胡蝶

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胡蝶

「足あとがさ、無くなった。」  お昼休み、突然友人が変なことを言い出した。 友人の冬也(とうや)は普段から適当なやつではあるが、あまりにも突拍子もないことを言い出すので少し困惑した。 「は?足あと?」 「そう、どこ歩いても足あとがつかない。」  急にそんなことを言われても信じられないので、放課後実際に見せてもらうことになった。  ちょうどその日は雪が降っていて、足あとが分かりやすい。 校舎から一歩でも出れば足あとがつくはずだ。 「行くぞ?見てろよ?」  そう言って冬也は俺がちゃんと見てるか確かめるように後ろを振り向いた。 「ちゃんと見てるから、早くしろよ。」 「よし。」  冬也は少し気合いを込めて一歩踏み出した。 足あとがつかないなんてあるはずがない、つまらない冗談だとそう思っていた、のに…  無い。本当に足あとがついていない。 冬也が歩いたあとには何もなかった。まるで誰も歩いていないかのように綺麗に雪が積もっている。 「な?ついてないだろ?」  だから言ったじゃん。とでも言いたげにこっちを見てくる。 「ほんとだ。」  もっとましな感想があったかもしれないが、やっと絞り出した言葉だった。そのくらい俺は驚いていた。 「え、なんで?」 「そんなの俺が知りたい。実は俺、幽霊だったりする?」  急に怖くなってきた。 たまたま通りかかったクラスメイトに「ねえ、こいつ見えてる?」とわりとすごい勢いで聞いてしまってから後悔する。 クラスメイトは何言ってるの?というような顔をしてから「何言ってるの?」と言った。 冬也が腹を抱えて笑っている。 「お前…はは!必死、過ぎ。あはは!」 その様子を見て自分の一連の行動が恥ずかしくなってきた。 「冬也君がどうかしたの?」  クラスメイトが少し引き気味に聞いてくるのが余計に辛い。 「いや、ごめん、何でもない。」  クラスメイトは「そう。」とだけ言って帰っていった。 「俺が幽霊なわけないじゃん。今日も普通に授業出てたし、友達とも普通に話してただろ。」 「うるせえな。」  じゃあなんで足あとがねぇんだよ。と思ったが、本人も分からないのだから問い詰めても仕方がない。 冬也は他人事のようにへらへらしているし、真剣に考えるのも馬鹿らしく思えてきた。  帰り道、微かな希望を込めて足あとが残りそうなところを片っ端から歩いた。 ぬかるんだ泥道、道路の端に寄せられた雪の山、薄い氷を張った水溜まり。 しかし、どこを歩いても足あとはつかなかった。 「なんでだよ。」  少しうなだれて言うと冬也が相変わらずへらへらした態度で笑った。 「なんでだろうな。」 「お前、なんか心当たりとかないの?」  まぁ無いだろうな。とは思いつつ一応聞いてみる。 冬也はしばらく黙って考え込んでから、 「うーん、無いな。」と言った。  そんな不毛なやり取りをしている間に日が暮れてきたので、とりあえず解散するこにした。  朝だ。どのくらい寝ていたのだろうすごく長い夢を見ていた気がする。 少しベットの上でぼーっとしてから自分が泣いていることに気づく。 ああ、またか、またこの夢。もう何年も前のことなのに何回も見る夢。  実際に足あとが無くなった記憶なんて無い。ただ、俺がそいつに持っているイメージからか何回も夢に見る。  7年前、友人だった冬也は交通事故で死んだ。 それから何度も同じ夢を見る。 冬也が足あとがなくなったと言ってきて、俺ばっかりが色々考えて、冬也はへらへらと笑っている。  初めてこの夢を見たときは起きた瞬間に泣き叫んで頭がおかしくなるかと思った。 7年も経てばさすがにそこまでではない。けれど、もう勘弁して欲しい。友人のことを忘れたいだなんて薄情なことは思わないが、こんな趣味の悪い夢はもう見たくない。  今日は冬也の命日だ。