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5.
公園の売店を見つけて、先ほどの杉原の提案に従って小道具になりそうな飲み物でも買おうと試みる。店に近づく丸山に、小声で杉原が耳打ちする。
「あのね、料金が先払いなの。お釣りは一応用意はしてるんだけど、大きいお金しかなかったら、ここで崩してくれるとありがたいかも」
サラリと言われた言葉に、一瞬意味がわからなくなるが、そうだ、彼女は高校の同級生というだけではなく、業者から派遣されて来てくれた彼女代行であったんだ、ということを思い出す。
「1万5千だよね?」
周りに聞かれたい話ではないので、丸山も小声で確認すると、彼女はコクンと頷いた。
タピオカは売っていなかったけれど、瓶のラムネを2本購入した。万札を出したら、売店の中年女性には「小銭ないのか?」とでも言いたげな顔で財布を一瞥されたけれど、5千円札が欲しかったのだから仕方ない。
「天気良くてよかったね、ねぇ、どこで写真撮ろっか」
売店で受け取ったお釣りの中から5千円札を抜き出し、もう片方の手に隠していた万札と合わせて、麻薬の密売人のごとく、すばやく杉原に渡す。杉原も一瞬で金額を確認すると、バッグの中のチャック付きのケースにそれをサッとしまいこみ、何もなかったように彼女を演じてくれた。我ながら見事な連携プレーだったと思う。
「あのさ、写真撮りたいって言ったんだけど、正直そういうの慣れてなくて……今までは相手の子が撮ってくれてたからさ。どうしたらいいかとか、サッパリなんだけど……」
言い出し辛そうに丸山が切り出すと、杉原はけろっとして、大丈夫、私が準備してるから。といって、近くにあったベンチに丸山を誘導した。
「とりあえずラムネで乾杯してる感じにして、肩に手まわしてくれていいからね。じゃあカメラのとこ、ちゃんと見てね」
言われるままにベンチに並んで腰掛けて、右手で杉原の肩を抱いて、左手で持ったラムネの瓶を杉原の手にあるラムネの瓶に交差するようにぶつける。
「はい、笑ってー、カメラ見てー」
杉原が片手を伸ばしてスマホのインカメラを使ってパシャパシャと写真を撮る。この間、10秒もかかっていない。
「どう? こんな風に撮っていこうと思うんだけど」
確認のために見せられた写真は、どこから見てもカップルに見える立派なものであった。なるほど、SNS映えとかする写真ってのは、こうやって撮られているんだなと感心する。
しかし数分前に再開したばかりのただの同級生とのツーショットを、こんな「付き合って3ヶ月です!」みたいに見せる写真にしてしまう杉原の手練手管に丸山は恐れも覚えた。
世の中には、今の俺たちみたいに、見せかけで作られたものが溢れていて、それに自分が気付かなくても無理はないなと思う。
けれどまあ、自分にとっては頼もしい味方の出現であるわけだし、とすぐに思い直す。今を楽しむために切り替えが早いのが自分の良い所だと信じている丸山は
「めっちゃいい! この調子でお願いします」
と杉原を拝んだ。
公園での撮影が一通り済んで、2人はショッピングモールへと移動していた。勿論、そのモール内であっても、杉原が目をつけたスポットでの写真撮影は忘れない。
「あっ、そうだ。ちょっとお手洗い寄っていい?」
「うん、いいよ。待ってる」
そう言って化粧室の近くで壁にもたれながらスマホを弄って杉原を待っていると
「おまたせー」
間延びした声で帰りを告げられた。スマホのサイドボタンを押して画面をおとし、ポケットに戻す。そして顔を上げると、先ほどと全く違う服装になった杉原が立っていた。
「あれ、もしかして、着替えた?」
「そう。着替えたの。同じ服で何枚も写ってたら、違う日にデートしてるはずなのに不自然でしょう?」
「全然思いつかなかった……」
自分で言い出したことでありながら、全く気が回っていない自分が恥ずかしくなって、消え入るような声になりながら丸山は言った。
