17.

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 夕暮れ時の駅前で丸山と杉原はバスターミナルから駅へと続く道を並んで歩いていた。 「いいお式だったね」 「ああ」  月並みな会話の中に、今日の結婚式への思いが濃縮されていた。文句のつけようがない、誰が見ても幸せに溢れた式だった。 「引き出物、私までもらっちゃった」  手にぶら下げていた紙袋を持ち上げて杉原はガサガサと中身を少し振ってみせる。軽い焼き菓子でも入っているような感触であった。 「いいだろ。あれだけ見せつけてくれちゃったんだから」  笑いながら丸山が言ったセリフに「それもそっか」と杉原も微笑んで、両手を背中の後ろにまわして紙袋をぶらさげながら歩いた。  周囲の人たちが次々と2人のことを追い抜いていく。帰宅ラッシュには少し早い時間だったが、みんな家路を急いでいるのか。それとも丸山と杉原の歩みがゆったりしているのか。  式が終われば、そのまま解散してもよかったのだが、それは2人とも選ばなかった。二次会が開かれるとのことだったけれど、それは石倉夫妻の勤める職場の人間たちがメインで開催するものらしく、知り合いもいない丸山はそれには出席せず先に帰ることにした。  丸山が出ないのであれば杉原も当然出席する道理がなくなるので、予定より少し早く駅へと戻ってくることができた。  けれどなぜ、両者とも何かを惜しむようにわざとゆっくりと歩を進めているのか、そして口火を切ろうとしてはそれをためらうことの繰り返しをしているのか、その理由は自分たちでもわからなかった。 「私たち、ちゃんとカップルに見えていたよね」  杉原がふいにそんなことを口にする。 「完璧だっただろ。杉原はすげえよ」 「丸山君もすごい自然だったよ」  お互いを褒めて互いの健闘を称え合う。石倉の門出を彩る完璧なエキストラに自分たちはたぶんなれていたことだろう。  お互い笑ったところで、また奇妙な沈黙が訪れる。丸山はその沈黙に居心地の悪さを感じるが、打開する解決策もわからない。  そのうちに改札口までたどり着いてしまった。 「私、地下鉄だからあっちなんだ」  電車の改札口に来たことに気づいた杉原がそう言って地下鉄の改札に向けて歩き出そうとする。 「送るよ」  丸山は背中を向けかけた杉原にそう声をかける。 「送るっていっても、同じ駅の中だよ?」  おかしなことをいうといった調子で杉原は笑うが、丸山は引く様子を見せない。 「じゃあ、送ってもらおうかな」  一瞬俯いた視線を元に戻して、遠慮がちにその提案を杉原は受け入れた。丸山はそれを見て頷いて杉原の向かった方へと歩き始めた。  別れるまで、たった数百メートルの距離が伸びただけ。それでも丸山は少しでも杉原と長くいられることが嬉しかった。  杉原がそれについてどう思っているのかはわからない。彼女の横顔は表情が分かりにくいから。いつも穏やかに微笑んでいる。その下でどんなことを考えているのか知る術を丸山は持たない。  そばに行けばわかるようになるものでもないらしい。それはあの一夜を通り過ぎてよく理解できた。あんなに近くにいたはずだったのに、結局彼女のミステリアスさが深まっただけになってしまったから。  意を決したように丸山は口を開く。結婚式への出席が終わったら、彼女に言いたいと思っていたことがあった。 「あのさ」  少し緊張をはらんだ丸山の声色を感じ取ったのか、杉原は立ち止まって丸山の方を覗き込んだ。 「どうしたの?」 「この前のことだけど、悪かったなと思って」  丸山の言葉に「ああ、そんなことか」といった顔をして杉原はすぐになんでもないかのように続けた。 「あのね、本当に気にしなくていいから。始めたのも、帰ったのも私がしたくてしたことだからね?」  そんなことでずっと気に病んでいたのか、さすがお人好し。そんな顔をして丸山のことを見つめながら杉原は続けた。 「もういい大人なんだから、自分の選んだことくらい自分で責任は取れるよ」  丸山はそれを聞いて驚いたように杉原の顔を見る。自分で思っていたよりもはるかに割り切ることができている彼女の思考に対する驚きと、杉原佳穂という女性がそんな竹を割ったような性格だと知らなかったから。  そこまで考えて再度気がつく。ああ、自分はやっぱり彼女のことなんかほとんどなにもわかっていなかったんだな、と。 