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7.
偶然、駅の近くで出会った。そこから話が弾み、少し話して連絡先を交換。その後は映画に行ったり、買い物に行ったりしていくうちに、付き合っている雰囲気になっていった。
今日の午前中に凝縮して体験したことを織り交ぜながら、自然に見えそうな作り話を披露する。
頭で考えながら話すという高度な技術が要求されたので、所々で滑らかじゃない箇所があったのだが、それらは全てただの照れ隠しだと石倉の中では処理されたようで幸いであった。
「どんくらいになるの?」
交際期間を聞かれた時も
「3ヶ月くらいだったかな」
交際はしてないうえに、一緒にいた時間も本当は3時間だったが、単位を変えてごまかした。
「へー、なんだ。相変わらず彼女は切らさないんだな。お前らしいよ」
実際は2年以上途絶えているのだが、そんなことに石倉が気付く様子もない。とりあえず山場は乗り切れたというところだろうか。
「相変わらず、っていうけど。お前の中で俺はどんな立ち位置なの?」
さっさとこの話題から引きあげてしまいたいので、別の話を振ってみる。
「なんていうか、マフィアのジェントルマン、みたいな?」
特に悪びれる様子もなく、悪意があるのではと疑いたくなるような言葉が帰ってきた。
「それ、褒めてる?」
「褒めてるっちゃ褒めてるけど、褒めてないっちゃ褒めてない」
2杯目に突入したビールに口をつけながら石倉が答える。
「お前、今までの彼女たちとの恋愛思い出してみろよ。グズグズに甘やかして、お前に依存させるような形にしておいて、最終的に向こうがある日、お前の些細な連絡忘れとかに馬鹿みたいに傷ついたりして、それでさようならの繰り返しだっただろ」
思い出せと言われたから思い出してみるが、丸山にはその自覚は全くなかった。
可愛かったから、好きになれそうだと思ったから付き合う、付き合うなら相手に優しくするのは当たり前。自分としては上手くいってるなと思っていた矢先に、友達と(主に石倉しか相手はいなかったが)徹夜で飲み明かしたりして、携帯電話を放置してしまい、翌朝気がつくと狂気を感じるほどの着信履歴やメールが満載になっていて、恐る恐るなぜそんなことになったのか彼女に尋ねたら、キレられて終わった。という記憶しかなかった。
ありのままの記憶を石倉に話すと
「付き合うなら優しくして当たり前。って所はジェントルマン。でもその優しくする手段が異常だったよ。人を薬漬けにするマフィアみたいに、あんな愛情全部注いでさ。お前なしじゃいられなく変えちまう。なのにお前の気まぐれで突然一晩放置されたりしたら、禁断症状のひとつも出るわな」
「そんなつもりはなかったな……」
「だからマフィアのジェントルマン。お前に悪気はないのはもちろん、ちゃんと相手が好きだったのもわかってたから、何も言わなかったけどね」
丸山としては結構真剣な話をしているつもりなのだが、「これうまいな」とか呟きながら、石倉は海藻サラダを口に運んでいる。これは別に照れじゃない。ただの気楽な世間話のつもりなのだ。
「『相変わらず、変なところが紳士だ』って杉原にも言われたよ。高校の時から俺そんなだったの? あの時は誰とも付き合ったことなかったのに」
自分の知らない自分について知れる機会は多くない。この際だからと気になることを尋ねてみることにした。
「お前が優しいのは元からだろ。でも相手が自分の愛情の対象になったら、ちょっとその優しさ異常かもな。俺に対してもお前、優しすぎるもん」
「俺はお前を恋愛対象にしたことはないんだが」
「恋愛対象じゃなくても愛情対象にしてくれてるだろ。じゃなきゃこんな俺と誰も長くつるまねえよ。高校の時の俺、女子に対して空気みたいに接してたけどさ、それは相手が男であってもだぞ。お前以外の人間は空気みたいに考えてたよ。だってどうしたらいいかわかんなかったんだもん」
その言葉で丸山は高校生活を思い返す。1番親しかったのは間違いなく石倉だった。でも他にも話したり、物の貸し借りをする相手は結構いて……でも放課後はいつも石倉と一緒だった気がする。何人かでどこかに行く時も、いつも。
「なんでお前、俺以外には塩対応だったの」
素朴な疑問を口にする。思い返せば、石倉の言った通り、石倉から誰かとコミュニケーションをとっているのは見たことがないような気がした。
「お前が俺を人として扱ってくれたから」
「は?」
この男は誰かから異星人としての扱いでも受けたことがあるのだろうか。
「俺ら、中学も一緒だったじゃん。話したことは全然なかったけども」
「ああ、それは覚えてる」
丸山と石倉は中学も同じであった。けれど面識はほぼない。親しくなったのは高校に入ってからだ。それは丸山も覚えている。
「俺さ、中学でいじめられてたんだよ。1年の時の数ヶ月だけど。ノート捨てられたり、靴隠されたり。ネクタイをトイレに流されたこともあったわ」
「はっ? なにそれ初耳なんだけど」
丸山の驚きの声に構わず、石倉は淡々と続ける。
「主犯はせいぜい3人くらいなんだけどさ。他の奴らもみんな見て見ぬ振りするわけよ。35人も同じ教室にいるってのに」
参っちゃうよな、なんてなんでもないことのように言いながら、石倉はメニューに手を伸ばす。
中学のクラスの人数なんて丸山は覚えていない。なのに石倉は35人と言い切った。まさか、そんなことまで忘れられないのかと驚いた。
「そしたらある日さ、今まで1度も話したこともない奴が、俺の教室まで来たわけ。で、大声で叫ぶんだよ『ここ3組だよね? イシクラって人いる?』って。俺、泣きそうになったよ。やめてくれ! って。クラス中の奴らが俺のこと無視してて、主犯の奴らの気が向いたら何されるかわかんなかったし」
