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「よっ」 「おぅ」  2年ぶりともなれば、もう少し感慨というものがあっても良いような気もするが、30近い男が2人だと、この程度のものである。  騒がしさの種類が猥雑なものへと変わり始めた夜の駅前は、旧友との再会に悪くないシチュエーションだった。高校生からの付き合いだったはずなのに、どちらも大人になったことがよくわかるから。 「とりあえずビール飲みてえ。適当な居酒屋でいいしょ?」 「ああ」  会話が最短距離なのは、互いの距離が近いからだと丸山は信じている。  友人はそこそこいたはずなのに、高校生の時から続く繋がりは、いつしか石倉だけになってしまった。  他の友人たちとも、別に意図して断絶したわけでもないし、友情が消え失せたわけでもない。それこそ昼間の杉原のように偶然出会えれば、盛り上がることもあるだろうし、積もる話だってある。  けれど時が過ぎて各々の大事なものができてくると、互いをつなぎとめておくのに努力が必要になってくる。  その努力を惜しまずに、手を伸ばし続けたかった相手が、丸山にとっては石倉であったというだけだ。そしてたぶん石倉も似たようなことを自分に感じてくれていたから、こうして今日の2年ぶりの再会が実現したのだろう。 ——まあ、そんなこと思っても態度には出さないけど  別に捻くれてるわけでもなんでもなく、ただ単に小っ恥ずかしい。その恥ずかしい部分を省略しても「お前と一緒に過ごすのは悪くねえよ」と思っていることが伝わっているというのがありがたい。そういう意味でも石倉は自分にとって大切な友人であった。 ——じゃあなんで2年間も俺はこいつを放ったらかしていたんだろうな  そんなモヤモヤが湧いてきたけれど、詳しく自問したら、あまり直視したくない答えが出てしまいそうで、今はひとまず棚上げしておくことにした。日曜に石倉から電話がかかってきた後に、この件については充分考えたはずだし。 「お前、なんか無口だな」 「えっ、そう?」 「うん。いつもはお前の方が喋ってたのに、全然喋んねえじゃん」 「俺も大人の男になったってことだろ」 「何言ってんだ」  考え事をしながら歩くうちに、黙り込んでいたらしい。 ——せっかくの再会なんだから、楽しくやりたいよな。  そう思った丸山は石倉の肩に手をかけて距離を詰める。 「お前はどうなんだよ。結婚なんて言ってたけど、覚悟決まってんのか」  茶化すように言ってやると、こちらを見もせずに 「店着いてからでいいだろ」 といなされてしまった。  けれど嫌がられているわけではないことはわかる。顔をこちらに向けないのは、照れや恥ずかしさからだ。もしも怒っていたなら、石倉は人の目を見ようとする。それがわかっている自分に丸山は安心していた。 「じゃあ乾杯だ」 「ん、乾杯」  ジョッキに口をつけてゴクゴク飲み込む。石倉には隠し通さなければならないが、写真撮影で日中歩き回った体に、生ビールはよく染み込んだ。 「おめでとう、結婚」 「まだだけどな、ありがとう」 「これ、結婚祝いの前祝い。もう同棲してんだろ? 一緒に食ってくれよ。ちゃんとしたのは、今度やるから」 「いいのに、そんなの」  昼にショッピングモールで買っておいた菓子詰を手渡す。照れくさそうに笑いながらも石倉は有名なチョコレートメーカーの紙袋を受け取ってくれた。 「電話でも言ったけど、ちょっとまだ信じられないわ」 驚きを大げさに表現しながら聞いてやる。 「電話でも言ったけど、まあ、この子だなって思った縁だよ、縁」 「縁ねえ……さっぱり見当がつかないけど」 「お前だって彼女いるって言ってたじゃん。感じたりしねえ? あー、この人かもな。みたいな。一緒に暮らしてく姿が想像しやすい、みたいな」 「……ねえな、そんなの」  そもそも彼女などいないのだから、相手もいないのに、そんなことを感じるわけがない。  丸山の答えを聞いて石倉はハァーっとため息を吐いた。 「自分が結婚するから上から目線になったみたいに思われたくねえんだけどさ」 そう前置きしてから続けた。 「お前のこと、ちょっと心配なんだよな。高校の時からどこか夢見心地っていうか、地に足がついてない感じがして」  そう言ってもう一度ジョッキを傾けてグビリと中身を飲み下す。 