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「お兄さん、そろそろ夜遅いから帰りませんか?」
肩をとんとん叩かれてハッとした。その場に駆けつけてきた警察の中の1人が俺にそっと話しかけてくる。視界がぼやけて上手く顔を確認することができないが、若い男の人が俺に視線の高さを合わせるようにしゃがんでくれていた。気を使っているのか、俺に視線を合わせようとしない。
「高校生がこんな時間にこの辺で見つかったら、交番行きですよ」
優しい声で話しかけてくれる警察の後ろには、俺の様子を心配したように窺う数人の警察官もいる。俺がここで今怒鳴り散らしたら、この若い警察官は上から怒られるのだろうか、それとも俺が捕まるのだろうか。こんなつまらないことしか考えられない。
「今、何時くらいですか」
あの時から出てこなかった言葉が自然と出る。ついさっきまでえづいたり、咳き込んだりすることしか出来ていなかったから、美咲が飛び降りたところを目撃していた警察官も手を止めてこちらを心配していた。
「11時30分です。家まで送るから、とりあえず車乗れるかな?」
警察官は立って手を差し伸べてくれたけど、俺にはその手を掴めなかった。俺だけが救われているような気がして、よくわからない罪悪感に駆られる。美咲も、こんな風に手を差し伸べていたらバラバラにならなかったのだろうか。
俺が手を掴まないでいると、若い警察官は俺を立たせようと脇の間に腕を入れて上に持ち上げる。けれど、細くて白い、いかにも弱そうな警察官が俺を持ち上げられるわけもない。仕方ないから俺が力を入れて少しだけ立ち上がった。
「パトカーで送りますから乗ってください」
そう言われて手首を引っ張られる。行かなきゃいけないのはわかっていた。だけど、どうしても、血で色のついたコンクリートから目が離せない。
美咲が飛び降りて少ししたら、野次馬はほとんどいなくなっていた。その野次馬たちはどこに行ったのだろうか。飯を食いに街へ? ゲームセンターへ? 家へ?
人が目の前でバラバラになって、『生きている』が『生きていた』に変わった瞬間を見たのに、今はもう忘れているのだろうか。それとも覚えていながらどこかで楽しんでいるのだろうか。美咲のことを知りもしないのに、美咲が死んだことに対して涙を流しているのだろうか。俺にはどれも気持ち悪く思えた。すぐ忘れて、事実に目を背けて、関係ないのに感情的になって。人間の悪い癖だ。
あれ、俺は何を考えているんだ。彼女からのSOSを忘れて友達の飯の約束をして、なんとなく勘付いていたのに訳わからない言い訳をして走りもしなくて、美咲が選んだことなのに勝手に涙を流して悲しんで。
全部全部俺のことじゃないか。
「俺のせいだ……」
ほら、またこうやって全部自分のせいにして悲劇の主人公を演じている。気持ちが悪い。俺自身に対してドン引く。
「落ち着いて。君のせいじゃない。」
しかも俺は他人に迷惑までかけているじゃないか。俺が美咲と付き合っていることを石橋に言ってなかったらあいつは泣き叫ばずに済んだのに。あいつが泣いている姿を石橋の親に見せてしまって、さらに石橋の親が悲しんで。やっぱり俺のせいじゃないか。全部全部、俺が招いたことじゃないか。
「美咲……まだ死ぬなよ……」
少し収まりつつあった涙が、またぼろぼろと溢れ出る。手首を掴んでいた警察官は何も言わず、少し力を強めて俺の手首を握り直した。今だって、ここにいる人に心配をかけて、俺の方が生きる価値なんて無い。
「せめて一緒に、死にたかったわ」
放った言葉は3月のコンクリートより冷たく黒く硬かった。
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