不穏な毎日の中で

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不穏な毎日の中で

 夏の間青かった桜の葉はすでに色あせ始めている。  あくびを噛み殺して坂をのぼる。  結局数学の課題に時間がかかって、ちょっと寝不足だ。  またあくびが出て、思わず手で隠した。  その時、ピコン、とスマホの音が鳴った。 〈大きなあくび〉とおはようスタンプ。  周からのメッセージに慌てて口を閉じて周りを見回すと、正門近い場所で周が振り向いて軽く手をあげた。  つられたように手をあげかけた瞬間、「田ノ上くん、おはよう!」とか「周くーん!」とか、私の周りや後ろから盛大な黄色い声があがった。朝から元気だなあと感心する。  私に手をあげてくれたのだと思うけれど、周りも、同じことを思ったのかもしれない。  そのまま中途半端な手をおろして、おはようスタンプと〈朝からすごいね、さすが〉と返す。 〈オレは真尋にあいさつしたんだけどね。よく眠れなかったの?〉  田ノ上くんが正門に寄りかかってスマホに文字を打ち込んでいる。  歩きながら私も指を動かした。 〈課題が終わらなくて〉 〈だからオレと一緒にやっておけばよかったのに〉 〈自力で頑張る方が身につくはず〉  笑いのスタンプとともに〈気分は? もう平気?〉と画面に文字が現れる。昨日のことを心配してくれている。 〈大丈夫。ありがとう〉 〈今日も家まで送るから、帰りメッセちょうだい〉 「えっ」と思わず顔をあげた。  同時に、「真尋お!」と大きな声が背後から響いて振り向いた。  いつもは寝坊気味なはずのアーちゃんが手を振っている。珍しいこともあるなと思いつつ正門を見ると、すでに周の姿はない。  周の気持ちはありがたいけれど、そんなことが田ノ上周ファンにバレたらと思うと怖い。  とりあえず水泳部があるからと断るか、他に理由を見つけて先に帰ってしまうか……。  ちらりと考える。 「アーちゃん。おはよ」 「おはよー! ねね、昨日、生徒会だったんだよね? どうだった王子!」 「それ聞きたかったわけね」 「当然でしょー?」 「道理でアーちゃんが寝坊してないと思ったの」 「なにそれー。もう、だって親友が王子と同じ生徒会とか、らっきぃじゃん! 王子の情報聞きたい! それでなくても王子ってめったに女子とは話さないし、あんまり王子のプロフィールって知られてないんだよー?」 「だからって私がそれ聞くのもおかしくない?」 「そうだけど! 聞こうとしても教えてくれないんだって。だいたい女子と話してるとこなんてほっとんどないの。いっつも塩対応ー」  塩対応。  そういえば昨日、生徒会で水野先輩もそんなことを言っていた気がする。 「塩対応って、し、」  周といいかけて、慌てて「田ノ上くんが?」と続けた。 「そう。真尋は興味なかったから知らないけど、王子って言っても、裏コードネームは、いわゆる黒王子、なの」 「裏、コードネーム?」  スパイかなにかか、と思わず吹き出した。 「表じゃ言われないけど、告った女子とかにも優しくないし、なんていうか、氷の王子っていうか、クールすぎるっていうか。だから黒王子、的な。もちろん、いい意味だけど! 黒でも白でも、王子には変わんないし!」 「なにそれ、田ノ上くん、そんな感じかな?」  むしろやたら優しいし、距離もやけに近い……。 「だから、一番王子に近い女子は、今、真尋なの! もうなんかあったら教えてー!」 「あのね、生徒会にそんな感じで行くわけないでしょー」  呆れていると唐沢と佐野が連れ立って坂をのぼってくるのが見えた。 「はよっす」 「おはよー」 「阿久津、お前、声でけーよ。下まで響いてんよ」 「うっさい。今真尋と大事な話してたの!」  またアーちゃんと佐野がぎゃんぎゃんと言い合いだし、思わずため息をついた。とりあえずアーちゃんの意識が周のことからそれたのはありがたいけれど、まさかその周と連絡先を交換して、しかも家まで送ってもらったなんて、口が裂けても言えない。 「ほんと、4人になると変わんねーな」 「だよね。2人とも朝練は?」 「今日は朝練ない日。佐野は単純に寝坊」  思わず寝坊という単語に笑う。  同じ男子でも唐沢と話していると普通にしゃべっていられるのに、周とではなんだかうまくいかない。 「佐野、遅刻とか大丈夫なの? 野球部けっこう厳しそうなのに」 「あいつは新人戦以降、スタメン決まってるから、余裕ぶっこいてんの。そんなんじゃそのうち他にレギュラーの座奪われると思うけどな」  新人戦。  その言葉にわずかに胸の奥がちくりとする。  水泳部に行く機会は生徒会が始まった以上、減ってしまう気がする。  顧問の先生は励ましてくれるけれど、でもやっぱり、自分だけどんどん引き離されていくのを目の当たりにしているのはつらい。 「どうした?」 「ううん、なんでもない」 「そういや、生徒会昨日だったんだろ?」  唐沢たちとゆるゆると歩き出しながら、頷いた。 「そういや、バスケ部の人が生徒会にいたよ」 「ああ、2年の相田先輩だろ?」 「そう、相田先輩。バスケ部のジャージ姿で現れたから、唐沢知ってるかなって思った」 「うん、昨日、話したよ。生徒会行く前と行った後でめっちゃテンション変わっててさー」 「あ、なんか部活行ってたから遅刻して来て、その後も体育館に急いで戻ってった」 「うん。もう生徒会から帰ってきたら真尋のこと、かわいいかわいい連発しまくり」 「えー……」  そういうタイプかあと内心ため息をついた。 「おかげで、バスケ部の先輩連中、真尋に興味津々。たぶん今日とか、教室のぞきに来んじゃん?」 「そういうことやめてほしいー……」 「まあ真尋はそういうの苦手だもんなー。いちおう、あんまり騒がないでやってくださいって言っといたけど、たぶん新人のオレじゃ効果ないだろうな」 「そういうの、ほんと困るっていうのに。つうか、唐沢、私に関するよけいなこと、絶対言わないでよ?」 「言わねえっての。これ以上、ラ」  唐沢が慌てて咳払いをした。 「大丈夫?」 「おう、平気。つうか、だからさー、まあ、今日とかしばらくはバスケ部の先輩たちがうるさくするかもだけど、大目に見てやってよ。先輩たちすっげえいい人たちばっかだし。しつこくは絶対しないし」  相田先輩も確かにさっぱりした性格だったようには思うけれど。でもそういう問題でもない。  田ノ上周に一番近い女子。  さっき言われたアーちゃんの言葉が、しこりのように胸の奥で不吉な匂いを発しているみたいだった。
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