それをフォローするように杉原は明るい声を出して、発破をかける。
「大丈夫だよ。今から撮るものが別の日に撮った設定でいけばいいんだから」
「俺はどうしよう。同じ格好してるの変じゃないかな」
「うーん。丸山君のよそ行きの服がそれしかないことにしたら?」
「他にも持ってるよ!」
「あはは、冗談だよ。気になるなら、ここのモールで買えばいいよ。ファストファッションのお店も入ってるから」
そう言って案内板に描かれた有名店のロゴを杉原は指差す。彼女はそこまで計算に入れていたのだろうか。モールに向かうのを提案したのは自分だったはずなのだが。
「そうだな……うん、俺だけ同じ格好なのも変だ。上着とシャツくらいなら買ってもいいや。ちょっと付き合ってくれる?」
「もちろんいいよ。だってあと2時間は丸山君の彼女だからね、私」
ここまで厳密な時間制限のあるデートは初めてだったが、そういえばそうだったと思い出す。杉原があまりに自然過ぎるし、今日初めて会ったわけでもないから、業者であることを忘れてしまいそうになるのだ。
適当に2、3枚のシャツとアウターを購入し、杉原に見立てて貰いながらコーディネートを変える。
「うん、これで私たちのデートは2回目だね。中のシャツを変えれば、3回目も4回目も演出できるよ」
「杉原はまだ着替えを持ってんの?」
「うん。付き合ってる偽装の写真撮影って依頼を聞いてたからね。1日分の格好じゃ不自然だろうと思って、組み合わせ変えたら5回分くらいになる着替え持って来てるよ」
そう言って自慢げに肩から下げたバッグをポンポンと叩いてみせる。
女性の持つデカいバッグには、いつも何が入っているのか不思議だったが、その謎の1つが、丸山は今日解けた気がした。
どんな不測な事態が起きたとしても、いつでも何にだってなれるように備える。杉原の場合はプロだから、少し極端な例だろうが、女性の荷物には、そんな秘密が隠されているのかもしれない。丸山はこれまで付き合った女性たちのことを、少しだけ思い出していた。
「よし、じゃあ次はフードコートね。まだ11時だから、お茶してるシーンを撮っていこうか」
わかりました、監督。心の中で、そう返事をして、口では「うん、わかった」なんて言いながら丸山は杉原の後に続いてエスカレーターに乗った。
杉原の的確な指導のおかげで、丸山のスマホの写真フォルダには50枚ほどの写真が、この3時間で新たに加わっていた。どれも文句なしに「いいね!」が付きそうなものばかりだ、と丸山はそれらをスクロールで眺めながら思う。
SNSなんて大学を卒業してから疎遠になっていたので、今でも「いいね!」なんて機能が残っているのかどうかも実はよく知らないのだが、それくらいに満足のいく収穫であったということだ。
「大丈夫そうだね。5、6回デートしたカップルって感じだよ。うん、我ながら良い出来だ」
丸山のスマホの画面を隣から覗き込みながら杉原が言う。監督である彼女の太鼓判が押されたとなれば、石倉のことなど騙すのは容易いはずだ。
モールで着替えてカフェで写真を撮った後は、杉原の指示に従って着替えては撮り、着替えては撮りの繰り返しだった。映画デートを演出するために、モールに併設された映画館にまで行って、映画の宣伝の為の等身大パネルと一緒にロビーで写真を撮って出て来た。映画館のスタッフには何をしに来たのかと思われたことだろう。
移動と撮影で疲れた、なんて言えばまるで芸能人のようだが、実際はセコいプライドのために代行彼女との怒涛の撮影会である。丸山は戦を駆け抜けた戦士のように燃え尽きてベンチに座っていた。
「お疲れの所悪いけど、そろそろ1時だよ、丸山君。バイバイしなきゃね」
天を仰いで目を瞑っていた丸山に、遠慮がちに杉原が声をかける。その声に反応してゆっくりと瞼を開け、スマホの時計を確認すると12:58だった。
「あー、悪い。ボーッとしてた」
