桜の下で出会った彼

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 何枚も何枚も紙がコピー機から排出されていく。狭い小さな部屋でコピー機の音に、外でやかましく鳴くセミの声が重なって耳障りだった。  軽く肩を動かしてみる。  やっぱり少し痛みが走る時がある。  もう夏休み目前だというのに、そして後半には新人戦もあるのに、調子は全然よくならなかった。こうして1人でいると、気が滅入ってくる。 「あ、真尋ちゃん! ここにいたんだー!」  ビクッとかすかに驚いたものの、平静を装って振り返った。 「どうしたの、町村くん」  笑みを浮かべて、努めて明るい声を出す。  面倒見がいいと人気の、隣のクラスの学級委員の男子だった。なぜか同じ学級委員つながりで、懐かれている感じだった。 「教室行ってもいないから部活かと思ってプールまで行っちゃったよー」 「そっちまで? え、ごめんね。タイミング合わなくて」 「謝らなくていいよー。僕が勝手に探してただけだしー」 「そっか」  ふわふわした金髪に近い明るい茶髪を揺らしながら、町村くんはコピー機のプリントを拾い上げた。 「なんだかんだと、学級委員って本当、雑用係だよねー」 「でも誰かがやらないと回らない役割でもあるんじゃない?」  コピー機のガラス面からオリジナル原稿をとりあげる。  ふいに落ちた沈黙が気になって顔をあげると、町村くんがプリントの束を持ちながら私を見て、にこにこ笑みを浮かべている。 「ど、どうしたの? そういや私に用があったんじゃなかった?」 「うん。真尋ちゃんって、本当にいいコだなあって思う」 「なに、急にー」  思わず笑いながらコピー機奥の壁に貼られた紙の注意書きを守って、コピー機をスリープ状態に落とす。  学校はどんなものでも節約、節電を守るようにといろんなところで注意を促してくる。 「ねー真尋ちゃんって、カレシいるの?」  差し出されたプリントを受け取りながら、そういうことか、と内心でため息をついた。 「いないよー。あんまりカレシ作る余裕とかないからー」 「そうなのー?」 「うん。水泳の新人戦もうすぐだし、学級委員の仕事もあるから。つきあったとしても、むしろ寂しい思いさせちゃうんじゃないかなって」  困った体でやんわりと防衛線を張ると、町村くんは「そっかあ」と素直に残念そうな顔になった。 「じゃあ新人戦が終わったら少しは気持ちも楽になるんだ? そしたらチャンスありかなあ?」  町村くんはにこにこと無邪気な顔で首をかしげた。  チャンスって言われても。 「そ、そう、かもね?」  新人戦に出ることすら危ういのに、張った予防線の効果もなさそうで少し気弱な声になる。 「そっかそっか。じゃあその頃にしよっかなあ」  何が、とは聞けずにいるうちに、町村くんは楽しそうな様子で「じゃあ、またねー」とコピー室を出ていってしまった。  思わずドッと疲れが押し寄せてきた気がした。  これで何人目だろう。夏が近づくにつれ、やたらと男子が声をかけてくる。同学年の男子もいれば、2年や3年の先輩までも、知らない顔なのに、呼び出されたり通りすがりに声をかけてくる。  そしてたいてい「好きです、つきあってください」という言葉に行き着く。  正直、いまだにアーちゃんのようにカレシがほしいという気持ちにはなれない。そういうことよりも泳いでいたほうが楽しいし、学級委員の仕事だって雑用かもしれないけど好きだからしている。  それに家にはまだ10歳の千尋がいる。  勉強だってあるのだから、正直、カレシに割いてる時間なんて私にはなかった。  プリントアウトした束をもって出ようとしたところで、目の前が陰った。 「見ちゃったー」 「アーちゃん!」  最近、いろんな雑誌の美容やファッション特集で勉強しているといったアーちゃんはうっすらメイクもしていて、高校に入ってからどんどんかわいくなっている。 「さっきのB組の町村だよねー?」 