毎年この日は冬也の墓参りに行く。 酷い夢を見たからと言ってそれをやめるつもりはなかった。 「なあ、もう成仏しろよ。」  冬也の墓の前でそう呟いてみる。 勿論返事なんて無いが、少しでも吐き出したかった。 「夢になんて出てこなくても忘れねぇよ。」  冬也の幽霊が夢を見せているとかそんなことを考えているわけではない。 夢を見るのは自分の問題だ。そんなことは分かってる。分かっていても、やりきれない。  帰ろう。ここに長居しても仕方がない。 「一真君?」  突然、名前を呼ばれて振り返ると冬也の母親が立っていた。 毎年墓参りに来ていたが今まで会うことはなかった。冬也の葬式以来だ。 「もしかして、毎年来てくれてたの?」  冬也の母親は嬉しさと悲しみをごちゃ混ぜにしたような顔で笑った。 ああ、冬也って母親似だったんだな。なんてどうでもいいことを考える。  一真の返答を待たずに母親は続ける。 「嬉しい。冬也のこと忘れないでいてくれて、嬉しい。ありがとう。」  今度は泣きながらお礼を言われた。それだけでまだ息子を失った傷が癒えていないことが分かる。 当たり前か、一生癒えることはないかもしれない。 「いえ、友達なので。」  うまく言葉が出てこなくて、気の効いたことを言えなかった。 それでも母親は嬉しそうに「ありがとう。」と何回も言った。 「足あとがさ、無くなった。」 「は?足あと?」 「そう、どこ歩いても足あとがつかない。」  どうやら、またいつもの夢を見ているらしい。 何回見ても同じことの繰り返し。夢だと分かっても同じことしか言えない。同じことしかできない。  夢で何か変えられたところで現実が変わるわけ無い。だから同じことしかできなくても問題は無いのだが、精神的にきつい。 「そんなの俺が知りたい。実は俺、幽霊だったりする?」  そうだよ、お前死ぬんだよ。幽霊になるんだ。 「お前…はは!必死、過ぎ。あはは!」  ふざけんな、笑えねぇよ。なに死んでんだよ。 もう頼むから出てこないでくれ。その顔で笑わないでくれ。辛いんだ。本当にしんどいんだ。  朝、目が覚める。 また泣いている。 この夢を見ると決まって泣いている。 この地獄はいつまで続くのだろう。 いい加減解放されたい。 そんなことを思っていると、電話がなった。 「はい。」 「一真君?よかった。電話番号変わってなくて。」 冬也の母親だ。冬也の携帯の連絡先でも取っておいたのかもしれない。 「急にごめなさいね。よかったら、家に来ないかなと思って、思い出話がしたいの。」  急な誘いだったが、断る理由もなかったので。家に行くことにした。 「いらっしゃい。」  冬也の母親が感じの良い笑顔で出迎えてくれた。  リビングの椅子に座ると母親がお茶とお菓子、卒業アルバムを持ってきた。 「冬也のお友達とお話しすることなんて滅多にないから嬉しいわ。」  そう言いながら卒業アルバムを開く。 そんなのを見たって辛いだけな気がするが、なにも言わずに母親が冬也の思い出を話すのを聞いていた。 「見てこの顔、すっごく楽しそう。」 「これ、何やったらこんなに泥がつくのかしら。」 「これ一真君と一緒に写ってる。」  母親は冬也の写真を見つける度に笑顔になった。 卒業アルバムを最後まで見て、ゆっくりと閉じる。 ふぅ、と満足げに息を吐くとまた笑った。 「ごめんなさいね、私一人で盛り上がっちゃって。」 「いえ、俺もお話しできて良かったです。」  本当は辛さの方が勝っていたが、一応気を遣う。 「ありがとう。よかったらまた遊びにきてね。」  母親は最後まで笑顔で見送ってくれた。 「足あとがさ、無くなった。」 「は?足あと?」 「そう、どこ歩いても足あとがつかない。」  まただ、冬也の母親に会ったせいかまたあの夢を見ている。 いつも通り冬也が雪の上を歩く。 いつも通り足あとがつかない。 「な?ついてないだろ?」  だから言ったじゃん。