「あの後色々考えてみたんだ」 「真面目だね」  真剣に切り出す丸山に対して、杉原はクスクス笑いながら返事をする。 「考えたって、一体なにを?」  笑ったわりには興味深そうな様子で丸山の目を覗き込む。 「これからのこと、かな」  丸山の視線と杉原の視線が音を立ててぶつかり合ったようであった。「これから」とはなにを指すのか、その意味は丸山と杉原とでたぶん異なる。  杉原は観念したようにささやかなため息をつくと、駅の隅のベンチに丸山を誘った。立って話すような内容では済まないことを覚悟していた。  けれど丸山はそれには応じず杉原の顔を見つめたままで、次になにを言葉にするべきか迷っていた。座り込んで話すほど大それたことではないというくせに、1つの言葉を選ぶだけでこんなにも慎重になっている丸山の姿は杉原には少し滑稽にも見えたが、そこには触れずに大人しく彼の次の言葉を待つ。 「結婚とか、しない?」  唐突に切り出された言葉は、内容も唐突過ぎて杉原は理解することができなかった。 「え?」 「だから、俺らも結婚とか。今すぐってわけじゃなくても」  じゃなくても、も何もあったものではない。そういう問題ではないだろうと杉原の中で疑問がいくつも渦巻くが、与えられる情報量が少なすぎて判断することもできずにいた。 「ああいう形になっちゃったけど、代行とか関係なしに俺ら1日デートしたじゃん?」  たしかに3ヶ月以上前の話だがデートはした。元々は丸山は代行派遣の手順を踏んで、自分を予約してくれたものだったのを、杉原の方から「友達として」過ごすことを望んで、勝手に予約をキャンセルして、プライベートとして彼と1日を過ごした。 「俺ね。あれからずっと考えてた。自分にとって杉原がどんな存在かって」  丸山の言葉に正直戸惑いを覚えるところの方が杉原には大きかった。10年前に同級生だった男女が、10年たってデートを1回したというだけの話だ。それをこんなに大事にしている丸山のことが、よくわからない。 「あの日も言ったけど、嫌いじゃないって思った、むしろかわいいと思った。だからあんなこともした。後悔はしていない」  杉原は驚いて固まったまま丸山の続きの言葉を待っている。 「自分でもおかしいって思う。でも3ヶ月以上、ずっとどこかで杉原のこと考えてた。だから俺は君が好きなんだと思う」 「……それは、おかしいよ。数ヶ月誰かのことが忘れられなかったからって、それが恋だなんて。高校生みたいだよ」  ようやく自体が飲み込めて返事ができるようになって杉原が表明した意思は否定的なものであった。 「わかってる。でも好きだって今も思ってる」  緊張で強張っていたように見えた丸山はいつしか落ち着きを取り戻し、力強く杉原を見つめてはっきりと言葉にした。その実直さに杉原はうろたえそうになる。 「にしても、いきなり結婚なんておかしいでしょ。何がどうなって、そうなったのか全然ついていけないよ」  ここにきてようやく問題の根底に触れることができた。自分を好いてくれているという丸山の告白は、驚きを伴うものではあったが嬉しくないわけではなかった。ただ、それがいきなり結婚なんて言葉を使って表現されたことへの違和感が大きすぎるのだ。 「明日しよう、とか言ってるんじゃないよ。……ただ、そういうことを前提に俺と付き合ってくれないか?」  丸山の言いたいことはわかった。ぶっ飛んだ表現をしてきたが、要するに愛の告白だ。かつて丸山に10年以上意識のベクトルを持ち続けていた杉原にとって、3ヶ月なんて大したことのない期間だとも思ったが、その3ヶ月で真剣に考えて行動に移すあたりが彼らしいとも感じる。  丸山に好意を寄せられることは悪い気はしなかった。この前の夜に、丸山のことを思っているのは確かだが好きというものとは違う、と結論づけたはずなのに。こんな風に感じる自分に少し呆れてしまう。  杉原は丸山の言葉を時間をかけて受け止めてから、口を開いた。 「結婚はね、もういいの」  丸山は杉原から発せられた思いがけない言葉に怪訝な顔をするも、黙ったままで続きを促した。 「結婚はね。もうしないことにしてるんだ」  そう言って丸山と真正面で向き合っていた視線をずらして、杉原が続ける。彼女が体の向きを変えた時にフワリと揺れたパーティドレスのスカートが、駅という日常にそぐわなくて丸山は目を奪われた。 