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 午前9時45分。恋人代行業者と待ち合わせした駅前で、丸山は所在なさげに、何度もスマホを出してはポケットにしまってという行為を繰り返していた。  駅前の人の数は当然ながら多い。先程から何十人、いや何百人は通り過ぎたであろう女性たちを見るたびに、丸山の心臓はドキリと高鳴っていた。 ——はたして、俺と今日デートするのはどんな人なのか  丸山は今日会う偽の恋人を演じてくれる女性の顔を知らなかった。  水曜日の夕方に定時退社をきめた後、会社から一駅だけ電車に揺られて下車し、普段使うことのない駅の中にあった全国にチェーン展開されているカフェで業者に電話をかけた。  会社の最寄りの店では、社内の知り合いに見られる恐れがあったし、最悪のケースとしては、こちらが相手の存在には気づかない内に、電話している姿を見られ、自分の言葉を盗み聴きされてしまうことが考えられた。  なにしろ斜め向かいの席には、ランチで寄ったファミレスで、男と女が1万円札をやり取りしている姿を見ただけで訝しんで、その2人の会話に聞き耳を立てるような能力を持った人間が座って仕事をしているのだから、それは警戒するようにもなる。  家に帰ってから電話するのが1番安全なのはわかっていたが、職場から家までは1時間ちょっとはかかってしまう。そうすれば代行業者の電話受付時間を過ぎてしまうこと間違いなしだったので、帰宅の道中で電話せざるをえなかった。  そんなわけで無駄に1駅遠いカフェまでわざわざ足を運び、念のため店内をキョロキョロと見渡して、見知った顔がどこにもないことを確認してから、丸山は昼休みに見た代行業者のホームページに掲載されていた「電話相談」のボタンをタップして、コール音の鳴る端末を自分の耳に近づけた。  3コールで取られた電話からは、落ち着いた男性の声で「お電話ありがとうございます」の決まり文句と社名が告げられる。 「えーっと……今週の土曜の午前中だけ彼女が必要になりまして」  事前に用意しておいたセリフだが、我ながらもっとマシな言い方はなかったのかと頭を抱えそうになる。周囲に人がいない店の奥まで来てよかった。 「はい、かしこまりました。どのようなスタッフを派遣致しましょうか。詳しい状況など、差し支えなければ伺えますか?」  不審者みたいな丸山の言葉にも、相手はさすがプロとあって、平常運転といった調子で返してくる。丸山はそれだけで、この会社なら信用しても大丈夫なような気がした。  しばらく付き合っている彼女がいる体で数十枚程度の写真を撮影したいこと、その撮影に特化したデートコースとなるので、そういった点に同意してくれる女性を派遣してほしいことなどを端的に伝える。  はい、はい、と相手は適度な相槌を打ちながら丸山の話を聞いていたが、一通りこちらの要望を話し終えると質問を返してきた。 「大まかなご要望は承りました。ある程度経験のあるスタッフをご希望されるとのことですね」  そうですね、と答えながらもう一度周囲に知人がいないか見渡してみる。電話の相手の声は聞こえないだろうけど、こんな会話を聞かれたら、明日以降、平然とその人と接することができる自信がない。 「スタッフの年齢やタイプなどに希望はございますか? 限度はございますが、可能な限りお客様の意図したお写真を撮影できるように、私どももご協力させていただきますので」  思いがけない言葉に少し驚きつつも、そのあたりは何も考えていなかったことに気がつく。 「あー……容姿とかは全然考えてなかったですね。清潔感のある方だったら、問題ないです。あちこち連れまわしてしまうので、体力のある人がいいかな。でもゴリゴリの体育会系みたいな感じじゃないとありがたいですね。年齢は俺と近い28前後の方だとありがたいです……すみません、色々わがまま言っちゃってますよね」  清潔感さえあれば、と言いながら、後から色々と注文をつけるような形になってしまい、申し訳ない気持ちになり謝罪の言葉を付け足す。 「いえいえ、細かくお伝えいただいた方が、当日に「何か違う」などと思われることも少なくなりますし、かえってありがたいですよ」  そんなものか、と思いながら、必要なことはこれで全て伝えることができたので、あとは全て業者側に任せるつもりで話を進める。 「では土曜日の午前10時に、先ほど申しました駅にスタッフを派遣致しますので」 「はい、よろしくお願いします」  待ち合わせに来る人と直接一切話すことなく、約束を取り付けるというのは、少し奇妙な感じがした。  だが「恋人代行」なんていう、そもそも奇妙なサービスを利用するのだから、それも仕方ないかと考え直す。  予約を終えて、少し身が軽くなった。あとは土曜日を待つだけだ。  念のためもう一度店内を見渡してから、残っていたアイスコーヒーを一気に飲み干して、返却口にグラスを置いて店を出た。  どんな人が来るのかわからないが、こちらの勝手に振り回してしまうのだから、せめて誠実な態度でいようと丸山は心に決める。  金銭を払った契約なのだから、多少のわがままも聞いて貰おうなどとは微塵も考えない。