とでも言いたげにこっちを見てくる。 「ほんとだ。」 「え、なんで?」 「だって俺、幽霊だもん。」  一瞬、冬也が何を言ったのか分からなかった。 いつもなら、「そんなの俺が知りたい。実は俺、幽霊だったりする?」と冗談を言う。 何十回も同じ台詞を聞いてきた。  夢の中の冬也は生きていて、俺のことをバカにして腹を抱えて笑う。 何十回も同じシーンを見てきた。 なんで急に。 混乱していると冬也が続けた。 「お前、見てらんないんだよ。俺死んだのにさ、何年経っても立ち直らないし。」 へらへらといつも通りの笑顔でいつもと違うことを言う。 「もういい加減さ、ぱっと切り替えなよ。お前、人生はあっという間なんだぞ。」 人の気も知らないで、へらへらと。 「俺、忘れられたって恨んで呪ったりしないよ?」 「忘れられるわけないだろ!」 何年も抱えていた思いが爆発した。忘れられるわけないんだ、だって… 「お前は、お前は!生きてるはずだった。死ぬはずじゃなかった。お前は俺を、庇って…」 もう涙で前が見えない。  あの日のことを鮮明に思い出す。 2人でいつも通り帰り道を歩いていた。 本当になんでもない日だった。いつも通りのはずだった。 なのに突然、車が突っ込んできて、冬也はどこにそんな力があったんだと思う程思いっきり俺を突き飛ばした。 気づいた時には血だらけになった友人が目の前に転がっていた。  なんで庇ったりしたんだ、そんなことして欲しくなかった。生きて欲しかった。 俺の代わりに死ぬなんて、そんなこと望んでなかった。 「あー、ごめんな?」  冬也は今まで見たことがないくらい悲しそうに笑った。 これは夢で全部俺の想像に過ぎないのに、本当に冬也の幽霊が会いに来たみたいだ。 「深いこと考えてなかったんだよ。あ、車来た、危ない!えい!みたいな?まさか死んじゃうなんて思ってなかったんだ。ごめん。」  冬也は申し訳なさそうに謝ったが、すぐにいつものへらへらとした態度に戻った。 「でもお前くよくよし過ぎなんだよ。折角俺が命懸けで守ったんだからさ、幸せになってよ。」 「俺、お前に生きてて欲しかったんだ。」 「うん。」 「何回も夢に見るくらい後悔して…」 「うん。」 「忘れるなんて無理だ。」 「うん。」 「きっと、ずっと後悔し続ける。ずっと忘れられない。」 「うん。」 「でも、それじゃあお前が成仏できないだろうから。」  もう夢だとか幽霊だとかはどうでもよかった。久しぶりに友人と自分の意思で会話している。 少しくらい強がって、かっこつけよう。 こいつが笑って成仏できるように。 「俺、前向くよ。幸せになる。」  それを聞くと冬也は満足そうな顔で笑った。 「おう、頑張れ!」  朝、目が覚めると今までにないくらい号泣していた。 枕が涙で濡れている。 それでもいつもの不快感はなかった。 気持ちがすっきりしている。  なんとなくだが、もうあの夢を見ることはないだろうという気がした。 夢の中だったとしても、冬也に幸せになることを約束した。 ならそうならなければならない。そう思えた。  そのためにもまず、やることがある。 「もしもし、一真です。」  冬也の母親に夢の中の冬也が最後に言ったことを伝えたいと思った。 幽霊だとか夢だとか変なことを言っている自覚はある。 お節介かもしれない。それでも伝えるべきだと思った。 「俺、冬也が死んでから冬也の夢をよく見るんです。それで昨日夢の中の冬也が…」 「悲しい思いさせてごめん。幸せになって。」  夢の中で冬也が両親に伝えて欲しいと言ってきたことだ。 母親は静かに話を聞いて、泣いていた。 また「ありがとう。」と何回も言いながらしばらく泣き続けた。  あれから予感通り冬也の夢を見ることはなくなった。 ちゃんと成仏できた証拠だと信じている。
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