めぐる

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汐見は腰の高さほどの本棚の前にしゃがむと、目的の文庫本を探し求めて、人差し指を左から右へと水平に彷徨わせた。 似たような色合いの背表紙が隙間なく並んでいる。 汐見は端近くの一点で手を止めて、連続して並ぶ3冊を引き抜き床に平積みした。 一番上に重ねた本の表紙には『細雪 上巻』と書かれていた。きっとその下の2冊は中下巻だろう。 「城北大学の場合、3年になれば研究室に配属される。2年の前期、まだ専攻分野を決めかねている時、上代日本文学講義のレポート課題で調べものをするために、大学図書館の地下室で色褪せた明治時代の書籍を読んでいた。その本の筆者である“佐々木信綱”は多くの研究書を残した国文学者で、その名前は妙に記憶にこびりついた」 「ささきのぶつな……初めて聞く名前です」 「色んな授業を受ける中で、最終的に僕は日本文学専攻を志望して、希望通りの研究室に配属されることになった。大学生活も後半に入って心にゆとりが出来たからか、ある時ふと高校時代の思い出の『夏は来ぬ』を思い出した。メロディーを時折思い返すことはあったけど、いつ誰が作ったのかは知らなかった。調べてみると、作詞者は他でもない佐々木信綱だった。途端、頭の片隅で朧気な印象だけ残っていた佐々木信綱が、急にくっきりと輪郭を顕して、僕に微笑んでくれた気がした」 高校の美術室に流れる『夏は来ぬ』、思い浮かんだ初夏の田園風景、城北大学受験、国文学者佐々木信綱の残した書籍、選び取った日本文学の道、そして『夏は来ぬ』の作詞者であった佐々木信綱。 時を越えて全てが繋がった。佐々木信綱の予感は高校の時からずっと側にあって、その運命が城北大学へと導いた。
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