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閉会、という芹沢会長の声を合図に、生徒会室の空気が一気に緩んだ。
部活を抜けてきただけらしい相田先輩と葛西先輩は慌ただしく生徒会室を登場した時同様、急ぐようにして出ていった。「真尋ちゃん、これからよろしくー」と声をかけるのを忘れずに。
慌てて頭を下げたけど、あげたときにはすでに2人の姿はない。
「じゃあ後よろしくー」
「水野、お前、片付けくらい手伝ってけよ―」
「ごめーん、これからデートなのー」
言いながら、水野先輩はちらりと私を見て、にっこりと「じゃね、真尋ちゃん」と手を振った。
慌てて頭を下げると、水野先輩は小さく頷いてから隣で片付けしている田ノ上くんを見ると。
「まったねー、田ノ上くん!」
私に対する態度とは全然違う甘えたかわいらしい声で手を振って生徒会室を出ていった。
つつがなくとは言えない生徒会の第一回目が終わって、ようやく私は机の上のノートを片付けながら緊張を解いた。
中学の時も生徒会をしていたけれど、今よりはもっと真面目な感じだった。
でも高校では、先生がいなかった分、何もかも生徒の自主性に任せられているらしい。
冗談を言い合って緩む時は緩む。でも議題を話し合う時ははっきり自分の意見を言ったり反対したりと、締まる時は締まる。
最初の印象はだいぶふざけた感じかと思ったけれど、生徒会役員としての顔はみんなすごかった。
「じゃあ幸田さん、田ノ上くん、おつかれ。今日はとりあえず帰って大丈夫だよ。あとは真砂とオレとで閉めてくから。2人ともこれからよろしく。特に幸田さんは、明るいししっかりしてて、期待してるよ」
真砂という副会長の女性が会長の言葉に相槌を打った。
そんなに明るいつもりでもしっかりしているわけでもないけれど、と思いながら「がんばります!」と頭をさげた。
「気をつけて」
「はい、ありがとうございました!」
頭を下げると、隣の田ノ上くんも「ありがとうございました」と同じように頭を下げた。
生徒会室を出て、なんとなく息を吐いた。
「なんだか先輩たちすごかった……」
今日の初回だけで、相田先輩、葛西先輩はそれぞれ部活でもレギュラーとして活躍している中での生徒会だし、水野先輩は、学年で常に10位以内の成績をおさめている。
高遠先輩は他の委員会を2つか3つ兼務しているらしい。会長と真砂先輩はまだよくわからないけど、会長の場の仕切り方や的確な指示、会長が動きやすいようにさりげなく目に見えないところでサポートする真砂先輩の息の合ったコンビネーションに、正直圧倒されていた。
「真砂先輩とか、あんなふうに他の人が気づかないところで会長を支えられる仕事とかいいよね。でも会長もほんとすごくデキる人って感じだった。やっぱり上級生ってすごいね」
話をしているのが自分だけだと気づいて、隣を歩く田ノ上くんを見た。
なんだか少し不機嫌そうに見える。
「なんかやなことでもあったの?」
田ノ上くんがちらりと私を見た。
「真尋って、けっこう鈍くない……?」
「なんで急に私が鈍いって話になるの?」
「別にー」
なんかおもしろくないことでもあったのか、拗ねた様子でため息をつかれた。
意味がわからない。わからないまま、昇降口までたどり着いた。
「じゃあ、おつかれさまでしたー。また生徒会で」
今度は、あまり時間に余裕をもってではなく行こうと思いながら自分の下駄箱に向かった。ローファーに履き替えて昇降口を出る。
陽が暮れきってはいないけれど、だいぶ暗い。千尋が心配になって、スマホを取り出した。
そこでふと昇降口のガラス戸に寄りかかっている田ノ上くんに気づいた。
田ノ上くんは横から、軽く上半身を折り曲げるようにして私の顔をのぞきこむようにした。
「あのね、また生徒会で、じゃないっつうの。こんな暗い中、女の子1人で帰すわけないでしょ」
「え、いや、大丈夫だよ。部活とかで慣れてるから」
「そういうことじゃなくて。家まで送る」
それはすごくまずい気がする。
生徒会での先輩たちの様子に圧倒されていたけれど、よくよく考えたら、田ノ上くんとは変な空気になってもいた。それを思い出して、少し後ずさった。
「い、いいよ。全然気にしないでよ」
正門でまた女子が待ち伏せなんかして、私の姿を見られでもしたら。
クラスメイトと水泳部の田ノ上周ファンのきつい顔を思い出した。
「あの、本当に気にしないで」
じりじり後ずさって、身を翻そうとした瞬間、昇降口の階段で足が滑った。
「危ない!」
手がすばやく伸びて私の手を捉えると同時に、強く引き寄せられた。そのまま目の前の田ノ上くんの胸に抱きとめられる。
そしてそのまま、ぎゅっとわかるくらいに強く抱きしめられた。
一気に顔が熱くなるのがわかった。
心拍数も怖いくらいに早くて、パニックになる。
「ちょ、ごめん。あの、ごめん」
田ノ上くんの体と自分の体が密着していることに気が動転して、ただ「ごめん」と繰り返した。
周りに女子がいたらとか、知り合いに見られたらとか、男子の体ってけっこうかたいんだなとか、全然頭の中がまとまらなくて、ただ田ノ上くんの腕の中で硬直していた。
「あれって……」
すでに下校時刻は過ぎていたものの、生徒会同様、遅くなった生徒がいないわけじゃない。
かすかに聞こえてきた声に我にかえった。
誤解なんてされたくないのに、誤解そのものの状況でしかない。
「田ノ上くん、離して。この状態、本当にまずいの、離して」
あまり騒ぎ立てないように小さな声で抗議すると、ふいに身動きした田ノ上くんの息がかすかに耳元にかかった。
よけい密着度が増した気がする!
さらに身を固くした私に、田ノ上くんのかすかにかすれた声が聞こえた。
「離してほしい?」
思わず小さく何度もうなずく。
「じゃあ、オレのこと、周って呼ぶ?」
早鐘を打つ心臓がさらに大きく波打った。
このままだと倒れるんじゃないかって思うくらいに、心臓の音が大きい。
「これから周って呼んでくれたら離すけど?」
「それ、は」
周りがざわめいているような気がして、もうほかに選択肢がない気がして。
「真尋」
甘い。
囁かれる声が、昇降口という目立つ場所なのに、甘すぎて、どうしようもない。
「真尋」
もう一度耳元で呼ばれた。
目をぎゅっとつむった。
「呼ぶ。呼ぶから、お願い、離して……周」
ふいに拘束がとかれたように、体が自由になった。
ふらりとよろめきそうになって、それをハッとした顔で周が手をのばして支えようとした。
その手を避けるようにすぐに後ずさって、何も言わずに昇降口の低い階段を走り降りた。
後ろの周のことを振り返って見る勇気も、周りに他に生徒がいるのかを確認するのも、できるわけがなかった。
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