238人が本棚に入れています
本棚に追加
/76ページ
ほおが熱い。心臓の音が大きい。
体に回った腕のしっかりした感触も、胸のかたさも、何度もループするかのように思い出せてしまう。
なんで、どうして、こんな。
そんな言葉ばかり浮かんでは消える。
今まで男子に腕を掴まれたことだって、何かのきっかけで肩を支えられたことだってある。でもどんな時でも、それはそれ。「ありがとう」の一言だったり、「危なかった―」と笑ってだったりで済んでたし、平常心であることには変わりなかった。
暗い夜道を呆然としたまま歩き続け、ふと街灯の薄暗さに気づいた時だった。古い街灯が音をたてながら、光を弱らせている。
どんどんLEDの街灯に変わっているのに、住宅街の車一台しか通り抜けられない道では、まだ整備が行き届いてないらしい。
大通りへの抜け道なのに、今日は、走り抜ける車も少ない。
いつもの道なのに、どこか不穏な気配が漂っていた。
気をつけてと言った真砂先輩の顔や、そして家まで送るといった周の顔が浮かんだ。
いつもクラスメイトや唐沢たちといると、そんな言葉をかけられる機会がない。改めて言われたせいで変に意識してしまっている。
でも、帰りの時間がいつも部活をやっている時よりは遅いのも事実だった。時間帯が違うと、いつもの道も別の顔を見せてくるみたいだ。
足早になった時、前方に人影が見えた。
他にも人がいる。そう思って安心しつつ、でもペースを変えずに歩く。
縮まる距離。
前にいる人は少しふらついているように見える。酔っぱらいかもしれない。
そう思って相手の進行方向と反対の道路端に移った。すると相手が私の進行方向によろけるようにして動いた。反対の方へ動くと、同じコースをとる。
だんだん怖くなってくる。
どうしよう。足が少しずつ重くなる。
でも相手は近づいてくる。
もう一度、進行方向を変えて、同じことをされたら……。
そう思ったらそこから足が動かなくなった。
大通りに出るまで引き返すしかない。この時間帯なら母が帰ってるかもしれない。
くるりと踵を返した瞬間、背後の足音が走るものに変わった。
一気に恐怖がこみあげて、私も走り出した。
なんで同じように走ってるの。よろけてたのは酔っ払ってたからじゃないの。
そんな疑問と恐怖に泣きそうになりながらスクールバッグを抱きしめて前かがみで走った。
どん、と誰かにぶつかった。
「あ、すみませんっ」
かなりな勢いで誰かに突っ込んだような気がして思わず顔をあげると、そこにいたのは周だった。
「真尋、大丈夫?」
「あ、……」
ふいに足から力が抜けて、その場にへたりこんだ。
慌てて周が私の腕を掴んで、それから私と同じ目線にしゃがみこんだ。
「大丈夫?」
「あ、う、ん。あの、ちょっと、怖くて……」
なんでここに周がいるのかとかそんなことよりも震えがのぼってきた。うまく説明できない私の震える両手を、周が安心させるようにぎゅっと握りしめた。
「もう大丈夫だよ。オレが出てきて、逃げてったから」
改めてそう言われて、そっと振り返ると、確かに人の気配はもうなかった。
「立てる?」
顔をのぞきこまれた。
いつ見ても怖いくらい整っている顔は、本気で心配してくれているようだった。その顔を見たら、少し安心してきて泣きそうになった。
それをごまかすように、そばに落としたスクールバッグを引き寄せた。
「家まで送るよ」
小さく頷いた。
「……立てる?」
もう一度聞かれて、頷いた。
「だめそうならおんぶしてもいいけど」
どこか楽しげな笑みを浮かべた周に、思わず「それはっ、……いい!」と跳ねるように立ちあがった。
「あれ、残念」
心底残念そうな周は、あははと笑いながらも、握った手を離さない。
それを振り払えるわけもなく、なんとなく手を繋いで歩き出す。
「……迷惑かけて、ごめんね」
「迷惑って、何言ってんの」
呆れた声に小さく「ごめん」とまた謝った。周がいなければ、さっきの人に追いかけられてどうなっていたかわからない。
「真尋が無事だっただけで、よかったよ。どうしても気になって」
「……うん。ありがとう」
「どういたしまして。でも危ないってわかったじゃん? だから生徒会がある日は、オレが家まで送るから」
「えっ」
隣を見ると、周が当然というような顔をしている。
「っていうか、生徒会がなくても遅くなりそうなら、オレ頼って。送る」
「いや、それは、そこまでしていただかなくても」
「なんでいきなり丁寧語になってんの」
周が小さく吹き出す。
「いや本当に、それはいいというか、大丈夫だし」
なんとかして断りたい。田ノ上周ファンの顔がちらつく。
「だめ。さっきみたいなことになったらどうするの?」
「そんな何度もないと思うし」
「甘いでしょ。何を気にしてるかわかんないけど」
思わずうつむいた。
本当に私は何を気にしてるのだろう。
中学の時は誰かを気にして動くなんてあまりなかったのに、高校に入って、水泳ができなくて、ただそれだけで気弱になってる気がする。
危ないから送ってもらうことが、私が周とつきあってることになるわけでもない。
「……真尋」
柔らかく名前を呼ばれて、周を見た。
「オレに、送らせてよ。心配だから」
周が少し困ったように顔をわずかに傾けて言った。どこか淋しげな表情が断る意志を奪っていく。
「……じゃあ、お願い、します……」
そう言ったとたん、周が嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、オレの連絡先教えるから真尋のも教えて?」
頷いてスマホをとりだした。
もう、家はすぐそこに見えていた。
最初のコメントを投稿しよう!