分を見られるのが恥ずかしいんだよ」 「毎日同じ教室にいたのに」  丸山が声を上げて笑うのに対し、杉原はムッとした顔をしながら抗議した。 「丸山君は本当に全然変わってないからそんなことが言えるんだよ」  丸山の横顔を見ながら杉原はそう評した。 「あれ、俺そんな若く見える?」  満更でもないフリをして頬に手を当てて丸山は聞き返す。実際のところ彼は自身の容姿に年齢的な衰えなどを自覚していなかったし、さほど興味も持ち合わせていなかったのだが。 「若いっていうか、幼い。童顔でもないのに、永遠に小学生みたい」  杉原の遠慮のない言葉で丸山は一瞬固まって歩みを止める。悪意のない純粋な感想なのか、それとも先ほどのやり取りへの報復なのか。だとしたらそんなに怒らせるようなことを自分は言ったのだろうか。  止まってしまった丸山に合わせて杉原も立ち止まって振り返る。 「あのね、今後のために教えておいてあげるけど、女性の過去なんて、やたらに掘り返すものじゃないからね」  指を突きつけながら丸山に向かって啖呵を切るごとく宣言する杉原。なぜ彼女はそこまで怒るのか、やはり理由はわからなかったが、丸山は「わかったよ……」と頷くしかなかった。  たわいない話をしているうちに、会場の目の前に到着していた。イギリス風の庭園とでもいうのか、生垣にバラの絡まる大きなアーチが入口になっている。 ——これは石倉の趣味ではないから、奥さんが気に入ったんだろうな。  そんなことを考えながら門をくぐる。大人しくて、目立つことを好かない石倉が、立派な式場で結婚式を挙げるなんて、予想もできなかった。自分の信条まで覆い隠して、相手のために 頑張ろうと思えることがある彼が少しだけ羨ましいと、ここに来て丸山は初めて感じた。 「素敵な所だね」  杉原も同じような感想を呟きながら門の中へと入ってきた。  さて、これから自分たちは偽物のカップルとして、親友の結婚式に参列しなければならない。連名で書かれた祝儀袋も、俺の住所宛に送られてきた2通の招待状も、全部自分の嘘が招いた結果だ。  責任を取らなくちゃいけないな。最後まで石倉の祝いの席を彩る完璧なエキストラになってやろう。あいつが何年、何十年経っても、そこに偽物があることになど気づかないように、甘く縁取ってやるのだ。 「杉原」 「うん?」 「悪いが1日、よろしく頼む」 「わかってるよ」  杉原は不敵に笑う。人ごみから離れた場所で2人だけが真相を知る会話を交わして、丸山は受付に向かって杉原とともに歩き始めた。
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