そう言って石倉は再びビールに口をつける。苦いんだろうな。自分も同じものを飲んでいるくせに、丸山はそんなことを思う。
「一瞬教室の時が止まったわけ。あー、もう終わりだ。今日の放課後も何かされるって絶望してたらさ、そいつが近寄ってきて、俺に汚えノートを差し出してくんだよ。何かと思って顔上げたらさ『これ、傘立ての中に落としてたぞ。何したらそうなんだよ。はいっ』って、本気で俺がそこに落としたんだって信じ込んでる顔して、俺の捨てられたノート差し出してんの」
そいつバカだよなー、どうやってそんなとこに落とし物するんだってーの、と石倉は笑いながら今度はつまみを囓る。
「そんなことが3、4回あったかな。その度にそいつが、きったなくなった俺の紛失物を持ってきてくれるわけ。中庭の畑に靴を埋められた時は、そいつのシャツが泥だらけになってたりさ。どんだけ必死に探してんだ、こいつバカのお人好しかよって思った」
口の中のものを飲み込んで、石倉はそこで言葉と笑いを切る。
「でもな。そいつのおかげで俺へのいじめは終わったんだ。やってる奴らも興を削がれて、飽きたんだろうな。その後は、いじめなんてあったんですか? ってな空気で1年が過ぎてったよ」
「……。」
結婚の祝いで設けた2人の宴会で、なんでこんな話をしているんだろう。丸山は言葉が出なかった。
「その時に色々俺を助けてくれた奴の名前は知らなかったんだけどな。顔を忘れたことはなかったよ。でも中学ではクラスが一緒になれなくて、礼を言う機会もなかったな」
石倉がまたビールに口をつける。
「その後はいじめもなかったけど、人間不信になっちゃって。高校も家から遠いとこにした。知ってる奴がいないところが良かったんだ。あと、俺のこと玩具にしてた奴らは頭は良かったから、あいつらが来なさそうな偏差値低い高校選んだ」
そこで突然、石倉は箸で丸山の顔を指す。
「そして出会ったのがお前だ。高校行ったら同じクラスにお前がいたわけだ。俺に汚れたノートや靴を届けてくれた、お人好しのバカが座ってたんだ。そして最初のホームルームでさせられた自己紹介で同じ中学出身だとわかると、いきなり慣れ慣れしくしてきたんだ。……お前の方から寄って来てくれたけどな、正直、お前以外に拠り所がなかったよ、俺は、あの頃ずっと」
「ノートとか靴のことは覚えてる……ノートは本当に落とし物だと思ったんだ。こんな所に落とすなんて、バカだなあって思って」
こんな時にどんな風に口を開けばいいかわからなかったが、そういう時は感じたままを素直に口にすることにしている丸山は話し始めた。
「お前にバカと言われるのは心外だな」
呆れた顔をして口を挟まれるがめげない。
「でも靴は……半分以上畑に埋められてたから、普通じゃないってわかった」
「放っておけばよかったじゃねえか」
別にそれは冷たいことではない、とでも言いたげな視線を丸山に向けて石倉は言い放った。
「踵の部分がさ、土から出てたんだ」
「うん」
「そこに1-3イシクラってあって、あっ、ノートの時の奴だ。って思ったら、気づいたら勝手に掘り起こしてた」
「素手で?」
「素手で」
本当にバカだよなぁ……と石倉が頭を抱えるのが目に入る。
「バカでいいよ。でも放っておけなかった」
「……お前が優しすぎるのは、そういうところだよ。1度ノートを届けたくらいの奴に情を持って、そいつの上履きが埋められてるのを素手で掘り起こすなんて、普通の人間はできねえよ。それでいて恩着せがましいわけでもない、サッパリした優しさだ。そんなもの注がれたら、飢えてる人間じゃなくても中毒にもなる」
——相変わらず、変なところが紳士だ。
杉原の言葉と、今の石倉の話を聞いて、杉原とのことで思い当たる節が浮かび上がってくる。でも今はそれを思い出している時じゃない。
「お前、中学の時のこと気づいてると思ってた」
「俺は『お前、公立だとここしか行けないぞ』って言われて仕方なく進んだ高校で、知らない奴ばっかの中で、自己紹介で同じ中学の名前出した奴がいて、救われた気持ちになって、それでお前にベッタリしてた記憶しかなかった」
「ノートのイシクラと、高校の同級生の石倉が結びついてなかったのか」
「なかった。ノートのイシクラとは中1の時にちょっと絡んだだけで、その後クラスも一緒じゃなかったから、正直忘れてた。埋まってる靴とか、変な場所にある文房具とか見なくなって、ああ、よかったな、って思ったことは覚えてるんだけど」
「本当にお人好しだな。俺のこと忘れてても、俺がされてたことは気にかけてたってことじゃん」
石倉は呆れを通り越した感心の口調で言った。
「別にお人好しなんかじゃない。当然だろ。あんな理不尽な目に合うのを放っておかないのは。後味が悪い気がしたんだ。本物の優しさからじゃない」
「本物か偽物かなんてどうでもいいだろ、この場合は。結果論だ、結果論」
「高校で同じクラスに同じ中学の奴がいて、救われたーって思ってた」
「実は救われてたのは俺の方でしたー」
そう言って石倉はジョッキを持って、置いてある丸山のジョッキにぶつけて無理やり乾杯する。溶けかけた氷が中で滑って、カランっという涼しげな音が響いた。
「今のなんの乾杯?」
「俺たちが実は中学からの繋がりであることを再確認したお祝いと、たとえ本物とやらじゃないとしても、お前の無自覚な怖いくらいの優しさへの乾杯」
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