「なんだよ、それ」  別に怒るようなことでもないと感じたし、上から目線だとも感じなかった丸山は、率直に笑って続きを促す。 「高校3年の夏休みにさ、お前と話したんだけど、覚えてないかな」 そう言って遠くを見るようにして懐かしみながら石倉は話を続ける。 「お前言ったんだよ。『将来のために今があるのか? 今があるから将来があるんじゃないのか?』ってさ。俺、あれ聞いた時、驚いたよ」 ビールと一緒に出てきていた枝豆を口に放り込みながら石倉は続ける。 「それまで俺は、将来ってのがまず先にあって、あの時悩んでたあれこれは、そこに向かって行くための手段でしかないと思ってたんだよな。でもお前の口からそんなこと聞いてさ、目から鱗って感じ。そっか、こいつは未来のためになんて生きてねえんだ、今の自分のために生きてるんだ、ってな」 枝豆が口の中で粉々になって、石倉の喉を通って行くのを丸山は見つめていた。 「将来のためって言葉が、未来の自分のためって意味とイコールだって、当たり前のように信じてた俺にとっちゃ、お前の生き様は斬新だったね。今の自分のためにさえ生きれないのに、未来の自分のことなんて考えて、バカなのは俺の方じゃないかと思ったよ」 「それはないだろ」 「うん、それはない。それも今はわかってる」 丸山は枝豆が通り過ぎた石倉の喉を軽く締め上げてやろうかと少しだけ考えた。 「でもさ」  次の枝豆に手を伸ばして石倉は続ける。豆ばっか食ってよく飽きないなと思ったところで気がつく。 ——ああ、こいつは今、照れてるのか。 決して丸山の顔を見ないで、豆と豆を取り出した鞘を見つめ続けて話し続ける石倉。 「お前の方がずっとちゃんとしてたんだろうな。今、何をするべきかを必死で自分で探してた。誰かに言われた『将来』なんて言葉に惑わされずにな」  この話はこれで終わりだ、とでも言うように、石倉の視線が枝豆から丸山へと戻ってくる。 「お前そんなこと考えてたのか、あの話で」  丸山は驚いていた。今、石倉が話したことは、今朝の夢でみたシーンの直後のことだった。どう頑張っても思い出せなかったのに、人から聞くとスルスルと思い出すことができるから不思議だ。 「考えたというか、感じたっていうべきか」 今度はから揚げをかじりながら石倉が答える。これは別に照れてるわけでもなんでもなく、単にから揚げに夢中なのだと丸山にはわかった。 「とにかくさ、お前は周りに流されて、重りをつけられて地面におとなしくたってるような奴じゃなかったから。結婚でもなんでも、夢見心地のままなんじゃないかなって気にかかるんだよ。運命の相手がー、とか言ってんじゃねえかなぁ、とかさ」 「別にいいじゃねえか。運命の相手を探しても」 自身もから揚げに箸を伸ばしながら丸山は抗議する。 「いや、いいんだよ。いいんだけどさぁ。妥協ってやっぱ必要だよ? っていう」 「なに、お前妥協して結婚すんの?」 「そうじゃない。それは絶対ない。俺はあいつがいいの。俺のことは置いておいてさ、お前ずっと1人でいるつもり?」 「いいだろ、別に。30代の男の未婚率は50%近いっていうぞ。お前が結婚して、俺がしなかったら、割合的にもちょうどいいじゃねえか」 口の中に酸味が広がらないことから、から揚げにレモンをかけ忘れたことを思い出し、丸山はそれを頭の片隅で後悔しながらも言い返す。 「そんな屁理屈言ってんじゃねえんだよなぁ。まあ、お前がいいならいいんだけどさ。でも逆に安心したかな、お前、何年経っても相変わらずだから」 ——変なところで紳士だね、相変わらず。  つい数時間前に杉原に言われた言葉がよぎった。 「お前もそう思うの?」 「『お前も』? 他の誰かにも言われたの?」 口に出してからマズイと慌てた。その感情が顔に出ていたらしい。 「なに急に慌ててんだよ」 「えっ、別に慌ててねえよ」 「いや、思いっきり慌ててるって。それも相変わらずだよ。なしたよ」 「いや……ちょっと最近、昔の知り合いにも同じこと言われて。俺ってそんな成長してないかなー、って」 「ふーん」  昔の知り合いと濁したのが功を成したのか、石倉はそれ以上突っ込んで聞いてくることはなかった。代わりに話題が別のことに飛ぶ。 「あっ、そうだ。お前、彼女ってどんなやつなの? 大学入ってから恋人だけは切らしたことなかったじゃん。知りてえわ。