辰之子池

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辰之子池

「調査の結果から、件の足跡の主は、村の西にある雑木林の中を移動し、一部の道路を渡った形跡はあるものの、田畑や人家に侵入はしていないと考えられる」  猟友会の皆で村を巡回した後、事務所に戻り、ミーティングを行った。村で猟友会に所属しているのは憲明を入れて五人。経験は確かだが、五人とも高齢で、憲明が一番若いくらいだ。 「現時点では被害はゼロだったが、これから活動が活発になれば、熊が出たどころの騒ぎでは済まされない」  民家や田畑、牧場には、簡易的なバリケードとして有刺鉄線を張り巡らせること。その他の対策としては、大きな音や、光を使って威嚇を行うこと。そのために、サーチライトとそれを動かすための発電機、大量の爆竹を手配することが会議で決まった。  約三時間にも及ぶ会議の後、憲明は煙草をふかしながら一服していた。安い缶コーヒーを喉に流し込んだところで、スマートフォンに着信が入る。息子の勧めで三ヶ月前に乗り換えた機種だ。不慣れな操作で電話に応答する。 「あの、以前に取材でお世話になった安原(やすはら)正幸(まさゆき)ともうします」  足跡の発見を報告してきた安原幸次には、大学に通っている息子がいる。彼とは、民俗学のゼミでの取材で、連絡を取ったことがあった。村に伝わる龍について聞かれたが、子供の頃に親が話していた村の言い伝えという程度だったので、彼が前に取材をしていた村長よりも深い情報は持っていなかった。 「村に本当に龍が出た、と父親から聞きまして」  あまり広まると大事になるから、すぐには口外しないように伝えておくべきだったか、と頭を抱えた。が、伝えそびれたのは自分なので責める資格はない。 「村の南東の一角に手つかずの空き地になっていた場所があったと思います。そこが村長の話では、昔は龍が現れると言い伝えのある池だった、と」 「南西の空き地……? そこは数年前に工事が行われてソーラーパネルが――」  とそこまで言いかけたところで悪寒が走った。龍が伝承の存在でしかないと認識していても、言い伝えのある場所を業者に売ったというのか。  憲明自身も、冬が来るたびに雪のせいで無用の長物と化すソーラーパネルのことを、良く思っていなかった。売電も専ら赤字続きと、村長が愚痴をこぼしていたことも覚えている。 「言い伝えですし、確証は持てませんが……。もし、龍が実在していたら、その場所に向かうと思います」  全てが手探りの今、伝承に関する情報でも有難かった。それに、野生動物を神の使いとする伝承は、日本各地に有り、この手の情報が馬鹿にできない。  正幸からの電話の後、思い立って村の地図に足跡が発見された場所と、その向きを重ね合わせてみる。先ほどの会議のときから、三箇所で見つかった足跡のどれもが、雑木林からアスファルトに出たところで折り返していることが気にかかっていた。その折り返すまでに向いていた方向へ、線を引いてみる。すると、三本の線が正幸から聞いた場所で、ぴったりと重なった。 「こ、これは――」  思わずホワイトボードマーカーを床に落としてしまう。  間違いない、あの足跡の主は、今やソーラーパネルが並んでいる場所を目指している。そして、足跡が発見された付近の道路は、過去五十年以内に完成した比較的新しい道だ。伝承が嘗て伝承で無かった時代、それらの道は存在していなかった。 (変わり果てた村の景色に戸惑ってしまったのか)  そう思うと、足跡の主に同情してしまうところもある。だが、そこに人が暮らす以上は、平和な生活を守る必要がある。
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