「結婚、してたの?」  丸山の問いに対して杉原は、顔を背けたまま人差し指だけこちらに向けて少し怒ったように答える。 「女性の過去は掘り返さない。何時間か前に教えてあげたばかりでしょ?」  そういえばそうだった、とばかりに決まり悪げにネクタイに手をやりながら丸山は「ごめん」と呟いた。  その生真面目な対応が面白くて笑いそうになるが、杉原はそれを堪えた。 「22で就職して、すぐにメンタルやられちゃって23で結婚に逃げたの。でも当然そんな生活うまくいくはずがなくて、25の時に離婚」  サラリと並べられる杉原の略歴は丸山にとって衝撃的なものであった。けれどそれも驚くことではない。18から28になるまで、1度も彼女とは会っていなかったし、その間の話を聞く機会もなかったのだから。 「そしてあなたに再会して勢いで付き合ったものの、突然のプロポーズに怖気付いた私が逃げて2人の関係は終了……そんな設定にしておけば、石倉君に後で何か言われても大丈夫でしょ?」  そう言うと杉原は再び丸山の方へと向き直った。その顔に浮かんでいる笑みは、寂しいもののように見えたのは丸山の勝手な解釈だったのだろうか。 「俺は……設定とかそんなつもりで言ったんじゃなかった」 「わかってるよ」  引き出物の入った紙袋を揺らしながら、杉原は丸山の肩に手を伸ばして、か弱い力で掴む。 「でもね、偽物の方がいいこともあるんだよ。本物にしない方が、ずっと甘く味わえる思い出になることもあるんだよ」  彼女の言葉で丸山は自分が振られてしまったことを知った。結果はわかっていたはずだけれど、やはりそれなりに堪えるものがある。 「スウィート・イミテーションってやつか」  そのネーミングは嫌だったんじゃなかったの? とでも言いたげな眼差しで丸山を見上げた杉原が、その続きを引き取って続ける。 「そう、全ては甘い偽物なの。それを糧に生きていくのも悪いことじゃない。私がもしも何かに臆病になってることがあるなら、言い訳にそれを使うのも悪いことじゃない。それを教えてくれたのはあなただったでしょ?」 「正直、図書室でのことは聞くまで覚えてなかった部分も大きかったから偉そうに言えないかもだけど。俺も今もそう思ってるよ。偽物で上等だって。今を楽しく生きるためならね」  それを聞いて安心したかのように杉原は丸山から離れた。今日のためにあつらえられたピンヒールが駅のタイルの床に響いてカツンと元気のいい音を立てる。  彼女が今を楽しく生きるために必要なものが、自分と恋愛するということではないと杉原が結論づけたならば、強要できることなど何もない。 「もう会えないのかな」  丸山は少しだけ寂しそうにして杉原に尋ねた。 「そうだね。私も彼女代行の仕事辞めちゃうし」 「えっ!? 辞めるの?」 「今すぐじゃないけどね。色々勉強になったし、お世話にもなったけど、指名制だから安定した仕事ってわけじゃないから」  未来のことなんてどうでもいいと言いつつ、食べていける分は稼がないといけないからさ。とぼやく。 「俺のところに永久就職すればいいのに。それくらいの稼ぎはあるよ?」  冗談っぽく言われた言葉に、気を悪くしたフリをして丸山の胸を手のひらでド突きながら杉原は抗議する。 「あのね。私は自立していたいの。誰かに食べさせてもらうなんてまっぴら。そういう家にいたからトラウマだって知ってるでしょ?」  杉原の言葉に丸山は「わかってる」と返事をした。笑顔のままであったが、どこか切なさを押し殺したような言い回しであった。  杉原もそれに気づいて、この人はやっぱりなんてお人好しなんだろうか、と思ったりもしたが、それを態度に表せば自分の望む別れ方ができなくなると思えたので黙っていた。 「じゃあ、行くね」  地下鉄の改札まではまだ百メートル程残されていたが、杉原は丸山に振り返って別れの挨拶を告げる。 「うん、元気でな」  丸山も納得はできていなかったけれど、彼女の出した答えを受け入れることを決意した眼差しで杉原を送り出す。  一度だけ軽く手を振ると、踵を返して杉原は地下鉄の改札口へと向かった。彼女が改札を通って、階段を降りていく後ろ姿まで丸山は見送り続けたが、杉原は振り返ることはなかった。
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