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 週の折り返しの水曜日。その真ん中の時間である昼休み。丸山隆雄は頭を抱えていた。  石倉と飲みに行く話が進展したのは想定内の話だったのだが、そこで2年ぶりに会った友人とどんな話をすればいいのか、少し思案を巡らせていくうちに気がついたことがあったのである。 ——石倉が俺の彼女のことを知りたがったらどうする?  今回の2人の再会のきっかけとなったのは、石倉の結婚である。そこから恋愛に絡んだ話題がメインになることは間違いないだろう。  こちらが一方的に聞き役になっているだけでいいのなら楽なものだが、そういうわけにもいくまい。  石倉には電話で付き合っている相手がいると嘘をついてしまった。それが3日前のこと。不穏な雰囲気があるわけでもなく、まあまあ上手くやっていると言ってから1週間も経っていないのに、別れたという言い訳は不自然なような気がした。  それに結婚を控えている友人に重ねていい嘘ではないように思えた。奇妙なところで気を遣ってしまうのは、丸山という男の損な習性である。  写真を見せろくらいは言われる可能性が高い。そこを必死で拒否すると妙な空気になりそうだし、ありもしない彼女との写真を必死に見せないようにスマホを死守する自分の姿など、想像するだけでいいしれぬ惨めさが込み上げてくる。 ——あんまりそういうプライドとかある方じゃないと思ってたんだけどな。  こんな場面に遭遇したことがなかったので、自分でも知らなかった自分の一面をどこかで冷静に客観視しながら、どうしたものかと頭を抱えている丸山に、昼食から戻った斜め向かいの先輩社員が声をかけてきた。 「丸山君、体調悪いの? 頭押さえてるけど」 ——うるせぇ、とろけるチーズのババア。今お前のどうでもいいお喋りに構う余裕はねぇよ。  脳内のとんでもない暴言は完全に喉より下で蓋をした。こんな言葉を職場で発してしまったら、良くて針の筵、最悪の場合では社内での暴言が問題視されて、左遷かクビになるかもしれない。 ——最近はハラスメントに厳しいからな。  おかげで自分も世の中で蔓延っているような理不尽な目に遭う機会が多少は減少していると思われるので、その傾向自体は歓迎なのだが、人間をやっていると、たまには思いの丈を赤裸々にぶちまけてしまいたいという誘惑に駆られることがあるものである。  申し訳ないが、この人の話は、あまり自分にとって楽しい内容でもなければ、なにか利益があるものであることもほとんどないので、なるべく手短に切り上げてもらえるように計画を立て、少し疲れた雰囲気で返事をし、話が長引かないように試みる。 「週半ばで、ちょっと疲労感ですかねえ。残りの昼休み軽く寝てれば大丈夫ですよ」  だからもう話しかけてくれるなよ、という願いを込めて答えたのだが、その願いは届かなかったようで、彼女は言葉を続けた。 「あらー、無理しちゃダメよ。気をつけてね。ところで今私、駅のとこのファミレス行ってきたんだけどね、びっくりする光景を見ちゃったのよ。なんだと思う?」 ——知らねえよ。エスカルゴ頼んだら、カタツムリ丸ごとでも出てきたか?  またしても飛び出しそうになった暴言を押さえ込むように両手で顔を覆い、同時にコミュニケーションのシャットアウトの意思を表現しながらも、ここでぶつ切りするわけにもいかないので会話を続ける。 「さあ、ちょっとわかんないですね」  質問で終わらせずに言葉を切ったが、たぶんあの調子ではこちらの意図など関係なしに話を続けるつもりだろう。そういう人なのだ、この先輩社員は。 「それがね、30過ぎくらいの男が大学生くらいの女の子にお金渡してたの。それも1万円。お金返してるとかって雰囲気でもないし、気になるじゃない?だから私、話の内容聞いてみたのよ」  額面までよくぞ見ているものだ、と感心しながら、息を吐く音とも相槌とも分からぬ音を発っすれば、勝手に相槌だと受け取って先輩は話を続ける。 「まさか売春とか、流行りのパパ活だっけ? そういうのじゃないかってドキドキしながら聞いてたらね、どうも彼女代行業者ってやつだったみたいでね」 「彼女代行業者?」  思いがけない言葉にまともに返事をしてしまう。ああ、これで残りの昼休みで体を休ませて、石倉との再会に向けた脳内作戦会議は中断だな、と諦めつつも、聞き慣れない言葉に興味を引かれて反応してしまったので仕方がない。 「そう。なんかお金払ってね。デートだけするみたいよ。エッチなこととかはダメなんだって。でも一緒に写真撮ったり、どこか遊びに行ったりとかするんだっていうの。最近は草食系とか言って、奥手な男が増えたってテレビで観るけど、あれ本当なのね。お金払ってまでデートするって、理解できないわ。付き合っていてプレゼントするとか、食事奢るっていうのとわけが違うもの。