「ううん、大丈夫。やり残したこととかない?」
あと3分もないけど、そう言って笑いながら杉原が尋ねてくる。
「ん、ないよ。完璧だと俺も思う。本当にありがとうね」
「よかったぁ。お客さんにそう言って貰えると、やっぱり安心できるな」
お客さん、か。そりゃそうだ。今日、俺は彼女に金を払って、彼女の時間を3時間貸してもらっただけの客に過ぎないのだ。
「服とか買ったから荷物になっちゃうね。石倉君に会うの、この後なんでしょ? 駅のコインロッカーにでも預けておくといいよ」
アフターフォローまで完璧な代行彼女。一緒に駆けずりまわっていた時は感じなかったけれど、別れの時間となると急に寂しいような気がしてくる。
「あのさ、1個だけ聞いてもいいかな」
「ん? なに?」
あと数分、もう1分もないかもしれない時間に、ほんの少しだけ縋りつこうと試みる。
「もう会ったりはできないの? こういう代行彼女とかじゃなくて、なんつーか、高校の同級生のよしみって感じで」
丸山の問いに杉原は表情を変えず、丸山の方を向いていた視線を前に向けて答えた。
「お金払わずに今日みたいなことがしたいってこと?」
その声もさっきまでと何の変化もないけれど、壁を作られたように丸山は感じた。いや、ずっと存在していたけれど、見えなかっただけの壁が可視化されたというべきか。
「そうじゃないよ。偽装の写真撮るなんて、もう疲れたし、俺から頼んでおいてなんだけど、もう2度としたくない」
そこだけは本気で疲れた顔で答えると、杉原はもう一度こちらを向いて笑う。
「楽しくなかった?」
「それ以上に疲れた」
「じゃあなんで、また私に会いたいの?」
「だから、俺が今日これから石倉に会うみたいな感じで、杉原とも飯行ったりできたら楽しいかなって思って。今日も楽しかったよ。でもそれ以上に、撮影っていう目的で焦って、疲労困憊の気分だ」
撮影なんて慣れてるわけもないしさ。そう言ってベンチに腰掛け直す丸山を、杉原は黙って楽しそうに見ている。
「また友達やろうよ。って感じ、かな。28にもなって、なんかガキっぽい言い方だけど」
杉原の方へと向き直り、その目を見て告げると、杉原は「そっかぁ」と言ったきり黙ってしまった。
そのまま1分ほど経過して、丸山がどうしたものかと悩んでいると
「残念ながら、その申請は却下されました」
楽しそうな声で拒絶の意を表して、杉原はベンチから立ち上がった。
「私とまた会いたかったら、指名してくれていいからね。2回目からはリピーター割引も効くよ」
そう言って丸山の方へ1枚のカードを差し出す。受け取って見てみると、それは杉原の名刺だった。代行派遣スタッフと肩書きが書かれている。
「嫌なことされたりね、どうしても無理なお客さんには、その名刺渡さないの。じゃあね、丸山君」
そう言ってそのまま歩いて行こうとする杉原に、慌てて立ち上がり声をかける。
「駅まで送るよ」
「もうデートの時間は終わってしまいました。スタッフとの接触はお控えください」
笑いながら振り返り、そんなことを言う。
「女の子1人で危ないって」
「なーに言ってんの。今、昼の1時だよ? 本当に変なところで紳士だね、相変わらず。バイバーイ」
そう言って大きく手を振ると、杉原は走り去ってしまった。確かに土曜日の昼の1時で、人通りも多いショッピングモール近くのこの場所から駅まで、危ないなんて言える要素はどこにもない。無理やり追いかけるわけにもいくまい。下手すればこちらが変質者である。
「また会いたければ指名、ね」
渡された名刺を見つめる。
——捨てるのもしのびないしな。
そんな言い訳じみた言葉と共に、杉原のアドバイス通りにコインロッカーに預けるつもりになっていた某ファストファッションの店のロゴが入った紙袋の中に名刺を放り込んだ。
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