「そう、同じ学級委員」 「なんか意味ありげだったよねー」 「そうかなー」 「って。あいかわらず興味ないのー? 町村ってあれでもかわいいって上級生人気高いんだよー?」 「だからってなんなの」 「だって町村ってわかりやすいじゃん。真尋のことカノジョになってほしいって意味じゃん、あれ」 「別にはっきり言われたわけじゃないでしょ」 「でもあれで真尋が、カレシいないけどほしい、って言ってたら、速攻告られてたよ?」 「告られたからって、私がイエスって言うのとは違うでしょー。だいたいたいして好きでもなければつきあったってしょうがないし……」 「もう真尋ってかったいよねー。つきあってから好きになることだってあるじゃん。どんな相手かなんてたいていわかんないんだし」  そう言われても、カレシがほしいわけじゃない。  好きな人ができたらまた違う気持ちになるのかもしれないけど、その好きな人ができないのだからどうしようもないと思う。 「そういうアーちゃんはカレシは?」 「できない! できないの! なんで!? 真尋、入学してから町村で何人目!? 真尋なんて全然メイクしないし、髪の毛だってそのままでもめっちゃきれいだし! 水泳してるくせにけっこう色白いし! 泳いでるとこすっごいきれいだし! 期末テストも30位だし! なんで真尋ばっかりモテるんだー! わけてよーわけてー」 「なんか褒めてんのかけなしてんのかわかんないんだけど」  抱きついてくるアーちゃんにあやしながら廊下を歩き出す。  正直、このままの気分で水泳部に顔をだすのはきついものがあったから、アーちゃんとおしゃべりできてホッとする。  中学の時の友人と高校の時の友人とでは、過ごした歳月の差なのか、それともつきあう成長期の時期の差なのかわからないけれど、少し違う。 「あ! 王子だ!」  ふいにアーちゃんが私から離れて廊下のグラウンド側の窓に飛びついた。 「やっぱりめっちゃかっこいいいい! もうホント王子だよね。神だよね」  王子を超えて神にまでなってる。  苦笑しながら窓に張りついてとびあがんばかりのアーちゃんの後ろに立った。その瞬間、アーちゃんが高い悲鳴をあげた。 「きゃああっ、やっばいいいっ! 王子こっち見てる! ねえ、絶対目合った! ねえ真尋、絶対こっち見たよね!!」  同じことを言ってる女子が、この廊下で今どれだけいるんだろう。  横を向けば、アーちゃんと同じように廊下の窓に張り付いてきゃあきゃあと黄色い悲鳴をあげている女子たちからも同じセリフが聞こえてくる。 「そんなにどこがいいの?」 「こんなに人気なのに全然興味なさそうだし、愛想振りまかないし、でも礼儀正しいし!」 「それ褒めてるの?」 「大絶賛に決まってんでしょー! あーほんとかっこいい、ほんと王子。ほんともう、もう、もう……!」  もはや言葉にならないアーちゃんのきらきらした顔につられて笑みが浮かんだ。  カレカノがどうというより、こうして何かに夢中でそのために自分を磨こうと頑張るアーちゃんは、やっぱり高校に入ってだいぶかわいくなったと思う。 「どうしよ、絶対こっち見てる! ねえ、真尋真尋。絶対そうだよねそうだよね?! あ、もうちゃんとリップ塗ってくるんだった。髪とか、ちゃんとセットしてくるんだった!」  アーちゃんが私の腕を掴んで身を寄せてくる。 「アーちゃんは十分かわいくなってるから、そのままで大丈夫だよ」  中学の時からの仲のいい子の真っ赤になったり青くなったりと忙しない表情に思わずそう言うと、アーちゃんがぴたりと止まって私を見た。  その目がひどく潤んでいる。 「な、なに?」 「もう、もう、……もう! 真尋! 真尋があたしのカレシになって! あたしには真尋しかいなーい!」  がばっと抱きつかれる。とたんにプリントが廊下に散らばった。 「なんで!? っていうか、プリント!」  今度は私の方が本当の悲鳴をあげた。
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