よくいえば紳士的、悪くいえばお人好し。これもまた、丸山という男の損しがちな性質のひとつであった。  ぼんやりと土曜日の駅前に突っ立って、数日前の電話を回想していると、ジーンズのポケットに入れたスマホが突然バイブレーションを震わせた。  慌てて取り出すと、今日の恋人代行を頼んだ業者からの着信であった。 「もしもし」  電話を取りながら少し不安な気持ちになる。まさか急に来れなくなったなんて話ではないだろうな、と。 「丸山様ですか? ちょうど今、本日派遣予定のスタッフから、待ち合わせの駅に到着したと連絡がありました。今どちらにいらっしゃいますか?」  今日の電話は落ち着いた女性の声であった。最初に電話したときの1人の事務員でまわしているような小規模な事務所を勝手に想像していたので、他にも社員がいることに少し驚く。  駅の時計を見ると時刻は9時50分を指していた。丸山は周囲を見渡して、わかりやすい目印にできそうなものを探す。 「西口から出て貰ってすぐ隣にあるコンビニの入口の近くに立ってます。わかりますかね?」 「スタッフに伝えますね、そのまま少々お待ちください」  そう言ってから電話の声が遠くなる。……はい、西口のコンビニとのことで……はい、わかりました。お客様にお伝えします。  そんなやり取りが聞こえた後で、先ほどの女性の声が再度近くなる。 「もしもし、丸山様。すぐにそちらに到着するとのことですので」 「そうですか、わかりました」  返事をしながら丸山はあたりを見渡す。自分と同じように電話をしている女性がいないか気になったからだ。 「万が一入れ違いなどが起きましたら、お手数ですがこちらの番号までお電話をお願いいたします。合流できましたら、スタッフから連絡がこちらに入りますので、丸山様はそのままデートを進めていただいて構いません。それではいってらっしゃいませ」  いってらっしゃいませ、ね。某テーマパークみたいな送り出し文句だな、と思いながら電話を切る。  さて、これから3時間、俺の偽彼女になってくれる女性はどんな人だろうと、再びキョロキョロ周りを見渡すと、横から声をかけられた。 「丸山隆雄様ですか?」 滑舌のいい、高すぎなくて心地いい響きの女性の声で名前を呼ばれる。丸山は声のした方向にゆっくりと顔を向けた。 「あっ……」 その顔を見て、思わず驚きを漏らしてしまう。 「本日、代行彼女をさせていただきます。杉原佳穂です。よろしくお願いします」 そう言ってセミロングの栗色の髪を垂らして、女性が綺麗にお辞儀をする。 「杉原……さんって、おっしゃいました?」 丸山は驚きの声で女性に名前を確認した。 「はい、杉原です。でも今から3時間は佳穂って呼び捨ててもいいんだよ、丸山君」 顔を上げた女性は、悪戯っぽく笑いながらそう続けた。  杉原佳穂。偽彼女として派遣されてきた女性は、丸山が高校生の時に同じクラスだった人であった。 「俺だってわかってたの? 最初から」 「受付の名前を聞いて、年齢も一緒だし、もしかしたらな、って思ってたくらいだったけど。コンビニの前に丸山君が立ってたから、ああ、もうこれは確定だなって」 「マジかよ、ビビったわぁ。映画でもないのに、こんなことってある?」 「高校の同級生に見栄を張るために、偽彼女とツーショット写真をいっぱい撮ろうとして、代行彼女を頼んだら、これまた高校の同級生が来た、ってこと?」 「ちょっ、マジで、それ整理して言うのやめて。俺いま恥ずかしくて軽く死ねるくらいだから」 「でもしっかり最初の目的地に向けて早歩きで向かってるし、当初の目的は忘れてないから大丈夫じゃない?」  プランその1、代行彼女と合流したら、真っ先に駅の近くの公園に行って最初の撮影スポットにする。  杉原の言う通り、丸山は突然の同級生登場に混乱しながらも計画を正確に遂行させていた。 「時間ないから急かしちゃってごめんね。公園の次はタクシーで移動だから、安心して」 「ありがと、相変わらず紳士だね。でもとりあえずは公園でしょ。写真撮るなら何か飲み物とか、小道具みたいに手に持った方がいいんじゃないかな。公園の売店とかでタピオカとか買う? ちょっと古いかな」 人を縫うようにして、ほぼ競歩に近いペースで歩行しながらも、しっかりと付いてきてくれて、更に案まで出してくれる杉原に丸山は心強さを覚える。 「とりあえず全面的な協力を貰えることがわかって、混乱しつつ、すげえ感謝してる。よろしくね」 「うん、こちらこそ。代金ちゃんと貰うから頑張るね」  急ぎ足で歩きながら会話したから、2人とも少し息が上がっているが、信号待ちで杉原がそんな冗談を飛ばすから、丸山は噴き出してしまう。 「OK、料金はもちろん払うから。今みたいに友達っぽい感じでいこう」 「彼女を代行でレンタルしてるのが恥ずかしい?」 「レンタルしたところまでは想定内だったけど、高校の同級生来ちゃったから恥ずかしさマックスでやばいから、ダメ」 なにそれー、とケラケラ笑う杉原を急かして、青に変わった信号を渡る。ここを渡れば予定の公園はすぐそこだ。
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