今までは毎回紹介してくれたじゃん」  今まで彼女ができるたびに石倉に紹介していたのは、石倉の病的な女嫌いを治すためのつもりだったのだが、こちらのそんな気遣いにはとうとう気づくことなく結婚を決めた男が、よくぞいけしゃあしゃあと……と内心で思いながらも、石倉を傷つけることは本意ではないのでその点に関しては黙っておくことにする。 「あー、まあ可愛い子だよ。気がきくし、明るいし、パワフルで俺のこと引っ張ってくれる感じの子」  今日の昼間に共に過ごした杉原を思い浮かべながら答える。なにも嘘は言っていないから淀みがない、よし、大丈夫だ。 「へー、いいじゃん。お前、ちょっとボーッとしてるもんな。ひたすら優しくて、相手のこと甘やかしてるように見える部分もあるけど、そういう子なら互いに自立してお付き合いできんじゃねーの」  相手を甘やかしているという自覚はなかった。付き合う相手なら、優しくするのは当たり前じゃないのか? という疑問が頭に一瞬浮かぶが、石倉の次の発言で、その考えは彼方に追いやられる。 「写真とかねーの? 見たいよ。どんな子か」  来たぞ! 予想した通りの流れだ。まださほど酒が入っていない状態でこの話題がきたのは、想定より早かったが、大きな問題ではない。ここはスマートに「ああ、こんな感じの子だよ」とでも言って、痛いところなど微塵もありませんってな具合で、今日撮った写真を見せてやればいいんだ。 「んー、見てどうすんだよ。でもまあ、ほら、この子だよ」  ススっと指をスマホの上で滑らせて、写真保存のアプリをタップする。 ——カメラロールに連続して写ってたらぶっ通しで撮影したのがバレちゃうから、アルバムとかにまとめ直せばいいよ。 という杉原のアドバイスに従って、石倉と合流する前に体裁を整えたファイルを表示して、スマホごと渡してやる。 「へー、可愛いし、優しそうだな。それに頭も良さそう……あれ、なんか見覚えあんな、この人」  失念していた。丸山と石倉は高校3年生で同じクラス。丸山と杉原も高校3年生で同じクラス。つまり石倉と杉原も同じクラスだったということだ。見覚えがあって当然である。しかし、この「高校時代は女性の存在などないことにしていました。会話も一切していません」といった男が、同じクラスだっただけの杉原のことを覚えているか?  丸山の頬を一筋の汗が垂れた気がした。その間も「うーん、仕事関係で見かけた? いや、違うな……どっかですれ違っただけならいちいち覚えてないだろうし」などと石倉は頭をフル回転させて高校の同級生を思い出そうとしている。 「ダメだ、わからん。でも絶対見たことある。名前なんてーの?」 「佳穂ちゃん」 ギブアップした石倉がヒントをねだってくるが、絶対に教えない。 「いや、上の名前よ。俺が下の名前で女の人のこと覚えてると思うか?」 「なんだよ、俺の彼女の名前なんか聞いてどうするんだよ」  なんでこんなに焦っているのかわからないが、こんな時に限って箸が滑って冷奴の豆腐を破壊する。 「なに動揺してんだ? 俺に知られたくない相手か? なあ、苗字何よ。教えてくれてもいいじゃん」  もう一度豆腐を掴もうとして、滑った箸が空を挟んだのを見て丸山は悪あがきをやめた。  どうせいつか答えに行きついて、卒業アルバムでも開かれたらバレるのである。そうなってからあれこれ聞かれる方が面倒だ。 「杉原佳穂……高校の時、クラス一緒だっただろ」 「あー! 思い出した! 俺、この人と放課後講習で席が隣だったんだよ! それで顔覚えてたんだ」  なーんだよかった、スッキリしたよ。と笑いながら、石倉は乗り出していた身を元に戻す。 「で」 「で?」  あーはいはい、とひとしきり納得してから切り出された。 「なんで付き合うことになったの?」 ——そう来るよなぁ  計画になかった杉原の登場、そして彼女を覚えていた石倉。不運が重なったとしか思えない結果が生み出した現状だ。今朝のテレビの占いはきっと最下位だったことだろう、それでラッキーアイテムはオーガニックのコットンとかいう、俺とは無縁のもので……なんだか、ついこの前も似たようなことを考えた気がする。そんなにも最近の俺は不運続きであっただろうか。  土曜日の朝は平日と番組が違うのだが、そのことを彼に指摘する人間は、残念ながらどこにもいない。  面白くなりそうな話題の予感に、期待に満ちた目でこちらを見てくる石倉を前に、丸山は頭をフル回転させてもっともらしい言い分を探した。
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