私びっくりしちゃったわよ」  そういえば丸山もそんな業者の存在をテレビか何かで観た記憶があった。丸山が見たのは、SNSにあげるための写真を撮る際に、パーティーに人が集まっているように見せるエキストラだったり、呼ぶ友人がいない新郎新婦のために結婚式の参列なんてものもやっているのだと。  それから派生して、今ではただのデートをしてくれる業者まで現れたのか。金になることというのは、どこに転がっているのかわからないものだ、と感心しつつ、丸山は瞬時にあることを思いついていた。 ——俺も頼むか? 彼女代行。  何枚かシチュエーションを変えて、石倉に見せるための写真だけを撮影する。丸1日代行してもらって、写真だけを撮るスピードデートをこなせば、怪しまれない程度の写真の撮影が可能かもしれない。枚数がどうしても限られてしまうのは、相手が写真が好きではないという設定にすればいい。  どうでもいい先輩の話に付き合って、貴重な昼休みを消費してしまうことを覚悟していたが、思いがけないアイデアが収穫になった。  スラックスのポケットからスマホを取り出して「恋人 代行」のキーワードで検索をかけてみる。そうすると広告も含めて出てくる、出てくる……予想を遥かに超えて、恋人代行サービスを提供する会社は、世の中にはたくさんあったようだ。こんなワードで検索してしまったからには、このスマホはしばらくは代行業者関連の広告で埋め尽くされることになるだろうと覚悟をして、指で画面をスクロールさせてみる。  下までとりあえず目を通してみたが、何を比較して良し悪しを判断すればいいのかわからないので、結局その中で1番上に出てきたサイトにアクセスした。  トップページでは優しく微笑む女性が、公園のような場所で木に背中を預けて立っている写真が出迎えてくれた。どことなくその笑顔の眼が笑っていないように感じてしまうのは、宣材写真に過ぎないものだからなのか、なにかやましい目的があることを見透かされているのか。  とりあえず金額の相場が知りたくて、利用料金の項目を探して指でタップする。単なる時間に見合った派遣かと思っていたが、スタッフのベテラン具合などによっても値段は変わってくるようで、コースは色々あった。先程の先輩の話を聞いてなんとなく予想していたけれど、1番安い料金設定でもそこそこにいい値段をしている。 「3時間で1万円……」  3時間あったら何ができるだろう。公園でも行って1回、商業施設も行って2回、どこか適当なカフェなどに入って3回……  まともにデートと考えたら、ある程度のお付き合いがあるように見える写真を撮ることは不可能だと感じられた。やはり最初からスタッフに事情を話して、写真撮影のために特化した特別コースでデートするしかなさそうである。  しかし、そうなってくると、あまり値段の張らないビギナーのスタッフを頼んでも大丈夫だろうかと懸念が生じる。細かい注文をして、こちらの無茶に円滑に応えて貰うためには、そこそこ経験のあるスタッフをお願いしたほうが良いのではないだろうか。気づけば仕事をしている時よりも、はるかに頭を使っている。  脳内の計画作製が軌道に乗ってきた頃に、オフィスの壁にかけられた時計が、昼休みの終了の時刻を示していた。出払っていた同僚や上司たちも気がつけば席について、各々の仕事に戻り始めている。なぜ休み時間というものは、こんなにも短く感じられるのか。仕事をしている間の1時間と、同じ進み方をしているとは到底思えないな、と苦笑いする。  丸山は大きく伸びをして、肩を軽く回した。小気味いい関節の音を聞きながら、スマホをスラックスのポケットに戻しパソコンに目を向ける。午後の時間は適度に仕事をしながら、頭はデートプランの作製に取り掛かる。  石倉と飲むのは土曜日の夜だ。それに間に合わせるためには、土曜の午前から昼を使ってデートを完遂させなければならない。可能な限りの全ての撮影シチュエーションをピックアップしておこう。それが現実にどこまでできるかどうかは、帰宅してから移動時間なども加味しながら書き出していけばいい。  今日の仕事が終わったら、早速業者に電話して土曜の午前に代行彼女を手配してもらおう。頼むのはビギナースタッフではなく、そこそこベテランになっている人材だ。  金額は1.5倍ほどかかってしまうが、1万円払ってなんの成果も出せないかもしれないよりはずっといいはず。こちらの事情や要望も電話であらかじめ相談できるようであった。事情は何も隠さずに話してしまおう。業者側としても、そのほうがきっとやりやすいだろうし、そういった動員に相応しい人を薦めてくれるかもしれない。  丸山が真剣にパソコンに向かう姿はサラリーマンの鑑のようであった。けれどその中身が何を考えているかに気がつく人間は、当然ながらそのオフィスにはいない。
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